世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2807
世界経済評論IMPACT No.2807

WTO改革に一石投じるインドネシア

助川成也

(泰日工業大学 客員教授・国士舘大学政経学部 教授)

2023.01.09

未加工鉱石を次々に輸出禁止に

 インドネシアはその広大な国土から銅,ニッケル,アルミニウム,亜鉛など鉱物資源が産出され,資源国の顔を持つ。同国は2020年1月から未加工のニッケルの輸出を禁止した。またジョコ大統領は22年12月21日,「2023年6月から,ボーキサイト鉱石の輸出を禁止し,国内のボーキサイト処理および精錬産業を奨励する」との声明を出した。インドネシアでは予てより,国家の富である鉱物資源が何ら加工をせずに外国資本に収奪され,国民に利益が還元されていないとする不満の声が,議会関係者や国民の中にあった。

 インドネシアのニッケル鉱石等の輸出制限措置について,2019年11月に欧州連合(EU)が世界貿易機関(WTO)に提訴,2022年11月30日に小委員会(パネル)は協定違反と裁定した。しかし,インドネシアは政策の撤回を一顧だにしていない。ジョコ大統領は22年1月,「未加工資源の輸出禁止措置を着実に実施していく。WTOへ訴えられても構わない」と述べるなど,ニッケルに続いて,ボーキサイトの輸出禁止に取り組む姿勢を示していた(注1)。

 パネル裁定後,インドネシアはすぐに上級委員会に上訴した。上級委員会が協定違反と結論付ければ,措置の是正が求められる。仮に是正措置を履行しなかった場合,WTOが認めた形で,インドネシアに対して対抗措置が発動される可能性がある。ジョコ大統領の強気の背景には,そこで重要な役割を担うはずのWTO紛争解決機関(DSB)の機能不全がある。

 上級委員会は2019年12月以降,米国の反対で新委員の任命が出来ず,審査に必要な3名の委員が確保出来ず,機能不全に陥っている。パネル判断について上訴された場合,上級委員会の審理が終了するまでは,パネルの結果は採択されない。そのためインドネシアは,DSBの機能不全を承知で「空上訴」(appeal into the void)により,この紛争自体を塩漬けにしている。

 ただし上級委員会を代替する機能として,暫定的に多国間暫定上訴仲裁アレンジメント(MPIA: Multi-Party Interim Appeal Arbitration Arrangement)が発足,WTOの164加盟国・地域中,52カ国・地域が参加している。EUは,MPIA非参加国が空上訴した場合も対抗措置が採れるよう,2021年2月にEU改正規則を成立させたが,まだ利用実績はない。

WTOで奪われた産業育成手段

 インドネシアによる一連の鉱石の輸出禁止措置は,WTO体制へのアンチテーゼである。1994年のウルグアイ・ラウンド交渉妥結の際,WTOの設立も合意され,翌年に発足した。途上国は先進国市場の関税引き下げで得られるはずのメリットを実際には享受できない一方,WTO参加のため様々な義務を負わされ,先進国に対して強い不満と不信感を抱いた。

 東南アジアの国々はWTO参加により,これまでの経済発展モデルの放棄を迫られた。従来,企業にローカルコンテンツを課すことで,更にその上流に位置する部品企業などを誘致し,また輸出要求をすることで,国内産業に影響を及ぼさない形で,輸出指向型外国投資を集め,工業化のエンジンとしてきた。しかしWTO発足から5年後の2000年以降,各国による進出企業への特定措置の履行要求(パフォーマンス要求)は禁止された。これは新興各国にとって投資誘致と自国産業育成の有効な手段を取り上げられたことを意味する。

包摂的なWTO改革を

 ジョコ大統領は未加工鉱石の輸出を禁止し,「川下化によって,個人・法人税や地域の雇用機会など,国に多くのメリットが生まれる」と主張,実際に同分野の精錬所や電気自動車(EV)用バッテリー工場誘致に成功した。同国内のニッケル製錬所数は14年の2カ所から,20年には16カ所に増えた。またEVバッテリー工場建設には,韓国系LGグループ・現代自動車グループ,中国系CATL(寧徳時代新能源科技)が,それぞれ名乗りをあげた。

 WTOは企業を現地調達や輸出などの義務から解放し,「最適地生産・最適地調達」実現を目指せる環境を提供した。その一方,途上国の産業育成は大きな困難に直面した。インドネシアが未加工鉱石の輸出禁止に踏み出した遠因の一つもここにある。このままでは,資源を持つ国と持たざる国とで,新興国間でも格差が広がる可能性がある。

 現在,紛争処理制度を含めてWTO改革が進められているが,途上国の産業育成を促すべく配慮するなど,包摂的な観点からも制度見直しが不可欠である。インドネシアの鉱石輸出禁止措置は,WTO改革に対して,小さいながらも一石を投じた。

[注]
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2807.html)

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