世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
国の政治経済制度の水準について:ヴェーバー,アセモグル&ロビンソンの視点
(岐阜聖徳学園大学 教授)
2023.12.04
現在の国際社会では,一国は権威主義か民主主義かいずれの色彩が濃いかという視点から議論される傾向が強い。本コラムでは,この問題についてアカデミックな世界においてどのような尺度が講じられてきたのかを考えてみたい。
まず,社会学もしくは政治学領域でよく引き合いに出されるマックス・ヴェーバーによる有名な類型化を挙げるべきであろう。すなわち「支配の類型」である。伝統的支配,カリスマ的支配,および合法的支配がそれだ。ここではひとつひとつを説明することはせずに,筆者がとくに注目したいものだけに限定して論じることにする。それは伝統的支配の中のひとつである「家産的支配」だ。なぜならこの種の政治支配は世界のいたるところにおいて歴史的に見られたか,もしくは現在見られるからである。いうなれば一国の富や所得を圧倒的な存在たる為政者があたかもわが所有物のごとくあつかう,といった事情がそれだ。それは現在,多くの途上国において実際に見られるところである。つまり一国の政治支配がそのようなことであれば,民主主義からは程遠いと言わざるを得ない。それとは逆に,現在の先進国はほぼ合法的支配にカテゴライズされよう。
次に現在関係学界で注目されているものに,アセモグルとロビンソンによる類型化がある。すなわち一国もしくは一地域において,歴史的にどのような政治制度が持ち込まれたかによって,当該国や地域の歴史過程が大きく影響される傾向があるという考え方である。なんらかの事情で収奪的制度が持ち込まれたかもしくは包摂的制度が持ち込まれたかのいずれなのかによって,その国や地域の歴史が規定されるというものであり,そこに「決定的岐路」とか「経路依存性」といった術語が用いられて議論された。この考え方を地域全体に当てはめてみるならば,メキシコ以南のラテンアメリカにおいて収奪的制度が根付いたのに対して,北アメリカにおいては包摂的制度が形成されたということになる。突き詰めていえば,前者は権威主義になりやすいのに対して,後者は民主主義に向かって進行するであろう。それがアメリカ合衆国,カナダとメキシコ以南のラテンアメリカ諸国との決定的違いだという。もとよりかれらの考え方は,民主主義を称揚し権威主義を否定することになる。
そこで国際関係において問題化したのが中国の存在だ。この国は1980年代から国家主導で国民経済を押し上げてきた。周知のごとく,市場経済的要素を首尾よく取り入れながら高度経済成長を達成したのである。いうなれば国家と市場との絶妙な組み合わせであった。だが政治的には左派権威主義国家なのだ。
アセモグルとロビンソンはこの問題に直面して目新しい発想を持ち出すこととなる。つまり健全な民主主義体制を長期的に維持するには,「国家」と「市場」と「市民社会」との絶妙なバランスが要請されるというのである。これら3つの政治経済主体は相互にチェックしあう関係にある。成熟した民主主義社会においては,「市民社会」が有意味な役割を果たすであろう。突き詰めていえばそれは,NGOやNPOやマスメディアなどがポジティヴな役割を果たすということを意味している。それはいわゆる「法の支配」とも絡んでくるのであり,歴史的には王権が,現代社会においては行政権力が暴走しないように,議会や市民社会が「待った」をかけられるかどうかである。そういう意味においては,この日本という国もまだまだである。中国は民主主義から程遠いし,アメリカはGAFAに代表される市場勢力が肥大化しており,日本はといえばあまりにも市民社会が弱すぎるように見えるのだ。
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