世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3605
世界経済評論IMPACT No.3605

越境攻撃は「正しい終戦」観を変えるか:膠着するロシア・ウクライナ戦争

中村長史

(東京大学大学院総合文化研究科 特任講師)

2024.11.04

 ウクライナによるロシア西部への大規模な越境攻撃が2024年8月から続いている。戦局に関する解説は既に多く出ているため,ここでは,別の点について考えてみたい。「正しい終戦」のあり方をめぐって戦争当事国や第三国がどのような言説を展開してきたか,そして,それが越境攻撃によって変化するかという点についてである。

 攻撃が続くなか戦局ではなく言説を追いかけるとはなんと悠長なことかと思う向きもあるかもしれない。当事国も第三国も自国の戦略的な利害に基づいて終戦に関する立場を決めているだけで道徳的な価値に関する言説など建前に過ぎないという意見も聞こえてきそうだ。しかし,現実に即した議論を展開するには,現地における戦闘に加えて,国際社会における論戦についても観察しなければならない。国々はある特定の時期・形態の終戦について「正しい」とか「正しくない」といった評価を実際に加えているし,そうした評価には戦局と連動している面があるからだ。さらにいえば,各国は戦略的利害を主な要因として決まった自国の立場を道徳的価値に基づいて正当化したり,自国の戦略的利害と相いれない他国の立場を道徳的価値に基づいて非正当化したりしているという実態がある。戦略的利害をむきだしの形で示すのではなく,道徳的価値にくるんでいるのである(中村 2024)。

 まず,ウクライナが表明してきた「正しい終戦」観を確認しよう。2022年3月末の停戦交渉においては,「2022年2月24日時点でウクライナが実効支配していた領土」が維持できるのであれば,「ウクライナはNATOに加盟しない」等の約束をするという提案がなされた。つまり,侵略国の撤退と被侵略国の中立化という双方の妥協によって戦争を終わらせることが「正しい」との判断が示されていた。この姿勢は,戦局が開戦当初の首都キーウをめぐる攻防からウクライナ東部をめぐる攻防へと移っても基本的に維持されていた。しかし,2022年9月に領土奪還が始まると,中立化提案の撤回に加え,「1991年の独立時の領土」(クリミア半島を含む領土)からロシア軍が撤退したうえで,ロシアが侵略に対する処罰を受けたうえで戦争を終わらせるのが「正しい」と主張するに至った。そして,現在なされている越境攻撃について,ゼレンスキー大統領はウクライナの望む条件で戦争を終わらせることを狙いとするものだと表明している。こうした点を踏まえれば,越境攻撃は,領土奪還の開始以降にみられるようになった「正しい終戦」観の延長線上にあるといえる。

 次いで,第三国が表明してきた「正しい終戦」観を確認しよう。欧米諸国はウクライナへの武器支援とロシアへの経済制裁を実施してきたが,ロシア領内への越境攻撃については消極的な姿勢を示してきた。武器支援によって核兵器国ロシアとの対立がエスカレートすることへの懸念が背景にあると考えられるが,被侵略国といえども侵略国内への攻撃によって終戦を促すのは「正しくない」という理解を示してきたわけである。しかし,次第に限定的な越境攻撃を黙認するようになり,現在の大規模な越境攻撃についても問題視していない。ここには,「正しい終戦」観の変化がみてとれる。ただし,欧米諸国は,2022年末の段階から,被侵略国ウクライナの望む形で停戦がなされるべきだとの認識を示してもいた。そういった意味では,越境攻撃の黙認には,従来の「正しい終戦」観が継続している面もまたみてとれる。

 第三国のなかには,「グローバルサウス」諸国のように武器支援も経済制裁も実施していない国々も存在する。こうした国々は,2022年9月のウクライナによる領土奪還開始後は,ロシアのみならずウクライナにも停戦を求めるようになった。被侵略側への「同情」の念が消えたわけではないものの,戦争長期化に伴う人命の喪失や食糧・エネルギー価格の高騰がみられるなか,反転攻勢を強めるウクライナに対する眼差しが微妙に変化していったわけである。「侵略国の戦闘停止による終戦」を求める姿勢から「侵略国・被侵略国双方の戦闘停止による終戦」を求める姿勢への変化である。こうした経緯を踏まえれば,現在の越境攻撃が「グローバルサウス」諸国の「正しい終戦」観にさらなる変化をもたらし,ひいては戦局に何らかの影響を及ぼす可能性は否定できない。引き続き注視が必要である。

[参考文献]
  • 中村長史(2024)「ロシア・ウクライナ戦争における『正しい終戦』観の類型」グローバル・ガバナンス学会編,中村登志哉・小尾美千代・首藤もと子・山本直・中村長史責任編集『ウクライナ戦争とグローバル・ガバナンス』芦書房
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3605.html)

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