世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3014
世界経済評論IMPACT No.3014

あの頃,日本も元気だった

小浜裕久

(静岡県立大学 名誉教授)

2023.07.03

 例によって「小浜流妙なお話」です。ここ150年,200年の日本の近現代を振り返る時,日本経済,日本社会が元気だったのは,比較的短い2つの期間だったと思う。

 第一の「元気だった頃の日本」は,「幕末から日露戦争まで」。幕末,尊皇攘夷(尊王攘夷)の嵐が吹き荒れた。徳川幕府を倒そうという勢力が「尊皇」を旗印にするのは分からなくもないが,外国を排除しようという「攘夷」は,21世紀から見ると,なかなか理解しにくい。幕末の志士たちも観念の徒だったのか,多くは異人たちの進んだ技術,圧倒的軍事力をみると,ころっと開国派に転じている。

 長州藩もいろいろな考え方の派閥があったものの,ある時期,攘夷の急先鋒だった。長州藩は1863年5月,下関でアメリカ,フランスの商船を砲撃している。その報復として1864年8月,イギリス,フランス,アメリカ,オランダの四国連合艦隊が下関を砲撃し,陸戦隊を上陸させて下関砲台などを占領した。その直後,長州藩士5人が,イギリスに密航留学している。その5人は「長州五傑」「長州ファイブ」と呼ばれている。

 明治維新が革命だったか,単なる政権交代だったか,それを分析的に論ずる能力はない。確かに明治初めの日本は貧しかった。比較出来るデータはあまりないが,Maddison Project Database 2020で明治3年の一人当たり所得を比べると,イギリスの一人当たり所得は日本の3.7倍,オーストラリア3.3倍,アメリカ3.0倍,オランダ2.8倍だった。でも明治初期の日本人は自分の立ち位置を客観的に見ていたと思う。日本史で習ったように,明治4年,岩倉具視以下,木戸孝允,大久保利通,伊藤博文,山口尚芳といった明治政府の要人が1年9か月余にわたってアメリカ,ヨーロッパ,アジアを歴訪した(詳しくは『幕末開港と日本の近代経済成長』第5章参照)。明治政府の基盤が確立される前に,要人が長く国を空ける大きなリスクを考えると,彼らは,当時の日本の制度的,経済的,技術的な遅れをそれだけ大きいことと自覚していたのだ。

 日清戦争に勝ち,曲がりなりにも日露戦争に勝ち,その成功体験がいけなかった。

 第二の「元気だった頃の日本」は,「昭和20年の敗戦から高度成長期,1970年代初めまで」だろう。でも,昭和20年8月16日,日本の戦後復興を考える会合が召集されている。戦後日本,多くの企業家精神に富んだ企業が興隆した。川崎製鉄千葉製鉄所の西山弥太郎しかり,本田技研工業(ホンダ),ソニーは町工場から世界企業となった。

 戦後日本の高度成長をもたらしたのは,政府主導の産業政策でもないし,産業保護政策でもない。世界の市場で競争して行こうという企業家の積極的な考え方がもたらしたのだ。貿易の自由化,資本自由化も,経団連会長だった石坂泰三たちのリーダーシップによって実現したのである。石坂は,「即時,自由化すべし。これを延ばすことは大人が乳母日傘だ」と言ったという。

 もちろん政府の保護なしには日本経済は成長できないと主張する企業家も沢山いた。例えば,戦後日本には何百という小さいバイクメーカーがあって,多くがイタリアなど海外メーカーのバイク輸入を規制すべしと主張していた。本田宗一郎だけが違っていて,いいバイクを輸入してこそ日本のバイクも良くなるので,海外メーカーのバイクを輸入すべしと主張した。本田と言えども,欧米のバイクを輸入したとしても,当時の日本人には値段が高くて多くは売れないと考えていたらしい。

 ホンダはバイクメーカーから出発していて,4輪車メーカーとしては後発である。当時の通産省はホンダの4輪車生産への参入を規制しようとした。1963年に閣議決定された特振法(結局は廃案になった)は,自動車産業のグループ化で,4輪車の量産メーカーは,トヨタと日産の2社でいいというものであった。本田宗一郎は通産省と大げんか。「企業家は自己責任で投資を行い新しいものをつくり,それが国民を幸せにする」という本田宗一郎の企業哲学に参入規制政策が合うわけがない。「文句があるなら通産省はホンダの株主になってから言え」と啖呵を切ったという。「我々は自由主義体制下の企業である。役所に頼らないし,役所に介入もさせない」というのが本田の信念であった。特振法が成立していたら,1960年代の高度成長は実現しなかっただろう。

 マスキー法による厳しい排ガス規制強化によって,本田宗一郎は「千載一遇のチャンスだ」と考えた。よく知られているようにCVCCエンジンの開発によってホンダはマスキー法をクリアした世界最初のメーカーとなった。これでトヨタやフォードにも勝てると喜んでいた本田宗一郎に対し若手エンジニアの一人は「排ガス問題は人類全ての問題であり,一企業が利益を生むために利用する問題じゃない」と言ったという。

 持続的経済成長には,不断の構造変化が求められる。戦後日本の高度成長がうまく行ったために,成長の罠に陥ったのだろう。我々はいまだ「失われた30年」から脱することが出来ずにいる。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3014.html)

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