世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.4176
世界経済評論IMPACT No.4176

「資源なきアルゼンチン」日本:帝国主義の世界に生きる

小浜裕久

(静岡県立大学 名誉教授)

2026.01.19

 「“失われた30年”の先にある日本は,“天然資源なきアルゼンチン”になってしまうのだろうか」と書いた(本コラムNo. 4034参照)。よく知られている様に,サイモン・クズネッツは「世界には4つの国の類型がある。先進国と途上国,そして日本とアルゼンチンだ」といったと言われている(例えば,The tragedy of Argentina: A century of decline, The Economist Feb 15th 2014)。いまクズネッツに訊いたらなんと答えるだろうか(クズネッツとは,何度か個人的に話したことがあるけれど,残念ながら,このことを聞く機会はなかった)。

 アルゼンチン政府がドル建て国債を出すとする。もちろんサムライ債でもいいが,機関投資家,プロの投資家は,リターンの高さだけでなく,デフォルトの際のへアカットの水準の読み合いだろう。50%,60%,70%。65%なら御の字だろうか。大分前の話だが,日本の地方の公務員年金基金が,アルゼンチンのドル建て国債だったかサムライ債の高い利回りに目を奪われ,基金の運用をして,デフルトに会って大慌てという記事が出ていた。その年金基金の運用責任者は,国際金融の勉強をしなかったのだろう。

 何度もいろんな所に書いているが,2001年末,『フィナンシャル・タイムズ』は「Risky tango in Tokyo(FT, December 30, 2001)」という社説を掲載した。「Just five years」という結論は実際には起こらなかったが,日本国債は大半が国内で消化されているからリスクはないと言えるのだろうか。

 高市政権は「責任ある積極財政」で「失われた30年」を終わらせることを標榜している。「失われた30年」を終わらせるという政策目標に,多くの人は異論がないだろう。戦後日本を振り返れば,「積極財政」については異論があるかも知れない。「責任ある」は,語感としてはいいが意味は曖昧。筆者は「責任ある」と聞いて,国債を発行せずに予算を組むのかと思いきや,18兆円余の補正予算の6割を国債発行に頼るらしい。頭は混乱するばかり。「責任ある」の意味を具体的に言わないことが自民党政治の肝なのだろうか。日本国債が,マーケットでアルゼンチン国債のように見られる時代は近いかも知れない。

 財政刺激策だけで「失われた30年」を終わらせることはできない。経済が活性化するには,民間部門には民間の,政府には政府の役割がある。でも,主役は民間部門のダイナミズムだ。経済構造が変わらずに経済が元気になることはない。戦後日本の輸出構造を長期的に見れば分かる(例えば,Industrial Development in Postwar Japan, Table 2.4)。1954年の日本の総輸出の4割は繊維製品だったが,今では1%にも満たない。今や輸出の主役は機械部門だ。

 構造変化のためにはゾンビ企業は退出してもらわなくてはならない。長く続いたゼロ金利政策も日本経済の構造変化を阻害しただろう。さらに言えば,1960年代の高度成長の成功体験が,「変えること」を躊躇する気分を生み出した可能性もある。「変えること」は難しいが,やらなければ日本を元気にすることはできない。それをさらに難しくしているのが,世界秩序の変動だ。

 曲がりなりにも戦後の平和を維持してきた戦後世界の秩序が制度疲労を起こし,ロシアのウクライナ侵攻によって200年前300年前の帝国主義の時代に引き戻されてしまった。と思ったら。アメリカも帝国主義に戻ってしまった。Trump says US needs to ‘own’ Greenland to prevent Russia and China from taking it(BBC Jan. 10)だそうだ。ロシアや中国がグリーンランドを取ろうとしているから,アメリカが所有する必要があるのだそうだ。NATO加盟国のデンマークじゃロシアや中国に対抗できないからアメリカ領にするという理屈らしい。何のためにNATOがあるのだろうか。

 明治の初め,岩倉使節団はビスマルクに会っている。明治のリーダーたちは,「万国公法」に基づく条約改正を目指していた。当時,弱肉強食が支配している国際社会をルールによって規制するモノとして万国公法を歓迎していたのだ。明治6年(1873年)3月31日,ビスマルクは岩倉使節団を招いた宴で,自らが小さな新興国プロシャを率いて列強と奮闘した経験を踏まえて,外交は一見「万国公法」によって行われているように見えるが,結局は力だ。「大国」は,自国に「利」があると思えば「公法」を守るが,ないと見れば,「兵威」によってこれを覆す。「小国」は,必死に「公法」に拠ろうとするが,そんな努力は「大国」の力の前に吹き飛ばされてしまうのだ,と述べたという(『幕末開港と日本の近代経済成長』,第5章)。

 トランプは,“I don’t need international law” と言っているらしい(NYT Jan. 8)。直訳すれば「自分には国際法は必要ない」だろうが,意訳すれば「俺は国際法なんかくそ食らえだ」とでもなるのだろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article4176.html)

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