世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3690
世界経済評論IMPACT No.3690

国家債務の定性的評価の構造変化:地中海欧州経済圏

瀬藤澄彦

(国際貿易投資研究所(ITI)客員 研究員・元帝京大学経済学部大学院 教授)

2025.01.13

 地中海沿岸諸国の経済成長が英仏独などを凌駕するようになった。これに緩慢だがプラス成長を続ける大陸の東欧諸国を考慮すると,欧州の機関車と呼ばれてきた英仏独などの停滞が一層浮き彫りになってきた。一昔前では想像もできなかったことだ。

 ユーロ危機の真っ只中の時期には,家父長的・地縁的な体質による経済発展の遅れから,当時,Portugal, Italy, Greece, SpainはPIGS(豚)と揶揄され欧州後進国のレッテルを貼られた。これら地中海圏の南欧諸国の経済的な復権は特筆に値するであろう。これら諸国に「ケルトの虎」と称さられるアイルランドを加えた経済勢力圏の優劣の構図は,“周辺対中心”という欧州の従来の構図を逆転させそうでさえある。これは,バナナブルーの終焉(本コラムNo.2891参照)とも言えるEU域内産業の新たな地理的価値連鎖の成立など,今や「アテネ・ロ―マ・バルセロナ・リスボン枢軸」の始まりなどとする見方にも繋がっていくものである。公的債務の削減,資本や労働の動き,競争優位の条件などはこうした見方を裏付けるところがある。

 第1にマクロ経済指標を見ると,景気への逆風は多いが,インフレ率の鎮静化による家計支出(実質購買力)の回復,ECBの利下げ継続による金融環境の改善に加えて,特に南欧諸国では,観光産業部門の好転による持続的な景況回復基調が見られるようになった。昨年以降,欧州のマスメディアでは,ルモンド紙が異例の長い記事で「欧州の南の国々の経済的復讐」(“Les pays du sud de l’Europe prennent leur revanche économique”)(注1)として報じただけでなく,ジュネーブのルタン紙,レゼコー紙,また最近では英米誌なども類似の記事を報じている。

 第2に「脆い経済」と言われた南欧の姿は今や昔,ユーロ危機終了から10年,先鋭的な脱炭素・脱原発路線に軌道修正の動きもあり,今や「欧州の病人・問題児」はマイナス成長に陥り景気後退に喘ぐドイツと批判されている。他方で南欧諸国は堅調な成長が続き,格付け会社BCAによれば,2019年から2023年までのコロナ危機を含む4年間のギリシャとポルトガルのGDP成長は約6%,イタリアが3.5%,スペインが2.5%であったのに対し,フランス1.5%,ドイツ0.7%という具合であった。南欧4カ国が欧州の先進国の成長に追いついたのは2017年で,今や成長率は2.5ポイントも上回るようになった。これら地中海諸国のポストコロナの競争優位は先述のとおり観光産業において顕著であり,EUの2021年に発足した8000億ユーロという巨額の次世代予算によるファイナンスも功を奏した。2026年まで続くこのEU助成措置は,とくにイタリアとスペインで大きな効用を産んだ。さらに労働市場改革により失業率も,スペンインで25%から11.5%,イタリアで13%から7.5%,ギリシャで26.5%から10%とほぼ半減した。加えて銀行不良債権も減少しておりこれらの状況は長期トレンドとして定着しつつあると見なされる。

 第3に「バナナブルーの終焉」,「EU域内産業の新たな価値連鎖の成立」など気の早いエコノミストは今や前述の「アテネ・ロ―マ・バルセロナ・リスボン枢軸」の始まりなどと言う論調さえも見られる。欧州の産業集積と立地を語るときに必ず登場する「バナナブルー」理論に変化が訪れたのであろうか。「バナナブルー」はベルリンの壁が崩壊した1989年に,フランスの地理学者ロジェ・ブルネ(Roger Brunet)が,英国からオランダ,ベルギー,ドイツ,スイスを通ってイタリアに至るまでのメガシティの繋がりが,宇宙からみた地球の夜景に青い色のバナナのように浮かび上がる様子を指すフレーズとして用いたものだ。この当時,ブルネはパリ一極集中の中央集権経済がこのバナナブルーに特徴づけられている欧州産業地図の圏外にあることに強い危機感を抱き,フランス政府にパリとリヨンとマルセーユの3都市圏におけるインフラ投資を強化してこの人口1億1千万のバナナブルー都市経済圏に接続統合するように進言したのであった。

 3分の1世紀以上が経過した今,欧州大陸における産業地図は大きく変貌しつつある。21世紀に入って欧州産業の最も活気のある姿は,南ドイツを核としてポーランド,ハンガリー,チェコ,スロバキア,オーストリア,ルーマニア一帯の地域に立地する製造業であった。2004年から2007年にEUに加盟したこれらの旧社会主義諸国は,単なる原材料や部品だけの供給基地ではなく,ドイツ産業の生産ラインの拡張に不可欠な自動車や産業用機械の組み立てを行う「ヒンターランド後背地」になっていた。「アテネ・ロ―マ・バルセロナ・リスボン枢軸」については米国のカリフォニア・モデルを意識した地中海産業経済圏の展望を意識した「バナナオレンジ」と呼ばれるようになり,スペインのカタロニア州バルセロナ都市経済圏がその中核的機能を担うとされている。

 第4は起債環境の好転だ。南欧諸国への対内投資が着実に増えるようになってきた。2024年8月以降,ドイツ10年物国債利回りが約2.5%であるのに対し,ギリシャ1.0%,スペイン0.7%,イタリア1.3%と金利差スプレッドは縮小傾向にある。ユーロ圏加盟国4グループは分類のなかで第3グループに属するスロベニア(A+),スぺイン(A),アイルランド(BBB+),マルタ(A),イタリア(BBB+)と,第4グループのポルトガル(BB),キプロス(BB+),ギリシャ(C)の国債は「ジャンク債」と貶められたり,数年以内に格付けの変更や,連動する銀行や企業から格下げの可能性を脅かされてきた。実態を誤解してはならない。実は19世紀の格付け発足以来,国家債務の評価やソブリン・リスクの格付け判断は数学的,計量経済学的なモデルに基づいてなされていない。3大格付け会社のフィッチもムーディーズもS&Pもすべて定性的な分析の結果に基づいて行っていると公認している。例えばムーディーズは約50の定性分析指標を有しているが,その中でも次の5つの項目が国家債務の評価に関わる全体の90%近くを占めていると言われる。すなわち①一人当たりGDP,②インフレ率,③対経常輸出デット・サービス・レシオ,④過去25年間のソブリン債務破綻の有無,⑤経済の発展段階,となっている。地中海経済圏の評価が信憑に足るものであることを示すものと言えよう。

[注]
  • (1)Eric Albert,“Les pays du sud de l’Europe prennent leur revanche économique”, Le Monde, 16 avril 2024
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3690.html)

関連記事

瀬藤澄彦

最新のコラム