世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3252
世界経済評論IMPACT No.3252

タイのランドブリッジ計画:南部臨海開発再興と国際物流の新展開

助川成也

(国士舘大学政経学部 教授・泰日工業大学 客員教授)

2024.01.15

 タイが南部臨海開発計画をランドブリッジ計画として復刻させ,国際物流の新たな選択肢として国際社会に提示した。深海港,モーターウェイ,鉄道,パイプラインでマレー半島両岸を結ぶこの物流計画は,15年間で1兆バーツのPPP投資を見込む。ただし実現には,多くのハードルがある。

南部臨海開発計画を蘇らせた国際的な不透明感

 23年12月中旬,セター・タウィーシン首相は東京での日ASEAN特別首脳会議の傍ら,タイ南部で進めるランドブリッジ計画のロードショーに登壇,日本の投資家に同計画への参画を訴えた。この計画は,マレー半島の狭小部の東西両岸にコンテナ処理能力2000万TEUの深海港を設け,その間の約90Kmを上下6車線のモーターウェイ,貨物輸送用複線鉄道,石油・天然ガスパイプラインを敷設,インド洋と太平洋の物流を繋ぐ計画である。同事業は官民パートナーシップ(PPP)で推進され,投資費用は2040年までの15年間で1兆バーツ(279億ドル)を見込む。同事業の経済効果は,雇用28万人分の創出を通じてGDP成長率を1.5%分,6700億ドル相当と見込む。

 この計画はセター政権で突然出てきたわけではない。もともと長い歴史の中で浮かんでは消えていった「クラ運河」構想の代替である。クラ運河構想は17世紀,アユタヤ王朝ナライ王時代に遡る。欧州列強が先を争いアジアを植民地化した1800年代半ばには,フランスがタイ国王に幾度となくクラ運河の調査・開削許可を求めた。フランスは運河が完成すれば,同国の植民地ベトナム・サイゴン(現ホーチミン)が英国支配下のシンガポールを凌駕し,東南アジアで最も重要な港になると考えた。第二次世界大戦中の日本軍も,ビルマ方面作戦への軍需物資の輸送を目的に,同地に鉄道を敷設した。この地域は英仏日など列強にとって地政学的な要衝であった。

 ランドブリッジ計画は,もともとチャートチャーイ政権下の1989年,ハジャイでの移動閣議で承認されたものの,立ち消えとなった「南部臨海開発計画」を焼き直したものである。当時からマレー半島の東西両側に深海港を設置し,両港を鉄道,高速道路,パイプラインで結ぶ計画があった。

 この計画を復刻させたのがプラユット前政権である。同政権は「南部経済回廊」(SEC)と命名,ランドブリッジ計画をSECの中核に据えた。前政権政党と連立で誕生したセター政権は,世界的に不透明感が高まる中,国際物流の重点が効率指向からリスク分散指向にシフトしていることを踏まえ,ランドブリッジ計画の推進を決めたのである。

マラッカ・シンガポール海峡依存リスク

 マラッカ・シンガポール海峡(SOMS)は,太平洋とインド洋を繋ぎ,世界で最も航行船舶数が多い地政学的に重要なシーレーンである。一方,SOMSには大型船舶の通航に影響を及ぼす水深23m未満の浅瀬,岩礁等も多数存在する。シンガポール海峡の最も狭い水路は僅か2.8Km。夜間を中心に衝突,座礁,更には海賊・武装強盗等のリスクがある。過去には海賊に襲撃されたタンカー船が他の船舶と衝突,火災と重油漏れが発生した。

 SOMSは2030年頃には通航限度能力を超えると予測される。インドネシアのスンダ海峡やロンボク海峡に迂回することも出来るが,約1.5~3日分,余計に時間と燃料を費やすことになる。

 世界第2位のコンテナ取扱量を誇るシンガポール港であるが,取扱貨物の約8割以上が積替え貨物と推計されている。タイ・セター首相はロードショーで「ランドブリッジ計画により,航行日数を平均4日,コストを15%削減可能」と訴え,企業や船舶にSOMS通航回避の新たな選択肢を提供することで,主に積替え貨物のタイシフトを狙う。

ランドブリッジ計画に対する周辺国の見方

 タイのランドブリッジ計画に,強く反応しているのはマラッカ海峡にクラン港(世界第13位)とタンジュン・ペレパス港(同15位)があるマレーシアである。特に後者は地域の積み替え港の役割を果たしてきた。マレーシアのニュー・ストレーツタイムズ紙(23年11月23日付)はランドブリッジ計画を「タイのマラッカ海峡『切断』計画」と呼び,一部の専門家は「クラン港,クアンタン港,タンジュン・ペレパス港の操業に影響が顕著で,マラッカ海峡を通過する船舶が減少する」と危機感を顕わにしている。

 マレーシアもタイ同様,マレー半島横断物流網整備計画を有している。マレーシアは中国の支援を受け,2027年1月の開業を目指し,東海岸鉄道(ECRL)を整備中である。同鉄道によりマレー半島東側クアンタン港と西側のクラン港が結ばれる。タイのランドブリッジ計画と競合する可能性があるものの,東側のクアンタン港のコンテナ取扱能力は最大50万TEUで,マラッカ・シンガポール海峡通航の主要な代替手段となるには役不足である。

 一方,シンガポールは,東南アジア諸国連合(ASEAN)が堅持する「内政不干渉の原則」もあり,表立った態度は示していない。

ランドブリッジ実現の条件

 タイがランドブリッジ計画で積替え貨物獲得を狙うには,効率的な複合一貫輸送を支えるハード・ソフトインフラの整備も欠かせない。

 少なくとも両港湾では荷役とゲート共々,365日24時間体制の整備が不可欠である。また大半の貨物はタイに輸入されない通過貨物であり,効率的な保税通関・輸送の体制整備が必要である。ASEANでは陸上トラック輸送を念頭に,2020年11月に税関貨物通過システム(ACTS)が稼働している。ACTSは通過ルート上のすべての税関とオンラインで結ぶことで,単一の税関手続きのみでの国境通過を可能にする。ACTSをランドブリッジでの利用を前提に,船舶,鉄道,トラックなど複合的な輸送モードで利用出来るよう改善が求められる。またACTSを域外国に拡大出来れば,ランドブリッジの利用拡大に繋がる。

 しかし近年,政情が流動的なタイで,インフラ計画で投資家を募るには,「決して中断しない重要事業」としての担保が不可欠である。これまで政権交代のたびに中止されたものも少なくない。それを回避するには,タイの「20カ年国家戦略」に明確に位置付け,国民に当該インフラ整備の重要性を認知させるとともに,事業自体を国際的な約束事項に昇華させることが有効である。ランドブリッジ計画を「自由で開かれたインド太平洋」(FOIP)等の国際的枠組みに位置付けられれば,より継続・実現可能性が高まる。

 ただしそれには,同プロジェクトによって少なからず影響を受けるマレーシアやシンガポールなど他のASEAN加盟国からの理解も必要になる。タイ政府に今,求められているのは,総合的な戦略性である。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3252.html)

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