世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
飲酒:楽観を超えた危険性
(元信州大学先鋭研究所 特任教授)
2024.02.26
2024年2月19日に厚生労働省が発表した適正飲酒指針がマスコミで大きく取り上げられヤフコメやSNSでも多数のコメントが寄せられている。アルコール摂取目安が厳しすぎるので守れるものではなく,とりあえず聴き置くというものである。この適正飲酒指針によると,男性の適正アルコール摂取量は1日あたり20g,「アサヒスーパードライ」はアルコール濃度5%なので400g摂取すると基準に達する。ビールの比重はほぼ「1」なので400mℓとしてもよい。入れ物の容量が決まっていてビールの飲み残し保管はしないので,具体的には350mℓサイズ1缶である。「サントリー・ストロングゼロ」はアルコール濃度9%なのでおよそ計量カップ1杯(200mℓ)でほぼ上限となる。女性の場合は男性の半分程度を推奨しているので,ビールや酎ハイをショットグラスで摂取する程度となる。「養命酒」に付属のカップ(20mℓ)で数杯重ねるイメージである。「私の体はワインでできている」と言っていた亡き女優の方が知ったら笑い飛ばすような適性飲酒指針である。
アルコール飲料を製造販売している大手飲料メーカーも反応している。統計分析をしているわけではないが,アルコールによる開放感,リラックス感,会食コミュニケーションの重要性を主張する意見が多く,医学関係の専門家からもそのような意見が出されている。また,「休肝日」を設ければ良いという医者もいる。これは科学者として論文・報告を真面目に読んでいない,大衆ウケを狙った重大な間違いである。厚労省のホームページでは引用文献として取り上げられていないが,今回の厚労省指針は2024年1月に世界保健機関の下部組織である国際がん研究機関(IARC)が公表した調査報告(IARC Handbooks of Cancer Prevention Series Voℓ. 20A)と連動している。筆者はナノテクに携わった経緯からナノ材料安全性の国際的な研究グループに関わるようになり,またIARCとも間接的に関わることになった経験からアルコール飲酒についてIARC報告の重要性を土台として以下に説明をする。ビジネス的に大きな市場を占め,最近話題の個人消費支出やインバウンド経済に関係する飲酒について触れたい。
なお,筆者はアルコールに結構強かったのでかつては飲酒愛好家だったが,帯状疱疹を患い,治療のため禁酒を指導されて以来4年以上禁酒を守っている。しかし,飲みたい方の心持ちは理解する。
飲酒の危険性に関する研究と報告は前述厚労省のホームページでも1990年以前に発表された論文が引用されているように長年に渡り研究が進められてきた。IARCが公表,随時更新している発がん性を4段階に分類した表では,アルコールは「グループ1:ヒトに対して発がん性がある」に分類・確定していて,アスベスト(製造禁止)やカドミウム(管理第2類物質)などと同じグループである。特に,2010年以降の研究から「閾値(Threshold):ある一定数値を境に効果が現れない数値範囲」が存在しないのではないかと報告されるようになってきた。即ち,極端なことを言えばアルコール一滴摂取でもそれなりのリスクが発生するということである。アルコール以外のグループ1の物質で例えると,ビール350mℓ缶1本の晩酌は数マイクログラムのアスベストを毎晩吸引しているのと同様と考えても良いことになる。このアスベスト吸引は20〜30年後に中皮腫を発症する割合がかなり高くなる量である。また,飲酒と同時に水を飲めば良いという発言がSNSで頻繁に出ているが,IRACが示しているのはあくまでもアルコール摂取量であり希釈濃度は関係ない。毒性学研究の立場から見ると,「リラックスの効用がある」というコメントは数値的に評価できないものであり専門家が発する言葉として適切ではない。この類のコメントを発する非専門家マスコミ解説者は発がん確率が上昇する行為を奨励していることになるので即刻「卒業」されたい。
アルコールは飲酒だけではなく料理にも用いて味を整えるではないかという指摘は当然出てくる。しかし,各種具材を入れた加熱調理においてアルコールはエステルに転化されるので化学物質としてはもはやアルコールではない。エステル類とはバナナやリンゴなどの香りのように食欲をそそる,場合によっては不快な匂いの元になる分子である。料理に使うことでアルコールの安全性を示唆する言説は素人的発想であり,公共的機能を持つメディアが軽々しく発することは慎むべきである。
レストランで時折見かけるショー的な「フランベ」は,アルコールを燃焼させるので「完全燃焼」すれば二酸化炭素と水になり蒸気を吸引してもリスクは低い(反応途中でエステル類を生成するが高温なので分解する)。しかし,あまりにも派手な「演技」の場合,加熱により気化したアルコールが燃焼せずに空気中に拡散することで呼吸により直接血中に取り込まれ,飲食によるアルコール摂取よりはるかに少量で急性の毒性症状となることを承知していただきたい。化学系が専門の筆者は大学の基礎実験授業でアルコール蒸気の危険性を教育され,また,実際に修士学生時に室温で大量のアルコール扱う操作の際に,アルコール蒸気で意識を失い倒れたこともあり,この類のショーの危険性は身に染みている。
フォーブスによると2022年のアルコール飲料の市場規模は年間約2兆ドルなので,消費者にとって日常的なファストファッション市場の約1060億ドルよりはるかに大きい。前述のIARC調査報告によると,飲酒が原因と考えられる死亡数は,東アジアでは人口十万人あたり7.5人,西欧で6.5人,東欧で8.7人である。国内の自動車事故による死亡者数が3000人を少し超えるぐらいであることから飲酒原因の死亡割合は自動車事故よりかなり高いことになる。このような統計上の数字から考えた場合,アルコール飲料のCMを規制すべきではないかという議論が出てきてもおかしくないと思うが,民放にとってアルコール飲料を製造販売するスポンサーは重要なお客様なので今後も一切触れないだろう。つまり,TVは触れないことで世論誘導を行なっているのである。なお,NHKも主にローカルのアルコール飲料メーカーの紹介を行っているので決して無罪ではない。ちなみに米国は「飲む場面」を含むアルコール飲料のCMは放映していない。
飲酒による弊害は家庭内不和,アルコール依存症,殺人まで考えると社会的コストを伴い影響の範囲が大きい。アルコール依存症の飲酒運転により千葉県八街市で2021年6月に複数の学童が死亡および怪我を負ったことは記憶に新しい。たった一人の飲酒が数十人の生活や人生に影響を与えたことは飲酒を社会的な課題として捉える必要性を示している。日頃,科学的議論の推奨を唱えている方々がアルコールの摂取についてはその効用を解くことに重点を置き,一律に規制することを嗜めるのは奇異なことである。エリートやエスタブリッシュメントを自負するならIARCの公開している科学的データを元に議論を進めることが必要である。もちろん,飲酒の規制については,飲料メーカーだけではなく飲食サービスまで大きな経済的損失を被ることも考えるとGDPに影響する議論に広がることは間違いない。米国が1920年代に導入した禁酒法で社会に大きな影響を与えた歴史も踏まえなければならない。
21世紀になり,Z世代は飲酒を伴う宴会を好まないとされている。昭和的な「俺の酒は飲めないのか」というハラスメントは少なくなったとはいえ,まだ存在する。アルコールをリスクとベネフィットという形で論じることは非科学的なのでやめるべきである。アルコールを麻薬と同等に取り扱う時期が来ているのかもしれない。
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