世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
RCEPよりも米国とのFTAを優先するインド
((一財)国際貿易投資研究所(ITI) 研究主幹)
2019.12.09
なぜ米インドFTAの締結を目指すのか
2019年11月初め,インドはRCEP(東アジア地域包括的経済連携)交渉からの離脱を示唆した。この驚くべき決断の背景には旱魃で大打撃を受けた農業を輸入農産品から死守する政治姿勢の誇示とともに,当面はRCEPより米国との貿易協定を先行したいとする思惑が窺える。インドの貿易赤字の最大の要因は対中貿易である。中国との慢性的な貿易赤字が,RCEPの関税削減により増々拡大に向かうとの懸念がRCEPを遠ざけた要因になったことは確かである。
インドは中国との2018年の貿易赤字は574億ドル(通関ベース)に達しており,全体の貿易赤字の約3割に相当する。中国からの輸入は739億ドルで,インドにとって中国は最大の輸入国である。
一方,インドの米国からの輸入は342億ドルと中国,ASEANに次ぐ水準であるが,米国への輸出は515億ドルと中国向けの165億ドルを大きく上回って国別で最大である。当然ながら,インドの対米貿易は173億ドルの黒字である。
インドはRCEP交渉から撤退する考えを明らかにしたが,米国との貿易協定の交渉では,一貫して前向きな姿勢を崩していない。米インド貿易協定の交渉は,米国が6月にインドへのGSP(一般特恵関税制度)の供与撤廃を決定してから本格化している。すなわち,米国のインドとの貿易交渉は日米貿易協定の交渉と同時並行的に進んでいたのだ。一時は,日米貿易協定と同様に,9月末に部分的な合意に達する予定であった。これが,RCEP交渉でも見せたインドのタフな交渉姿勢もあり,2019年12月初めの時点において,米インドFTAは年内に妥結できるかどうかは不透明であるものの,最後の詰めの段階を迎えている。
そもそも米国はなぜインドに対するGSP供与の終了を決断したかであるが,インドの乳製品市場や医療機器市場へ自由に参入できていないとの米産業界の不満が背景にある。米国はインドに対して農産物市場の開放やIT製品における高い関税(20%)の撤廃,エネルギーや民間航空機の輸出拡大を求めている。そして,インドへのGSP撤廃を回復する代わりに,その輸入額に等しい関税削減を要求している。インドのGSPを用いた米国への輸出は2018年で66億ドルであり,全体の11.7%を占めるなど,その回復の効果は大きい。
さらに,トランプ政権は232条に基づく鉄鋼・アルミニウム製品の追加関税への報復関税の撤廃,インドの衛生および植物検疫の規定変更,データ保管場所やクラウドコンピューティングの条項などの電子商取引法の抜本的な変更,医療機器(冠状動脈治療用ステント,膝関節プラント等)の価格上限を定めた価格管理システムの改正,などを求めている。
これに対して,インドのモディ首相は国内にデータ保管を求めるデータ保護法案の立法化を図ったり,IT製品の関税削減は米国よりも中国を利するとしながらも,米国から500万トンの液化天然ガスの購入を表明した(今後数十億ドルの輸出につながる可能性がある)。最新の情報では,米国とインドは貿易協定の交渉が大詰めを迎え,限定的な合意のためにIT製品の関税削減などの論争的な分野を協議から外す動きがあるとのことである。
つまり,米インドFTAの締結は,米国にとって,中国との貿易摩擦の激化による世界経済の低迷に伴い,輸出市場を開拓する動きの一環であり,インドにとっても,対米輸出の促進から高い経済成長の達成に繋がる重要な政策ツールになっている。インドはこれまで絶好調であった経済が曲がり角を迎える中,貿易赤字を広げるRCEPよりも,輸出拡大の期待に繋がる米国とのFTAを選択したと考えられる。
第1段階の合意後に包括的な交渉を予定
トランプ大統領は,2020年の大統領選挙を控え,少しでも通商関連での成果を上げる必要がある。2019年内の米中貿易交渉での合意や新NAFTA(USMCA)の批准が足踏みをしている中,日米FTAだけの成果では心もとなく,インドとの貿易協定で農産物からIT製品,エネルギーなどの輸出を増やす可能性を模索している。
トランプ大統領は米インドFTAに関しても,選挙前の合意が効果的であるため,日米貿易協定と同様にまずは第1段階での合意を達成し,その後で包括的な貿易交渉を進める意向である。こうした,段階的な貿易交渉の進め方は,最近のトランプ政権の通商政策の特徴になりつつある。つまり,限定的な結果を達成してから本格的な交渉に臨むという成果オリエンテッドな手法を推進している。
トランプ大統領の2020年の選挙への危機感の高まりとは別に,インドのRCEPよりも米国との貿易協定を優先する通商政策は,日本のアジア太平洋戦略に影を落とすものとなる。すなわち,RCEPや自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)を核として,インドを巻き込んだ日本の「中国の一帯一路構想」や「第2段階の日米貿易協定交渉」などへの対応が,微妙に変化せざるを得ない。
米中の覇権争いが激化する中で,インドの重要性は高まっている。日本は対インド直接投資では主要国の1つであるが,インドの国別輸出入額の順位でトップ10に入っておらず,さらなるインドとの経済関係の強化が求められる。今後は,アジアでのサプライチェーンの拡充やアジア太平洋戦略の推進で,いかにインドとの協調・協力関係を構築していくかが一層問われることになる。
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