世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3319
世界経済評論IMPACT No.3319

シアヌークビルの爤尾楼

茂木 創

(拓殖大学国際学部 教授)

2024.02.26

 首都プノンペンから南西に約200㎞,美しいビーチが広がるシアヌークビルは,2000年代後半以降,中国・カンボジア両国にとって「一帯一路」のモデル地域として多くの投資が行われてきた都市である。同時に,カンボジアでは,中国本土では違法とされるカジノが許可制(合法)であることから,多くの中国人観光客や外国人投資家を惹きつけてきた。2016年から2019年にかけて,カジノと不動産市場へ巨額の投資資金が流入し,シアヌークビルの高層ビルも急増したのである(Khmer Times, October 19, 2023)。

 しかし,2019年に発令されたオンライン・ギャンブル禁止と新型コロナウイルス感染症の流行を受け,高層ビルの建設資金が調達不能となり,ここに不動産バブルは崩壊した。現在は建設途上の高層ビルが乱立する様相を呈している。この未完成の高層ビルを中国語では,爤尾楼(ランウェイロウ)とよぶ。「爛尾」とは腐った尾を意味し,最後までやり遂げられない有様を形容した言葉である。

 2023年12月,筆者はシアヌークビルに足を運んだ。往路はプノンペン駅から約7時間,日に1往復しかしないカンボジア・ロイヤル鉄道に揺られ,シアヌークビルに入った。駅から市街地までは,タクシーかトゥクトゥクに乗らねばならない。

 いささか強引なトゥクトゥクの運転手が,私を見つけ近寄ってきた。しかし,提示された料金が極めて良心的なので拍子抜けする。『これもネット配車サービスが生活に馴染んできたからだろうな』と一人感心した。バイクに荷台を付けたトゥクトゥクに,粘り強く交渉した頃とは隔世の感がある。その運転手は荷物を荷台に乗せると,開口一番「この街には中国人がたくさん来たんだ。でもあっという間に去っていった。いまじゃ,こんな有様だよ」と口を開いた。いまを生きる庶民にとって,過去に受けたであろう恩恵よりも,いまの不満の方が大きく感じるのかもしれない。ただ,その言葉は,シアヌークビルの現状を端的に表していて,私の印象に残ったのである。

 確かに市街地に向かう目抜き通りには,中国語の看板が目に付くものの,中国人の姿はまばらで,中国人観光客が依然として回復していない様子が見て取れる。市内中心部にある2匹の巨大な黄金獅子(ゴールデン・ライオン)の像が近づくにつれ,爛尾楼の数は次第に増えて行く。それは,建設途上の建造物というよりは,むしろすべての役割を終え,解体を待つ廃墟のそれに似た雰囲気を醸し出していた。

 こうした爛尾楼はシアヌークビルだけに限っても,400棟以上存在するという。物件の中には,所有者が海外にいたりして連絡が取れないケース,投資家と開発業者の間で法的問題が発生しているケース,(適切な排水システムを設置していなかった等の)建設許可を取得していなかったケース(この場合は解体しかないが費用負担の所在が課題となる)などもあって,画一的な解決は難しい(Khmer Times, July 18, 2023)。

 すでに完成した建造物に関しても課題は多い。2019年にシアヌークビルに初めてできたシンガポール資本のショッピングモール,「フリ・タイムズ・スクウェア・モール(Furi Times Square Mall, 4階建て,延床面積15,000㎡)」は,当時1,000万ドルを投じて建設されたこともあって話題となったが,2023年12月時点では1階の喫茶店以外はほぼ閉店を余儀なくされている。各フロアには電話番号とともに中国語で「因疫情原因 暫停止営業(コロナ禍により臨時休業中)」の貼り紙があるのみで,試しにそこに電話をしてみても,いつ戻ってくるかの明確な回答は得られなかった。

 2020年に完成した「プリンス・モール(5階建て,延床面積50,000㎡(東京ドーム1つ分))」は大型商業施設であるが,こちらも客足はまばらである。加えて周囲の舗道は,造られて日も浅いにもかかわらず路面タイルが剥落しており,品質や施工技術の低さが顕著である。凸凹な舗道,スコールがくるとオーバーフローする排水溝,そして爛尾楼。美しさを誇った海岸も,観光客と開発によって水質悪化が顕著であるとの声も多い。国際入札で決定されることも多い途上国のインフラ開発にはありがちな光景といえば,そうかもしれない。しかし,それを請け負う国には,その国の国民生活の「質(QOL)」を考えて欲しいものである。

 爛尾楼については,景観の面からも,また安全の面からも好ましくないことはカンボジア政府も認識しており,2023年8月に就任したフン・マネット首相主導の下,2024年2月に入って「2024年プレア・シアヌーク州への投資促進特別プログラム」が発表された。これによれば,シアヌークビルの欄尾楼への投資プロジェクトは,3年間の所得税の免除や,建物の完成と改修までの付加価値税の免除,不動産賃貸借に対する5年間の源泉徴収猶予,固定資産税の免除などが含まれるという(Khmer Times, February 9, 2024)。

 シアヌークビルの欄尾楼問題がいつ,どのように解決されるのか,それについてはこれから静かに見守っていくしかない。しかしながら,人間の飽くなき欲望がもたらした結果が,国境を越えて負の産業遺産という形で残ることは避けねばなるまい。

 爛尾楼に差し込むシアヌークビルの夕日。

 「この楼なからましかばと覚えしか」

 その場にいれば,誰もがそう思うに違いない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3319.html)

関連記事

茂木 創

最新のコラム