世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2851
世界経済評論IMPACT No.2851

昔「戦費」,今「社会保障費」:医療にもマクロ経済スライドを

市川 周

(白馬会議運営委員会事務局 代表)

2023.02.13

 ほとんどの国民があきらめ顔で眺めている国家危機が公的債務残高の爆発的増大だ。昨秋の白馬会議(白馬会議公式サイト)に登壇した小黒一正法政大学教授はその解決策として医療支出の舞台に斬りこみ,診療報酬版マクロ経済スライドを提起した。

巨大財政赤字の元凶は社会保障費

 日本の政府債務残高の対GDP比は太平洋戦争に突入する前の1937年には70%台であったが,わずか8年後,敗戦直前には200%をこえてしまった。国民経済の破綻と引き換えに再出発したゼロ債務国家は1990年代に入って一変した。戦時体制に入った1940年代を髣髴とさせるような急速な債務膨張が再発し,昨年265%に迫るところまで来た。債務増大の元凶は戦前の「戦費」に対して今は「社会保障費」である。昨年の「社会保障費」の内訳は年金が54兆円,医療が36兆円,その他が21兆円の計111兆円。この支出のうち年金・医療で国民が納めている保険料充当分が62兆円。残り50兆円近くは国庫より支出しており,政府予算の歳出に占める社会保障費のウエイトは拡大し続け,国家予算支出の35%を超えた。これに呼応して国債が占める歳入比率も30%台を超える勢いにある。社会保障費増大が国債発行の増大を加速させ膨大な国家債務を積み上げている。

ドーマー命題の警告―債務残高GDP比は333%へ

 日本の債務残高はどこまで肥大するのか? 名目GDP成長率と財政赤字の対GDP比率の見通しから割り出す「ドーマー命題」で試算すると,この10年程で債務残高GDP比率は333%ぐらいで収束することになる。世界中見渡しても他国に例を見ない天文学的数字となるが,この試算値で使っている財政赤字の対GDP比率見通し1.2%を0.7%まで下げることが出来れば債務残高GDP比率が200%台を切ることも不可能ではない。要は「昔,戦費。今,社会保障費」の社会保障費抑制への挑戦である。とりわけ年金に比べ未だ構造的な見直しがされていない医療にメスを入れるべきだ。

何故,日本は新型コロナワクチンの開発が出来なかったのか?

 端的に言えば開発に向かうべき医療財源が確保できなかったためである。国の医療費支出に大ナタを振るべき分野は2つある。1つは医薬品への保険給付見直しだ。現行の年齢別自己負担割合(原則3割。就学前2割。70~74歳2割。75歳以上1割)を例えばフランスのように,薬品の治療上の有用度に応じて自己負担率を「代替薬のない高額医薬品」:0%,一般薬剤:35%,胃薬等:70%,低有用度薬品:85%,ビタミン剤や強壮剤等:100%といったふうに変える。このフランス基準で日本の薬剤費補助を見直すとなんと8000億円ぐらいの新財源が生まれるという試算がある。これがワクチン開発に投入されていたらという話だ。要は対象人数が限られていても個人ではとても負担しきれない高額薬剤と胃薬や湿布薬のように疾病の深刻度は低いが保険給費請求者が膨大な数に上る医薬品が年齢別という一律の基準で保険給付されている現状は見直されるべきであろう。

診療報酬版マクロ経済スライドの導入

 医薬品への保険給付見直しによる8000億円の新財源創出は決して焼け石に水ではない。只,年間36兆円の保険給付費抑制策としては物足らない。もっと構造的な改革が求められる。その改革に年金制度は2004年に踏み込んだ。年金の長期見通しをベースライン(潜在成長率ベース)で見ると2018年度の57兆円が2040年度には70兆円を超えるが,GDP比率では2018年度の10%が2040年度には9.3%とその伸びは十分抑制されている。いわゆる年金支給額の増額を物価の伸びより1パーセントほど抑制する「マクロ経済スライド」が導入されたためである。

 これに対して医療費は現状の傾向値をそのままたどると,2018年度の39兆円から2040年度70兆円弱と年金の規模にせまる。対GDP比も7%から9%へと拡大してしまうが,20年間で2%のGDP比拡大,すなわち1年間で0.1%分のGDP比拡大分に見合った形で診療報酬の給付額上昇を抑え込んでいけば,年金同様,GDP比では横ばい,ないし若干の低下すら期待できることになる。診療報酬版マクロ経済スライド導入の考え方である。尚,診療報酬抑制の実現性については現在40兆円を超える国民医療費の50%近くが人件費,20%強が医薬品で,残り30%がその他経費だが,この分野こそICT活用による大幅削減が期待できる分野だ。

問われる社会保障改革の哲学

 社会保障制度審議会初代会長を務め,国民皆保険や国民皆年金の創設に道を開いた大内兵衛元法政大学総長のようなミクロ議論ではなくマクロの資源配分を前提におく改革の哲学をもった経済学者の役割が今また求められている。具体的には対GDP比という客観的な指標をもとに国民経済の社会保障資源配分をダイナミックに構想し実行していく姿勢だ。医薬品への保険給付について「大きなリスクは共助,小さなリスクは自助」という考え方のもと年齢別ではなく,薬効別に見直す。あるいは診療報酬の決定にも経済成長レベルとリンクした自動調整メカニズムを年金同様,導入して改革論議の脱政治化を図るといった思い切った政策提起が問われている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2851.html)

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