世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1800
世界経済評論IMPACT No.1800

世界初の国際間水素サプライチェーン:ブルネイの水素化プラント

橘川武郎

(国際大学大学院国際経営学研究科 教授)

2020.07.06

 2020年の2月,ブルネイ・ダルサラーム国(ブルネイ)の水素化プラントを見学する機会を得た。19年11月に竣工した同プラントで製造された水素は,有機ケミカルハイドライド法を用いて,トルエンと混ぜMCH(メチルシクロヘキサン)にして常温・常圧下で日本に海上輸送され,つい最近完成した神奈川県川崎市臨海部の脱水素プラントで水素に戻して,隣接する東亜石油での水素発電等に使用される。この壮大なプロジェクトは,NEDO(国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構)の「国際間水素サプライチェーン実証事業」として取り組まれているが,この種のものとしては世界初の試みであり,日本の水素利活用戦略全体にとっても,貴重な突破口となる位置づけを与えられている。

 この実証事業の実施主体として結成された次世代水素エネルギーチェーン技術研究組合(Advanced Hydrogen Energy Chain Association for Technology Development, AHEAD)に参加するのは,千代田化工建設・三菱商事・三井物産・日本郵船の4社。コア技術である有機ケミカルハイドライド法を開発したのは,千代田化工建設だ。

 千代田化工建設にとってブルネイと川崎を結ぶ国際間水素サプライチェーンの構築は,同社が力を入れる「SPERA水素」事業の本格的な第一歩に当たる。SPERAとは,ラテン語で「希望せよ」という意味をもつ言葉である。この水素技術によって世界中の人々により良い未来を希望してもらいたい,という想いを込めたネーミングだ。

 真冬の成田空港からロイヤルブルネイ航空の直行便で6時間余りをかけて,気温30°超のブルネイ国際空港に降り立った。ブルネイは,ボルネオ島(カリマンタン島)北部に位置する人口40万人ほどの小国である。一方で,日本向けの天然ガス輸出などで「世界一豊かな国」と呼ばれることも多い。

 首都バンダルスリブガワンから南西へ車で1時間ほど走ったスンガイリアンに,AHEADの水素化プラントは立地する。隣村のルミットにあるブルネイLNG(BLNG,LNGは液化天然ガス)からパイプラインでオフガスの供給を受け,三菱化工機製の水素リファーマーなどを使って,水素を製造している。年間の水素製造能力は,210トンだ。

 製造された水素は,AHEADのプラントでトルエンと混ぜられ,MCHとなる。そのMCHは,ISOタンク(国際標準化機構の基準をクリアした20フィートコンテナ)に収納され,トレーラーで,ブルネイ東端のムアラ港へ約90km陸送される。

 ムアラ港からMCHを収納して約2500km離れた川崎へ船で運ばれたISOタンクは,帰路にはトルエンを積んで戻ってくる。AHEADはこのISOタンクを65基有しているが,水素化プラントを訪れたとき,たまたまそのうちの1基を目の当たりにすることができた。コンテナの側面には,NEDOとAHEADのロゴが刻まれていた。

 2017年の設計時点からAHEADの水素化プラントの運営をおもに担当するのは,千代田化工建設だ。見学した時点で,同プラントには,16人の日本人と10人のブルネイ人が働いていた。安全確保とデータ分析についてそれぞれブルネイ人の女性職員に説明していただいたが,世界初の国際間水素サプライチェーンの一翼を担うことに関して,強い誇りをもたれていることが印象的だった。

 NEADの実証事業であるため,水素化プラントの運転は,1年ほどで停止されると聞いた。率直に言って,「もったいない」と思う。同プラントに対するブルネイ国民の関心は高く,期待は大きい。バンダルスリブガワンの街に水素ステーションを作り,燃料電池バスを走らすなどして,水素化プラントを将来にわたり活用する手立てはないものだろうか。

 水素化プラントからの帰路,2カ所に寄り道した。

 一つは,ロイヤル・ダッチ・シェルのブルネイでの事業開始90周年を祝うモニュメントだ。水素化プラントの西方に位置するセリアには,瀟洒な住宅や整ったインフラ施設が並ぶロイヤル・ダッチ・シェルの「コロニー」が展開する。1928年にブルネイで油田の掘削を始めた同社は,今も,油田の開発と製油所の運転を続けている。海に面した立派なモニュメントからは,ブルネイを資源大国に押し上げる基盤を支えてきたスーパーメジャーの矜持が感じられた。

 もう一つは,門の外から見たブルネイLNGの輸出基地である。あわせて,近くの海岸からは,パイプラインで結ばれた4.5km沖合のジェティ(桟橋)も遠望することができた。ちょうどLNG船も,着桟していた。

 世界的に「LNGの時代」を切り拓くことになった東京ガス・東京電力のアラスカからのLNG導入が実現したのは,1969年のことである。東京ガスは,アラスカ・プロジェクトに続く第二弾として,ブルネイ・プロジェクトに取り組んだ。69年9月,東京ガス・大阪ガス・東京電力の3社はシェル・ペトローリアム・エヌ・ヴェー社および三菱商事と合意書を交わし,それをふまえて70年6月にLNG売買契約を締結した。72年12月,ブルネイ・プロジェクトの第1船として「ガディニア号」が泉北工場専用桟橋に着船し,ここに大阪ガスのLNG利用が始まった。

 アラスカ・プロジェクトで輸出元となったLNG基地は,現在,使われていない。したがって,今も活躍するブルネイLNGの基地は,日本向けの最古の輸出基地ということになる。

 今回の見学を通じて,ブルネイが日本にとっていかに大切な国であるかが,よく理解できた。両国の新たな絆となった国際間水素サプライチェーンが短期に役割を終了することなく,長期にわたって活躍を続けることを心から期待する。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1800.html)

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