世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
APECのメンバーとしてのロシアに関する雑感
(千葉大学大学院国際学術研究院 教授)
2022.05.23
以下では,APEC(アジア太平洋経済協力)のメンバーとしてのロシアについて,これまでの研究活動を踏まえて雑感を記してみたい。
経済面において,ロシアの1人あたり所得は1991年(ソビエト連邦の崩壊した年)に3490ドル,1998年(ロシアがAPECに加盟した年)に1835ドルまで減少した後,2020年に10127ドルと伸長したが,APEC加盟エコノミー(注:APECでは国家主権を巡る議論への配慮から,「国」と言わず「エコノミー」と称する)の平均が1991年に5604ドル,1998年に6986ドル,2020年に17860ドルであったことからすれば,ロシアの所得水準は決して高いとはいえない(統計数字はオンラインサイト“StatsAPEC”より)。
APECにおいては政治体制の違いはあるものの,実質的にすべての参加エコノミーが市場原理を導入して,貿易・投資の自由化・円滑化および経済・技術協力を行うことが活動の中心で,ロシアは1998年にAPECに加盟することで,貿易・投資の推進および経済・技術協力の受け入れをアジア太平洋の国・地域(エコノミー)から行うことを見据えてきた。筆者は2012年にロシアがAPECの議長エコノミーとなった年に,ロシアの地方都市カザンにてAPEC研究センターの国際会合(ロシアAPEC研究センター主催)に参加した。その際に,何人かのロシア人研究者と意見交換を行い,「ロシアは宇宙開発や軍事技術に直結する基礎科学的な個別研究分野では優れているものの,個々の科学者間のネットワークやチームワークが未発達で,基礎科学の産業面への応用には課題がある。このため産業分野での生産性は低く,広大な領土全体での経済発展に大きなネックになっている」という主旨の指摘が多かったことを印象深く記憶している。ロシアは,APECをあくまで自らの経済発展(たとえば極東地域の開発および北極海航路のさらなる開拓)の機会として活用しようとしてきたといえる。
ここで領土に関連して,話題は逸れるが,現在のロシアの国章(ネット検索で画像が閲覧可能)は,何度かの修正の後に1993年に採用され,2000年にプーチン大統領によって法的な効力を持つものとなった。中心となっている鷲のような生き物(頭は2つ)が力強く描かれており,2つの頭が結合された部分も含めて合計3つの「頭部」にそれぞれ王冠が載せられている。この国章の意味については,ロシアの複雑な歴史を反映した種々の解釈が可能であるが,地政学的には,大ロシア(現ロシア),小ロシア(ウクライナ),白ロシア(ベラルーシ)という3つの「王国」の一体性を示すものとして説明されることもある。その説の根底には,「ロシア」が全体として(上記の周辺国も含めて)1つの国家であり,領土の統一と拡大こそが国是もしくは国家的な正義となっていることを明示しているように思われる。鷲のような生き物はまさに力強さを象徴しているかのようで,その意味では,経済発展という観点は,ロシアにとって領土の統一と拡大に比べて,あくまで二次的な目標に過ぎないのであろう。
APECにおいては政治的な議論は一切なされないこととなっているが,実際には政治的対立の経済への影響は不可避で,ロシアは2023年のAPEC諸会合で米国が議長エコノミーを務めることに,当初は不支持を表明した(2021年11月の表明)。ロシアをめぐる安全保障および政治情勢の悪化を受けて米国がロシアに課した経済制裁が理由とみられた。その後,他のAPECメンバーからの賛同によって米国による2023年議長の任は確定したが,経緯を見ると政治面と経済面が相互依存の関係にあることは明らかである。
本年(2022年)のAPEC会合で議長エコノミーを務めるタイは,2022年5月4日付けでインドネシア(G20の2022年議長国)およびカンボジア(ASEAN会合の2022年議長国)とともに共同声明を発出し,「すべてのパートナーおよび利害関係者(all partners and stakeholders)」(言外にロシアを含むことになる)と協力的な精神で行動し,ともに11月に開催されるG20およびAPECの首脳レベル会合を開催していく旨を表明している。米国,ロシア,中国,そして日本を含めたアジア太平洋地域の政治的なリーダーが一堂に会し,経済問題のみを討議する場としてのAPECの今後の動向を注視したい。
- 筆 者 :石戸 光
- 分 野 :特設:ウクライナ危機
- 分 野 :国際経済
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