世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1753
世界経済評論IMPACT No.1753

コロナ感染症の跋扈する中での大学に関する雑想:「グローバル人材」教育の終焉?

榎本俊一

(関西学院大学 准教授)

2020.05.18

 世界経済評論Impactは単発の寄稿が原則である。本稿もそのルールに従い独立単発の寄稿であるが,コロナ感染症により社会機能が麻痺する中で,大学を何とか機能させさようとする努力の一翼を担わせていただく身としては「大学とは何なのか」は常に念頭を去らない問題であり,引き続き大学に関する雑想を述べさせていただく。

 日本の大学改革は1990年代後半に産学官連携からスタートし,2000年代に制度改革に焦点が移り,「産業競争力の再強化」の観点から,文系では実務家教員の登用,企業等との提携による社会ニーズを反映したプログラム開発などが行われた。1990年代末以降のリストラ過程で,終身雇用を前提とした企業内教育制度が機能低下すると,それまで企業が内部化してきた人材教育を大学で肩代わりすることが求められるようになった。大学教育は多面的なものであり,見る人の立場・考えにより見え方は異なるが,大学改革を産業界と推進してきた通商産業省・経済産業省に所属した者には,その展開は以上に映る。では,今や大学の一つの主柱である「グローバル人材」とは何時から現れたものなのか?

 「グローバル人材」という言葉のなかった時代も,日本は第二次大戦後GATT体制の下で米国など海外成長の取込みにより発展を遂げてきたことから,日本人全員ではないにせよ,志ある者や,経済実務の一線に立つ者はグローバルな活動に従事してきた。彼等が欧米人に負けないパフォーマンスを発揮できなければ,日本は“Japan as Number One”(Ezra Vogelの1979年著作のタイトル)の水準まで到達できなかっただろう。したがって,古くは1960年代から「国際化」が叫ばれ,1980年代には社会・人間の「国際化」は社会・経済・文化のあらゆる面で目標だった。

 小澤征爾氏はなぜ日本で圧倒的な知名度と人気を誇るのか? 戦後,外貨持出し制限がある中,身一つで,かつ,片言のフランス語しかできないまま(貨物船で)渡欧し,指揮棒一つで欧米音楽界に参入(有色人種の指揮者はほんの一握り)。西洋音楽の本場で,西洋音楽の伝統を文字通り受け継ぐライバルとの切磋琢磨の中で,自らの音楽性・団体管理能力を鍛え上げ,サンフランシスコ交響楽団,ボストン交響楽団の音楽監督まで成長した氏は,文化面での「国際化」のトップ・ランナーだったからである。これは「グローバル人材」ではないのか? だが,2000年代,ウィーン国立歌劇場音楽監督となっても,氏は「グローバル人材」とは讃えられていなかったはずだ。吉田(2014)によれば「グローバル人材」は2010年代以降流行の和製語であり,どうも筆者の記憶は正しいようだ。

 「グローバル人材」は比較的新しい言葉である。それが大学教育等の重要な柱となるのは,経団連(2011)「グローバル人材の育成に向けた提言」等を受けて,政府が「グローバル人材育成推進会議」で報告をまとめて以降である。リーマン危機以降,円ドル相場が円高局面に移行し電機産業が完全に国際競争力を喪失。2011年東日本大震災後に超円高が加速すると,大・中堅・中小を問わず,かつ,製造業に加え内需産業の外食・小売・ITサービスが「海外成長の取込み」のため生産・事業拠点を海外移転,国内空洞化が本格化した。「グローバル人材」はこの時期に登場した理念であり,日本企業のグローバル展開を担い,先進国・新興国のライバル企業と互角に渡り合える人材の育成がゴールとして設定された。

 経済界の提言は「グローバル人材」を①「主体性・積極性,チャレンジ精神,協調性・柔軟性,責任感・使命感」,②「異文化理解と日本人のアイデンティティ」,③「語学力」の3要素を兼ね備えた人材とし,③の語学力は一要素で,むしろ①②の前提に過ぎず,「コミュニケーション能力」に重きを置いていた。小澤征爾は完璧なフランス語や英語を駆使できたから,オーケストラを指揮できたわけではなく,自己の表現したいこと,団員に演奏で注意してほしいことをコミュニケーションできたから指揮台に立てたのであり,音楽監督としての交響楽団経営でも,氏の英語を耳にする限り,成功は語学力ではなく,①と②に支えられたコミュニケーションと実務処理の力の賜だった(Vigeland(1989)“In Concert: Onstage and Offstage With the Boston Symphony Orchestra”)。

 しかしながら,政府報告書では「語学力」が筆頭要素とされ,文部科学省はそのコンセプトに基づき事業推進する。現在,大学の提供するプログラムは「海外インターンシップ」「国際協力人材」など工夫をこらしたものも多く,少なからぬ学生は海外大学で単位取得を前提に留学,現地生と同等の条件で競っていることは承知している。敢えて嫌われるのを覚悟して言えば,10年間に「グローバル人材」関連で増えたのは「海外留学」であり,かつ,正規留学者は僅かに過ぎず,大半は「語学研修」であった。「海外で本格的に学ぶ(学ぶための留学準備)」というよりも,「英語を使って,外国の人たちと交流(協働)する」微温的なもので,学生によっては功利的に「高校時代に成績の良かった英語を使って,大学でビジネスの実践に近い体験をして,就職活動につなげたい」とする。

 産業界は2010年代「グローバル人材」重視を掲げてきたが,文部科学省とは異なり,上述の①及び②を重視し「社会人としての基礎的能力に加え,既成概念に捉われず,チャレンジ精神を持ち続ける姿勢,外国語によるコミュニケーション能力,海外との文化,価値観の差異に対する興味・関心などが重要」(経団連(2011))としてきた。「社会人としての基礎」が味噌であり,実は「グローバル人材」ではなく「社会有為の人材」が重要だとしている。微温的で功利的な「グローバル人材」プログラムは極めて高価であるが,仮に就職目的でも有効性は疑問である。コロナ感染症による各国間の往来の遮断により,留学は今後少なくとも2年間実行が難しいだろう。しかし,これを奇貨として,カネがかかる,現在の「グローバル人材」育成制度を見直すべきではないか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1753.html)

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