世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2570
世界経済評論IMPACT No.2570

インド太平洋経済枠組み(IPEF)を立ち上げ:2つのジレンマへの対応が課題

石川幸一

(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)

2022.06.13

 2022年5月23日,東京で米国,日本など13か国はインド太平洋経済枠組み(IPEF)を設立するためのプロセスを立ち上げた(注1)。参加国は,米国,豪州,ブルネイ,インド,インドネシア,日本,韓国,マレーシア,ニュージーランド,フィリピン,シンガポール,ベトナムで26日にフィジーが加わり,参加国は14となった。IPEFは,2021年11月の東アジアサミットでバイデン大統領が構想を明らかにし,2022年2月11日に発表された「インド太平洋戦略」で,2022年の早い時期に新たなパートナーシップを開始することを行動計画で示した(注2)。対象分野は①高いレベルの労働と環境基準を満たす貿易への新たなアプローチ,②新たなデジタル経済枠組みを含むオープンな原則に従ったデジタル経済と越境データフローのルール作り,③多元的でオープン,予測可能な強靭で安全なサプライチェーンの推進,④脱炭素化とクリーンエネルギーへの共有された投資である。

 IPEFは,①貿易,②サプライチェーン,③クリーンエネルギー・脱炭素化・インフラ,④税・腐敗防止の4つの柱で構成されており,デジタル経済のルールが貿易に統合され,税・腐敗防止が加わった。IPEFは貿易を対象としているが,自由貿易協定ではなく関税撤廃などの自由化を行うものではない。経済連携構想であるが,RCEPやCPTPPなどの経済連携協定とは異なっている。

 IPEFの目的は,参加国経済の強靭性,持続可能性,包摂性,経済成長,公平性,競争力を高めることである(注3)。なお,ホワイトハウスのファクトシートは,IPEFが米国の労働者,小企業,農家がインド太平洋での競争を可能とし,サプライチェーン強靭化によるコスト低下によりインフレ抑制に寄与するなど米国の労働者や農民の利益になることを強調している。従来の貿易協定と異なる構想とした理由については,過去の経済関与のモデルではクリーンエネルギー,デジタル分野のイノベーションなどの新たな挑戦に取り組めず,労働者,企業,消費者を脆弱にしていたと説明している。

ASEANへの配慮と参加国

 IPEFは,米国が貿易や投資の自由化を行わないため参加のメリットがないとしてASEAN諸国は参加に消極的といわれていたが,ASEAN7か国を含む14か国が参加した。ASEAN主要国が参加しないとIPEFは失敗という見方があっただけに立ち上げは成功と評価できる。ASEAN各国が参加したのは,4つの柱への選択的な参加が認められたためである(注4)。台湾は参加していないが,中国との緊密な外交・経済関係をもつASEAN各国への配慮からである。4つの柱への選択的参加と台湾の不参加は,ASEANに対する米国の配慮が示されている。

 ASEANでは,ミャンマー,カンボジア,ラオスは参加していない。ミャンマーは人権と民主主義への侵害への理由があり,米ASEANサミットに招待されていなかった。カンボジアとラオスは政策実施能力への懸念があるためである。インドはQuadのメンバーとしてサプライチェーン強靭化などで米国と協力しており,RCEPと異なり貿易自由化義務がないことから参加には問題はなかった。カナダ,メキシコ,ペルー,チリなどCPTPP参加国は招待されておらず,米州サミットでこれらの国と議論を行うとしている。台湾はIPEF参加に関心を示し米議会の250名の議員が台湾の参加を要望したが,中国との関係悪化を懸念する東南アジアおよび南アジア諸国の参加を確保するために台湾の参加は見送られた。

2023年のAPEC首脳会議が妥結目標か

 ASEANの参加のハードルを低くするために4つの柱への参加は自由選択となったが,参加国がどの柱に参加するのかは明らかにされていない。交渉をどのように進めるのかも明らかにされていない。4つの柱は対象分野が示されているだけで詳細な説明はない。IPEFでは米国が関税引下げなど市場アクセスで譲歩をすることがないため,米国が4分野で高いレベルのルールなどを求めても参加国が譲歩をするインセンチブが低下する。なお,IPEFは関税撤廃を行う伝統的な貿易協定ではなく,米国議会の承認を求める必要はない。

 IPEFの交渉がどのように行われるかは明らかにされていないが,今後,参加国が参加を望む柱を明らかにし米国が閣僚会議を開催,柱ごとにグループに分かれ交渉が始まるとみられる(注5)。4つの柱は,貿易がUSTR,残りの3つの柱は商業省が管轄している。そして,2023年11月に米国で開催されるAPEC首脳会議が交渉をまとめる目標とされ,分野によっては早期に妥結するアーリーハーベストも考えられる。

