世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
人権問題への対応にみる日本の特異性と課題
(福井県立大学 特任教授)
2021.09.13
技術覇権を巡る米中二国間の対立という構図が,民主主義対権威主義といった民主主義の根幹を揺さぶる二項対立へと発展する兆しを見せている。背景には,経済のグローバリゼーションによって生産ネットワークが複雑化する中,国際社会における中国の影響力が増大し続けていることへの欧米諸国の危機意識がある。それが如実に現れたのが2020年6月に開かれた国連人権理事会であった。中国による香港国家安全維持法導入の賛否が問われた際,賛成が反対のほぼ倍に当たる53か国に達していたのである。その後の民主主義陣営の危機意識の現れは,欧州議会がウイグル人権弾圧問題で中国の報復制裁に対して決議した「中欧投資協定の凍結」においてより顕著となっている。
こうした中,対応が後手に回っているのが日本である。日本政府は2021年6月25日,懸案だった東アジア地域包括的経済連携(RCEP)協定の受託書をASEAN事務局長に寄託した。RCEPは,人権弾圧で国際的な非難を浴びている中国とミャンマーが参加していることから,国会でも批准には慎重意見が出ていたが,結果的に,日本は米国や欧州連合(EU)とは対照的な政策をとったことになる。今回の批准は,未だに「地域的人権条約」が創設されていないアジアにおいては,現実的にやむを得ない部分があるとはいえ,もう少し,議論すべきではなかったのか。諸外国から見た場合,「日本は他国の民主主義や人権よりも自国の経済を優先する国」との誤ったメッセージとなった可能性は否めない。なぜなら,日本は,前述の国連人権理事会において,香港の国安法に懸念を示す共同ステートメントに参加しているほか,その後に開かれた国連での人権会議でも,新疆などにおける中国の人権侵害を批判する声明に署名しているが,今回は結果的に,それとは矛盾する政策を採用したことになるからだ。当に,ハンチントンが『文明の衝突』で論じたように,日本は「東洋にも西洋にも属していない……唯一単独国家で固有の文明を持つ国」であるのかもしれない。それでも日本は,譲れない価値観については,より強いメッセージを送るべきだったのではないだろうか。市原(2020)は,日本の価値観外交は,中国だけでなく東南アジア諸国とも良好な関係を築くべく,反中的でないことを明確にしようと努めてきたが,その結果(意図せずに)権威主義国政府を支援したり,自由主義的価値を侵害したりする恐れがある,として今後はより積極的なアプローチを取り入れる必要性があると論じている。全く同感である。RCEPに関して言えば,交渉開始当初とは大きく環境が異なる今,日本こそ,加盟国間で人権問題や環境問題などに関する意識の共有や協力を推進する旗振り役を買って出るべきである。
一方,RCEPに限らず,日本がこれからの国際貿易のルールづくりにおいて主導的役割を果たすつもりであるならば,少なくとも国家としてのポジションを明らかにしていくことが重要である。具体的には,経済連携を進めつつも,加盟国の中で人権弾圧や環境破壊などがあった場合,それを抑制または非難しうる法的な根拠を持っておくべきである。そのためにも,人権侵害制裁法や国境を越えたサプライチェーンを含む人権・環境デューデリジェンスの立法化を進めるべきであろう。
日本は現在,外国での深刻な人権侵害に制裁を科す法律がG7で唯一ない国である。それでも,2011年に国連人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」に基づき,日本政府が2020年10月にまとめた「ビジネスと人権」に関する行動計画では,企業が事業活動に伴う「人権デューデリジェンス」について「導入を期待する」としてサプライチェーンを含めた人権問題にも配慮するよう求めている。しかし,企業の自助努力に頼るやり方では,コロナ対策の二の舞を演じてしまうことにならないか。ルール化を通じて企業意識を高めることが,結局は企業価値の向上につながることを認識すべきである。
最後に,国際的な人権問題などに際して,法整備との関連で日本が対処すべき課題として,2点指摘しておきたい。1点目は,体制の整備である。たとえば,海外で人権侵害などの疑いがあった場合,その正否を調査・分析する機関が日本には存在しない。国際的なネットワークの構築も含め,早急に対処すべきである。2点目は,意識改革の必要性である。茂木外務大臣は2021年4月7日の衆院外務委員会での関連質問に対し,環境問題と比した際の企業の人権問題に対する意識の低さを挙げ,まずは,企業意識の醸成が重要との考えを示している。そのとおりではあるが,現実に今,起きている問題は,サプライチェーン上での人権保護に関する欧米での法制化や規制強化によって,違反で輸入差し止めや取引中止のみならず,企業イメージの低下にまで追い込まれる経営リスクが急激に高まっていることである。さらに,EUは年内にも罰金つきの法案を公表する。このような情勢下でなすべきは企業の自己責任もさることながら,むしろ,サプライチェーン各国において難しい判断を迫られている企業の正当性を国が法的に担保することで,日本の価値観を世界にアピールするとともに,全従業員が安心して働ける環境を提供していくことではないだろうか。米軍の撤退に際してのアフガニスタンからの国外退避における日本大使館をはじめとする日本政府のオペレーションを見る限り,意識の醸成が必要なのはむしろ政府の方かもしれない。人権問題に関するキャパシティビルディングの醸成が急がれる。
[参考文献]
- 市原麻衣子(2020)「普遍性から多元化へ:日本外交における価値」,船橋洋一+ジョン・アイケンベリー編『自由主義の危機』pp.120-147 東洋経済新報社
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