世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
四重苦の下で進むEUの水素戦略
(立教大学経済学部 教授 )
2022.08.08
1.EUが直面する四重苦
ドイツとロシアを直結するNordstream1は,ロシアから欧州への天然ガス供給の3分の1を占めている。Nordstream1は,ウクライナ経由,ベラルーシ経由のパイプラインによる供給が増減を繰り返しながら減少してきたのとは対照的に,これまでは戦時下にあっても安定的に天然ガスを供給してきた。
ところが,ロシアは,タービンの定期点検を理由として,2022年6月半ばに供給を60%削減した。ガスプロムにガスタービンを供給したシーメンスが,メインテナンスのためにカナダに送ったタービンが経済制裁の対象となりロシアに直接戻せなくなっていたことは事実だが,7月12日,カナダ政府は,一時的に制裁の対象外とし,シーメンスに許可を与えることを公表した。しかし,7月14日,ロシアは,定期点検として供給を停止した。7月21日以降,供給は再開されたものの,供給量は8割減となっている。
EUは,ガス利用を15%削減する緊急対応を決めたものの,インフレ,貿易赤字,ユーロ安,ガス危機という四重苦に直面している。6月のユーロ圏のインフレ率は8.5%を超え,前年には月次で200億ユーロの黒字であったEUの貿易収支は,2022年5月には350億ユーロの赤字へと転落している。7月には,20年ぶりにユーロが対ドル等価割れする事態となった。しかも,7月30日時点におけるEUのガス備蓄は69%弱にまで到達しているものの,10月末までに最低80%の備蓄の達成が危ぶまれており,この冬が正念場となる。
2.REPowerEUとセクターカップリングの要としての水素
2022年5月,EUは,脱ロシア依存を掲げてREPowerEU計画を打ち出した。短期的な対策として,液化天然ガス(LNG)輸入の拡大を進めているが,価格の高騰やLNG輸入設備の制約に直面している。同時に,EUは,中期的な措置として,①送電網・貯蔵施設へ追加投資と②太陽光発電・風力発電への投資の強化を打ち出し,再生可能エネルギーの割合を45%に引き上げ,さらに2027年以降の長期的な対策として,③水素生産を抜本的に強化しようとしている。
実は,上記①②③は不可分の一体の政策である。太陽光や風力発電は,可変再生可能エネルギー(VRE:Variable Renewable Energy)であり,しばしば「お天気任せ」,「風任せ」と揶揄されてきた。確かに,VREは,パッケージ化され貯蔵・輸送が比較的容易で直接の熱利用も可能な化石燃料とは異なっている。これを考えれば,VREを有効利用するには,少なくとも2つの条件が必要である。
第1に,送電,貯蔵,バックアップのインフラを整備し,かつデジタル技術を利用したリアルタイムの需要管理システムを構築することによって電力系統の柔軟性を高めなければならない。
第2に,これまで化石燃料の依存してきた産業において電化を進める,あるいは再エネ由来の電力を利用して水素,アンモニア,メタノールなどを製造し,電力部門と産業,交通,熱利用などの部門と連携させるセクターカップリングを進めることである。安価な再エネ余剰電力により水素が製造できれば,貯蔵・輸送が容易になり,かつ様々な産業分野で活用できる展望が開けるからである。つまり,水素は,このセクターカップリングを実現する上で要の位置にある。
だからこそ,EUは,2020年7月8日に,水素戦略とエネルギーシステム統合戦略をパッケージで公表したのである。後者によれば,①廃熱利用など循環型のエネルギーシステムの構築,②産業,建物,交通などエンドユーザーの電化とともに,③重工業や交通など電化に困難が伴う部門において水素を積極的に活用する必要がある。
3.水素の商流づくりが始まっている
こうした考え方に基づき,EUは,2021年12月に「再生可能ガス,天然ガス,および水素の域内市場」の共通ルールと域内市場に関する指令案を作成し,水素の商流(つくる,運ぶ・貯める,売る,使う)の創出に着手している。
IEAによれば,現状では世界の水素の6割は化石燃料由来のグレー水素であり,再エネ由来のグリーン水素はCCUS(CO2の回収・貯蔵・利用)によるブルー水素は1%にも満たない。しかし,IEAの2050年気候中立シナリオによれば,水素は5倍以上に増加し,その多くがグリーン水素になる。それでも,水素が温室効果ガス削減に貢献する割合は6%であり,その限りにおいて水素の役割は小さく見える。しかし,見落としてならないのは,VREを主力電源化し,あらゆる産業分野の生産工程において脱炭素化を進めるためには,水素を媒介としたセクターカップリングの実現が不可欠だという点である。
EUのREPowerEUには,水素アクセラレーター・イニシアチブという新機軸が組み込まれた。これによれば,2030年までに域内の水素生産を1,000万トン,水素輸入を1,000万トンに拡大する。これを実現するために,EUは,2つの策を講じている。
第1に,2022年6月,デマンドレスポンスへの対応や水素利用の拡大に適応するために,TEN-E(トランス・ヨーロピアン・エネルギーネットワーク)規則が改正された。これに基づき,欧州委員会は,欧州エネルギー機関調整機構(ACER)と欧州ガス系統運用者ネットワーク (ENTSOG)などと協議を開始し,2022年10月にはEUの共通利益に資するとして財政支援を受ける優先プロジェクト(IPCEI)の対象となる水素インフラプロジェクト候補を公表する予定である。この動きを,ガス系統サービス企業31社からなる民間団体(European Hydrogen Backbone Initiative)が後押ししている。
第2に,EUはグリーン水素やバイオエネルギーの輸入を確保するために,REPowerEUを補完する文書EU external energy engagement in a changing world, JOIN(2022)23を公表している。これによれば,欧州委員会は,EUの水素市場のルールを国際標準化し,欧州に再エネ由来の水素貿易のハブをつくり,水素貿易においてユーロ建てのベンチマークを構築することを目指している。
4.セクターカップリングの要としての水素の役割の具体化
VRE大量導入の時代を迎えると同時に,化石燃料依存の地政学リスクが高まっている今日,国産の再エネ由来の余剰電力を賢く使えるシステムを構築するためにも,水素の商流を作り出すことが喫緊の課題となっている。強調しておきたいのは,単に水素について語るだけでは不十分であり,セクターカップリングの要としての水素の役割と産業ごとの水素利用の具体策について検討していかなければならないという点である。
- 筆 者 :蓮見 雄
- 地 域 :欧州
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :資源・エネルギー・環境
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