4つの柱の概要

 貿易は,ファクトシートでは連結した経済(Connected Economy)となっている(注6)。対象とするのは,越境データフローとデータローカライゼーション,オンラインのプライバシーとAIの差別的で非倫理的な使用などを含み,中小企業が電子商取引から恩恵を受けることができることを確保するデジタル経済と新興技術の高い水準のルール,労働者の利益となる労働と環境,企業の説明責任,貿易円滑化,透明性とよき規制慣行である(注7)。タイUSTR代表は,6月6日にIPEFのルールを守らない企業に罰則を課す紛争解決メカニズムの導入の可能性について言及した(注8)。

 サプライチェーンは,ファクトシートでは強靭な経済(Resilient Economy)となっている。サプライチェーンの透明性,多様性,安全性,持続可能性の向上,危機対応策の調整や混乱の影響の軽減などのための協力,ロジスティクスの効率と支援の改善,主要原材料・加工材料,半導体,重要鉱物,クリーンエネルギー技術へのアクセスの確保などを行う。早期警戒システムの確立,重要鉱物のマッピング,主要セクターでのトレーサビリティの改善,多角化なども行う。

 クリーンエネルギー・脱炭素化・インフラは,ファクトシートではクリーンな経済(Clean Economy)となっている。経済の脱炭素化,気候の影響に対する強靭性,クリーンエネルギー技術の開発と展開の加速,持続可能で耐久性のあるインフラの開発と技術協力などのために技術協力の深化と譲与的融資を含む資金の動員を行う。再生可能エネルギー,炭素の除去,エネルギー効率基準,メタンガス排出と戦う新たな措置を含む気候変動対策のための努力を加速する。

 税・腐敗防止は,ファクトシートでは公正な経済(Fair Economy)となっている。租税回避と腐敗を抑制するために,効果的で強固な税制,マネーロンダリング防止,贈収賄防止制度の制定と施行により公正な経済を促進する。税に関する情報交換,米国の基準による賄賂の犯罪化,腐敗を根絶するための努力を強化するための提言の施行などの規定が含まれる。

意義と課題:2つのジレンマにどう対処するのか

 中国が一帯一路構想,AIIB,2国間FTAに加え,RCEPによりインド太平洋地域で影響力を着実に増し,昨年はCPTPPとDEPA(デジタル経済協定)に加入を申請するなど関与を一層強めようとしている。一方,TPPから離脱した米国はバイデン政権になっても復帰の姿勢をみせておらず,インド太平洋戦略は経済戦略の欠如が問題点として指摘されていた。IPEFの意義は米国のインド太平洋地域への経済的関与を明確にしたことである。ASEAN主要国は米中両国と外交経済関係を維持しており,米中対立の中でどちらかを選択することを忌避してきたが,中国が経済的影響を強める中で米国の経済面の関与を強く望んできた。IPEFは各国の期待する米国市場へのアクセスを含んでおらず,不満はあるもののインド太平洋への経済的関与の第一歩といえる。

 IPEFは課題も多い。4つの柱により取り組む分野を示したが,どのように実現し実施するのか具体化はこれからである。また,米国の要求が多い一方で実益は小さいという見方がASEAN各国などで多い。IPEFには2つのジレンマがある。すなわち,高いレベルの目標を掲げると途上国の参加が難しくなるという目標と途上国の参加ジレンマ,中国への対抗色を強く出すと中国との良好な関係を望むASEAN各国の参加が難しくなるという中国対抗と途上国参加ジレンマである。ASEANを中心に途上国の参加を確保することがIPEFの成功の要件であるためだ。日本では「中国包囲網」,「中国への対抗軸」という位置づけで報じられているが,反中国色を強く打ち出しておらず,中国との競争と途上国の協力の確保をどう進めるのかがIPEFの課題である。クリーンエネルギー分野やデジタル経済分野,インフラ整備では米国(および他の先進国)の資金援助や技術協力への期待は大きい。途上国への要求と協力をバランスをとって進めることがもう一つの課題である。

[注]
  • (1)外務省「繁栄のためのインド太平経済枠組みに関する声明」,2022年5月23日。
  • (2)同上。
  • (3)同上。
  • (4)貿易に参加する国は全ての柱に参加することが条件となっているという指摘がある。滝井光夫「米国のインド太平洋戦略と経済枠組み(IPEF)」,世界経済評論インパクトNo.2427,2022年2月21日。
  • (5)Aidan Arasasingham, Unpacking the Indo-pacific Economic Framework, CSIS, May 23,2022.
  • (6)4つの柱の説明は,上記声明とファクトシートによる。
  • (7)USTR, On-the-Record Press Call Remarks by Ambassador Katherine Tai on the Launch of the Indo-Pacific Economic Framework, May 23, 2022.
  • (8)World Trade Online, June 6 2022.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2570.html)

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