世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米中「第1段階合意」とWTOの自由貿易体制
((一財)国際貿易投資研究所 参与)
2020.02.10
米中の「第1段階合意」は実行できるのか
1月15日に「第1段階合意」文書にトランプ大統領と劉鶴副総理が署名したが,これには3つの注目点がある。
第1は,内容である。中国が2年間に2000億ドル輸入増加を約したのに対して,米国は殆ど何も提供しない。中国の一方的譲歩で,米国に極めて有利に見える。中国が輸入を約束した2年間で2000億ドル(1年目767億ドル,2年目1,233億ドル)の内訳は,工業製品(工業機械,電子機器,航空機,自動車,鉄鋼等)770億ドル,油糧種子・食肉・穀物等の農産品320億ドル,エネルギー320億ドル,サービス379億ドルと合意文書付録に明記されている。トランプ氏の農産物重視の報道が多かったが,実は工業製品の金額が圧倒的に大きい。
第2は,この内容でなぜ中国は同意したのか,である。昨年5月のワシントン協議では劉鶴氏は追加関税の合意後の即時撤廃,米国製品の輸入規模の縮小,中国の主権と尊厳の尊重を求め,「原則にかかわる問題では決して譲歩しない」とした。今回合意にはその形跡は見当たらないし,一部には屈辱的だとの声もある。それだけに,中国の政治指導層が承認へと態度を変えた(変えざるを得なかった)理由あるいは意図が注目される。恐らくそれが中国政治を理解するうえで極めて重要な点であろう。
第3は,中国が数値目標に合意したことである。中国は日本の経験から,米国との数値合意は次の制裁の前段階だと承知している。かつて日本は日米半導体協定の「義務違反」を理由として,米国から一方的にパソコン,カラーテレビ等の関税を100%に引き上げられた苦い歴史があり,それ以来数値合意には拒否を続けてきた。日本の経験を認識しながらも,数値目標に合意した。達成に十分の自信があるからだろうか。
世界への悪影響のおそれとデカップリング論の解消
米中の合意は,中国への輸出国に悪影響を与える懸念がある。
中国は,2年間で2000億ドルもの輸入を増加させる。工業製品だけでも770億ドル(約7.7兆円)と巨額である。数値目標を達成するために,第3国からの輸入を米国製品に差し替えるよう中国政府が動きはしないか,米国製品受け入れのために中国産品を第3国に不当に輸出しようとないか,などと懸念が生まれている。米国だけが利益を得て日本,欧州などにはマイナスの影響が生じれば,是正要求が出ても不思議ではない。
他方米中貿易戦争が始まって以来,「米中デカップリング」が言われてきた。グテーレス国連事務総長も9月の国連総会演説で世界の「大断裂Great Fracture」に危惧を表明した。しかし今回の合意で,米国産品の売り込みと投資機会への強い門戸開放要求が判明した。安全保障が関係する分野を除けば,米国がデカップリングではなく中国貿易を増加させる意向を明確にしたことは,世界の危惧の緩和に役立つものだった。
WTO貿易体制に替わる制度はない
WTOの現状にトランプ大統領は不満を表明し脱退も口にしていたが,いま日米欧は三極貿易大臣会合声明に従ってWTO改革をはたらきかけている。中国も改革に参加を表明したが,世界最大の貿易国になったにも係らず発展途上国としての特権を放棄しない,中国が反対すれば決定できない方式を変更しない等の原則的立場を表明した。したがってWTO改革は難交渉となり,長期の停滞が予想される。
WTO改革が長期化すれば,米国の対中関税上乗せも長引くと思われる。米国の対中関税措置はWTO違反と思われるが,WTO改革の三極共同声明を実現するためのレバレッジとして使っているようにも見えるからである。調印の前日にワシントンで三極貿易大臣会合を開催したことも,この関連を示唆している解される。
WTO改革は困難だろうが,WTOの自由貿易制度が揺らぐとは考えられない。なぜなら,改革すべき課題は多いが,WTO体制よりも優れた制度は想像もできないし,提案しようとする国もない。どの国もWTOの通商秩序の恩恵を受けているのである。世界のレジーム変更を狙うと一部から言われる中国は,現状変更に反対する保守派の立場をとっているのである。
仮に米中いずれかがWTOを脱退したと仮定しても,他の国々はWTOに留まってそのルールの秩序を享受しつつ,米中の両方の市場に輸出する工夫を凝らす以外に選択肢はない。各国とも米中2国の巨大な市場に大きく依存しており,その一方を捨てることは犠牲が大きすぎて耐えられないのが現実である。
なお,TPP,RCEP(東アジア地域包括的経済連携)などのFTAは,WTOに従って自由貿易を進めるものである。近い将来に米国が孤立主義を脱し,TPPに参加するなどによって自由貿易の推進に力を発揮することが期待される。
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