世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1715
世界経済評論IMPACT No.1715

新型コロナで露呈したグローバル社会の新たな課題:中国における「情報の非対称性」がもたらす危うさ

池下譲治

(福井県立大学地域経済研究所 特任教授)

2020.04.27

 新型コロナウィルスの感染拡大がかつてないスピードで世界に広がっている。その一因となった可能性がある中国における初期対応の是非が問われるところだが,個人的には,今回のパンデミックは,中国の権威主義的体制が内包する「情報の非対称性」の危うさが露呈した結果ではないかとみている。「情報の非対称性」は,特に,開発独裁など権威主義的な開発政策と強権政治からなる体制においてモラルハザードを起こしやすく,アジア通貨危機の一因ともなった(池下,1999, 2000)。今回のパンデミックにおいても,同様なことが起こった可能性が窺えるからである。

 医学雑誌ランセット(1月24日号)によると,最初の感染者が発症したのは昨年12月1日。その後,同30日に原因不明のウィルス性肺炎について記載された公文書を勤務先の病院で発見した医師が,事態の深刻さに警鐘を鳴らす目的でグループチャットに投稿。同31日にかけて,ネットに「59人の感染者確認」などといった情報が流出すると,医師8人が情報捏造の罪で武漢市の公安当局から摘発された。一方,同病院による公表を受け,中国の国営放送TV局(CCTV)は正体不明のウィルス感染に対する警鐘を鳴らした。すると,人民日報は「本当の原因は不明であり憶測するには時期尚早」と騒動の打ち消しにかかった。その後は,年が明けて,武漢市衛生健康委員会が1月3日および5日に公式サイトで感染者数などを公表した際も,当初,メディア報道は一切なく,ようやく,10日になって地元メディアが報道。すると,翌11日,国営通信社である新華社から「1月3日以降,新たな症例は見つかっておらず,ヒトからヒトへの感染も確認されていない」との記事が配信された。この情報によって安心した武漢市民の春節に向けてのその後の行動が感染の拡大を助長し,パンデミックへとつながった可能性が高い。しかし,武漢市民に罪はない。むしろ,最大の被害者といってもよいであろう。サウスチャイナモーニングポスト紙(3/13付)によると,中国当局は1月1日以前に感染した人がすでに266人に達していたことを確認していたのだ。

 市場において「情報の非対称性」が存在する場合,競争市場は不均衡に陥ることから,情報格差是正のために情報優位者から情報劣位者に情報を開示することが行われる。経済学では,これを「シグナリング」と呼ぶが,いずれにしてもパレート最適性は損なわれる。ここからは,仮定の話になるが,もしも,その後,感染が発覚し,死亡した武漢の医師が身命を賭してまで伝えようとしたシグナリングの効果が,中国政府当局によって,意図的に無力化された事実があったとすれば,それは,今回のパンデミックに至る過程で「モラルハザード」が起こっていたことに他ならない。さらに,感染情報に関する報道の自由が阻害されていた可能性も疑われる。一方,情報劣位者が情報優位者から情報を引き出そうとする行為を「スクリーニング」と呼ぶが,今回は,中国当局における一種のモラルハザードによって,スクリーニングを通じた国民の知る権利までもが損なわれた結果,国民(特に,武漢市民)の行動において,本来取るべきではなかった「逆選択」を招いてしまった可能性も否定できない。中国の権威主義体制はこれまで,同国の経済成長に対して極めて有効に作用してきたが,今回,そこに内包する「情報の非対称性」がグローバル社会における新たなリスク要因として浮上したことは間違いない。

 世界の信頼を回復するために,中国が今,なすべきは,武漢で起こったことを含め,感染拡大やワクチンの開発に関する信頼できる情報を提供すること。そして,全世界が一致団結して史上最大の難敵と戦うことである。昨年12月31日時点で,いち早く事の重大さに気付いた香港,マカオ,台湾の各政府は即日,入国審査を強化し,中国やWHOなどと情報共有を図るといったスクリーニングをはじめ,積極的に必要な措置を行った結果,同ウィルスの感染拡大をほぼ押さえ込むことに成功している。4月22日現在,3地域合わせての新型コロナウィルスによる死者数はわずか10人に過ぎない。このことから見ても,情報共有を通じた国際協力の効果は明らかだ。我々は,グローバリゼーションによって起こった超高速パンデミックは,グローバルな協力によってしか早期に解決することはできないということを肝に銘じるべきである。特に,今回のような未知の問題に立ち向かうには,東洋と西洋の知恵が協力し合うのは理に適っている。米国の社会心理学者であるリチャード・ニスベット氏によれば,西洋の論理学をベースとする超合理性と東洋の弁証法的な思考習慣との間には著しい対照性がみられるが,これらは決して排他的ではなく,むしろ,補完関係にある。今回のパンデミックにおいても,日中韓と欧米が夫々の経験を共有するとともに協力し合うことにより,新たな解決策が見いだされる可能性が広がってくる。そして,その過程と結果は,アフリカなどとも共有するべきだ。それが,これから起こり得るさらなる悲劇を未然に防ぎ,延いては世界の平和と復活につながることを祈りたい。

[参考文献]
  • 池下譲治(1999)「東アジアにおける競争優位の条件」中曽根康弘世界平和研究所IIPS Policy Paper 235J
  • 池下譲治(2000)「マレーシアの構造改革」(木村福成編『アジアの構造改革はどこまで進んだか』第11章)ジェトロ
  • リチャード・E・ニスベット(2018)『世界で最も美しい問題解決法』青土社
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1715.html)

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