世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1704
世界経済評論IMPACT No.1704

新型コロナウィルスと人の移動空間

平岩恵里子

(南山大学国際教養学部 教授)

2020.04.20

 イギリスのジョンソン首相が新型コロナウィルス感染治療からの退院後,病院スタッフに感謝する声明の中で,“… who stood by my bedside for 48 hours, when things could have gone either way, they are from New Zealand, Invercargill on the South Island to be exact, and Luis from Portugal near Porto”と,特に深い謝意を伝えた2名の看護師を名前だけでなくその出身地もごく自然に伝えたことがとても印象に残っている。感謝以外に他意はない場面なのだが,移民社会の空間をふわっ,と垣間見た思いがした。これが日本であれば,母がお世話になった介護施設の皆さんは当時は日本の方ばかりであったが,今なら例えばフィリピン出身の介護士さんに感謝の意を伝えることになるだろうか。イギリスのNHS(National Health Service,国民保険サービス)では18,000人のフィリピン出身の看護師が働いており(2019年),アメリカのカリフォルニア州では看護師の17%がフィリピン出身である(2017年)。そのフィリピンは,海外就労を推進し毎年13,000人の医療従事者を海外に送り出していたのだが,現在政府は自国の医療従事者が不足していることを理由として,海外就労にストップをかけている。ところが,自国より高賃金で働ける機会を失うとして,フィリピンの看護師たちはその禁止措置に反対しているとCNNは報じた。

 企業が最適な生産地を求めてグローバルな活動を展開しサプライチェーンを築くように,人も自分にとって最適な就労先や生活圏を求めて国内・国外を問わず移動する。新型コロナウィルスによる今回の危機はその人の移動もせき止めたことで,かつてない状況を生み出している。グローバルな人の移動に関する問題を扱う国連の国際移住機関(IMO,International Organization for Migration)が世界各国の移動制限を可視化しているが(Mobility Restrictions COVID-19),146の国・地域,2,494か所にのぼる空・陸・海それぞれのポイントが目詰まりを起こしているかが分かる。出入国可を緑で,同不可を赤で示した各国のTravel Restrictions Matrixは,3月初旬にはまだ緑だったが日を追うごとに赤く染まっていった。4月になり,マトリクスは真っ赤になった。

 米国の移民に関するシンクタンクMPI(Migration Policy Institute)は3月初旬から時刻や世界の移民や難民への影響を憂慮するコメントを出し続けている。米国は労働力人口1.56億人の17%を外国生まれの移民が占めており,彼らは医療関係だけでなく多くのサービス産業の最前線で働いている。ホテルやレストランなどで働く移民は真っ先にレイオフで影響を受け,政府の支援は合法移民であっても条件によっては受給できない。カナダやベルギー,ドイツ,あるいはオーストラリアやニュージーランドでは食の安全保障上の問いが生まれ,農業部門では数万~数十万人にのぼる移民の季節労働者が不足することを伝えている。国連食糧農業機関(FAO)も,農業,食品加工,運輸,小売りなど一連の食糧サプライチェーンが危機に陥ると警告を鳴らしている。日本においても,昨年新設された在留資格「特定技能」の介護における評価試験合格者はフィリピン出身者が最も多く1,400人を超えるが,来日の目途が立たない。アジアからの実習技能生も農業・畜産の分野で1,900人が来日できず,農作物の収穫に大きな影響をもたらしている。

 そのアジアでも,陸の国境をほぼすべて閉鎖したタイには周辺国からこれまで300万人を超える労働者が流入しており,不法就労も多い彼らにはタイ政府の支援は届かない。ミャンマーは2万人を超えるバンコクからの帰国者が国内にウィルスを持ち込む危険性への対応に苦慮している。そもそもアジア地域は域内での労働活動が活発で,移動の方向性も変化に富む。中東産油国への労働力供給プールにもなっている。こうしたアジア域内の流出入は,新型コロナウィルスの影響が深刻になるという予想に根拠を与えている。

 2008年金融危機と同様に,経済停滞の影響は弱い立場の労働者に降りかかる。移民や外国人労働者は真っ先にその影響を受けることは,2008年当時の日本も経験した。ブラジルから来日し「定住者」の在留資格で働いていた日系の人々の多くが雇止めで失業し,政府は帰国費用を出した。今回も雇止めの兆候が報道されており,中には日本人も含まれているだろうが,今後は技能実習生などさらに立場の弱い外国人にしわ寄せが行くことになる。

 新型コロナウィルス危機はグローバルに展開した生産活動を国内に回帰させるだろうか。リモートワークが人の移動を変えたように,各国は労働力を国内で調達するようになるだろうか。日本においては,脆弱な立場にある技能実習生等の労働者を雇用しなくてすむ産業構造にするのか,あるいは喉元過ぎれば今の制度を維持するのか。維持するにしても,シンガポールのように徹底的に管理するのか。そうでなければ,“移民”受入れを表明し,生じ得るコストを共有し多様性を認め合いながら等しく生活者として迎え入れ働いてもらうのか。少なくとも,今回の危機がそうした議論を深める契機になればと思っている。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1704.html)

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