世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1934
世界経済評論IMPACT No.1934

国際経済の政治的トリレンマから見た米中覇権争い

池下譲治

(福井県立大学 教授)

2020.11.02

 米ソ冷戦の終結は世界経済のイデオロギー論争が決着したことを世界に示すものであった。その結果,ICT革命とともにグローバリゼーション2.0は一気に進んだ。その際,問われたのは,国際経済の政治的トリレンマの問題をどう克服していくかであった。国際経済の政治的トリレンマとは,国家主権,グローバル化,民主主義の3つの政策目標や統治形態のうち2つは達成できるが,3つすべてを達成することはできないというもので,ダニ・ロドリックが2000年の論文で発表した。

 このうち,「民主主義とグローバル化」を選択したEUでは,通貨統合まで果たし,単一市場を完成したが,同時に,国家主権は大幅に制限されることとなった。その結果,「民主主義の赤字化」問題が表面化したイギリスでは,国家主権を取り戻すべく,EU離脱(Brexit)の道を選ぶに至っている。

 一方,元々,WTOなど超国家的な組織の創設に対して否定的な意見があった米国では現在,購買力平価でみた労働者の実質賃金が過去40年間でほとんど変わらない中,民意にも押される形で,「民主主義と国家主権」が選択されている。トランプ大統領はTPPやパリ協定からの離脱をはじめ,WTO上級委員会の後任人事を拒否するなどグローバル化を制限した上で保護主義的な政策を遂行しつつある。こうした選択は,1929年の世界恐慌以降の世界でも見られたものである。

 最後に,中国だが,元々,民主主義という選択肢がないことから,グローバル化を取り入れるに際して,制度的にもっとも失うものの少ない国であったということができる。ミラノヴィッチが著書『大不平等』で明らかにしたように,グローバリゼーションによって,世界でもっとも利益を得たのは中国人であった要因のひとつがここにある。しかし,今,問題になっているのは,中国の一人勝ちの裏には,グローバル競争を有利に進めるための国営企業への補助金や内外無差別原則などグローバル経済に参入する際のルールを守っていない可能性が高いことである。

 ここで理解しておくべきは,現在の中国は,鄧小平によって一般的な権威主義の国に変わりつつあった中国ではなく,フランシス・フクヤマも指摘するように,習近平率いる中国共産党によって「20世紀のソ連のような全体主義を志す国家であるという事実だ」。習近平は2012年に就任するや否や,政府や軍に蔓延していた汚職の撲滅に乗り出したほか,環境規制や貧困の撲滅にも着手した。さらには,一般大衆の日本旅行を解禁して過度な反日感情を緩和したほか,「一帯一路」による国際貢献と米と二分する新たな世界経済の盟主候補として名乗りを上げるなど確固たる地位を確立していった。中国の大衆はそんな習近平劇場に快哉を叫んだに違いない。若いころの貧困地帯の農村での経験などから,習近平が惹かれたのは「自由」よりも「平等」な社会であったことは想像に難くない。その手段として,彼が採用したのが全体主義的な統治方式であった。フクヤマによれば,現在,中国では,憲法に「習近平思想」の名を借りたマルクス・レーニン主義が書き込まれ,再びすべての学校でそうした教育が行われている。こうした中,思想や信仰の自由は奪われ,新疆ウィグル自治区では100万人以上のイスラム教徒が再教育収容所に収監され,イスラム教の放棄を迫られている。さらに,南シナ海での領土侵犯など好戦的な「戦狼外交」も際立っている。特に,コロナ禍で強行した香港国家安全維持法の施行は中国に対する国際的な信頼と評価に深刻なダメージを与えるものであり,これまで,中国寄りだったドイツなどの欧州諸国も距離を置き始めている。

 このように,習近平率いる中国共産党が民主主義を脅かす存在となっている以上,日本も他の自由民主主義国家と足並みを揃え,中国に協力すべきところと拒否すべきところを明確に分けるべき段階に差し掛かっていると言えるだろう。

 一方,米中対立もさることながら,中国が内包する本当の脅威は内部の権力争いである。明の時代に,当時,世界最大の経済大国であった中国は,その後の鎖国的政治体制によって,自らの手でヨーロッパとの交流の機会を断ち切り,その後の衰退を招いた。グレン・ハバートとティム・ケインが著書『なぜ,大国は衰退するのか』において,「中国が実現したあらゆる革新の中で,もっとも経済的に重要だった」と評価した造船技術が失われたのは,実は,過度に中央集権化した体制が招いた内部闘争の結果であった。権力が過度に集中する制度の脆弱性は歴史が証明している。

 鍵を握るのは経済成長である。鄧小平は1992年,「南巡講話」の中で,「社会主義は貧困ではなく,繁栄なのだ」と述べ,「改革・開放」のカギは経済発展に掛かっていることを明らかにしたうえで「もしも,国境の向こう側の国と比べて,自分たちのほうが貧しいと大衆が感じるようなら社会主義は崩壊する」と言っている。中国では,生産年齢人口が2018年をピークに減少し始め,全要素生産性(TFP)もリーマンショック以降,マイナスとなっている。ただし,外貨準備高が3兆ドルを超える中国経済が一気に落ち込む可能性は低いことから,しばらくは,米中間のにらみ合いが続くとみるべきであろう。

 こうした中,もうひとつの問題は,米国が世界の規範となる姿勢を示せなくなってしまったことである。そのうえで,留意すべきは,覇権国家と新興大国との間で戦争を不可避とする「トゥキュディデスの罠」のような事態は誰も望んでいないことである。そのためにも,米中間の争いはあくまでも技術覇権の分野に止めておくことが肝要である。中国の南シナ海への領土侵犯に関しては自制を促す国際間の監視体制も必要であろう。最悪の事態に備える上で,もっとも重要なのはロシアとの関係である。ロシアが中国と組むことがないよう,国際間で協力し合うことが大事である。最後に,これら3か国との関係が深い日本は黒子となって影響力を行使すべきである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1934.html)

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