世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.754

米国はTPP離脱で「墓穴を掘る」つもりか

馬田啓一

(杏林大学 名誉教授)

2016.11.21

■米国にとって「不都合な現実」

 米大統領選では大方の予想に反して,TPP離脱を言明していたトランプ氏が勝利した。これにより,今後の通商秩序の先行きが非常に不透明となってしまった。米国のこれまでの通商戦略のシナリオもまさに崩壊寸前といえる。

 TPPが,アジア太平洋における米国の影響力を強める最も重要な手段の一つであることは今さら言うまでもなかろう。しかし,オバマ大統領が「レームダック会期」に議会からTPP法案の承認を得る見通しもなくなり,トランプ新政権の下で,TPPが批准される可能性もほとんどない。

 TPPが米議会で批准されなければ,米国はアジア太平洋の通商ルールづくりの担い手となる権利を放棄することになる。中国がアジア太平洋の覇権を狙い,米国に取って代わろうと積極的に動いているだけに,TPPをめぐる米国の失態による影響は非常に大きいと言わざるを得ない。

 TPPの崩壊は,中国にとっては喜ばしいにことに違いない。習近平国家主席も笑いが止まらないだろう。中国は自由化レベルの高いTPP交渉には参加できなかった。昨年10月にTPP交渉が妥結したとき,TPPによる中国包囲網を警戒していて中国は焦ったはずだ。米国はポストTPPを睨み,将来的に中国も含めてTPP参加国を拡大し,FTAAPを実現しようとしていたからである。国有企業,政府調達,知的財産権などで問題の多い中国に対して,TPPへの参加条件として,「国家資本主義」からの転換とルールの遵守を迫るというのが,米国の描くシナリオであった。

 TPPが葬られれば,米国は自ら墓穴を掘ることになる。中国の影響下で通商ルールがつくられる絶好の機会を,中国に与えることになるからだ。TPPに代わって,中国が肩入れするRCEPがアジア太平洋の新たな通商秩序の基盤となろう。RCEPは,TPPよりずっとレベルの低い貿易協定である。RCEPに米国は参加していない。TPPの頓挫は,アジアでの影響力の拡大を狙う中国の思う壺である。

 トランプ氏は,いま東アジアで起きている米国にとって「不都合な現実」を直視すべきだ。覇権国の座を狙う中国の台頭という新たな地政学的リスクに対応しなければならない。トランプ新政権の対応がまずければ,米国はきっと東アジアから締め出されてしまうだろう。

■TPPは「ポスト真実」の被害者

 TPPが頓挫しかねない状況に陥った事実は,英国のEU離脱問題と同様,ポピュリズム(大衆迎合主義)の危うさを表す事例といえよう。自由でオープンな社会を重視する米国において,民意の地殻変動が起きている。グローバル化の波に乗り切れない米国の白人中間層を中心に,自由貿易の推進に懐疑的な見方が広がり,過激な発言で米国の保護主義を煽るトランプ氏に支持が集まった。

 「ポスト真実(post-truth)」という用語がいま注目されている。今や選挙に勝つためなら何をいっても許される。政治家は,政治的な目的を遂げるために堂々と虚偽を語るようになった。確信犯でも「お詫びと訂正」で逃げられる。虚偽を語っても,後で「誤解を招いた」,「発言を撤回する」と言えば許されてしまう。真実を語ることはもはや重要ではなくなっている。

 今回の大統領選で,トランプ旋風によって,TPPはすっかり悪者になってしまった。諸悪の根源が自由貿易であり,TPPのせいで米国の製造業が打撃を受け,労働者の雇用が奪われるといった極めて正確性に欠く荒っぽい議論が展開されたのは,米国にとって不幸なことである。虚偽に近い議論によって,TPPが米国にもたらす経済的なメリットも,安全保障上の戦略的価値も完全に吹っ飛んでしまった。誠に情けない結末である。

 TPPを悪者にした大統領選の後遺症は,そう簡単には癒えないだろう。トランプ氏が「就任100日行動計画」の中でTPP離脱を表明している以上,「ポスト真実」とは言っても,「米国にとってプラスになるように変えた」という形をつくらずに,米新政権がTPPを容認するのは困難な状況である。

 トランプ新政権の下でTPP離脱は回避され,TPP発効に向けて首の皮一枚残ったとしても,TPPの見直し,すなわち,協定内容に実質的な変化がなければ,米議会でTPPの承認は得られそうもない。しかし,それは,他のTPP参加国からすれば,更なる譲歩を迫られる「ふざけた話」に映るに違いない。もし再交渉になったとしても難航するだろう。

■背水のTPP:落としどころは良くても再交渉

 少し時間がかかるが,違う名称を付けて衣替えし,厚化粧もさせた「TPP修正版」という形で,成立させるのではないかという見方は,あまりにも楽観的すぎるだろうか。TPP推進論者の未練と見えるか。

 安倍政権の成長戦略にとって,TPPはアジア太平洋の成長力を取り込む重要な柱と位置づけられている。米新政権がTPPから離脱すれば,日本は梯子を外される結果となってしまう。日本のこれまでのFTA戦略も,TPPをテコにRCEP,日中韓FTA,日EUのFTAを進めてきた。TPPという支柱を失えば,その痛手は大きい。米国抜きのTPP案も浮上しているが,米国が不参加ではTPPの価値がない。

 安倍・トランプ会談の気になる結果は,この原稿執筆中の段階では知らされていない。安倍首相のTPPへの熱意がどこまで効を奏するかわからないが,来年1月の大統領就任までの期間にまだまだ打つ手は色々とあるだろう。

 米議会の上院と下院の選挙では,いずれも共和党が過半数を取った。TPP発効を求める米国の産業界と共和党議員たちが,あの手この手でトランプ氏への説得工作を強めていくようだ。TPP離脱でなく,再交渉で「米国第一」の成果を獲得するといった形が,TPP離脱回避の落としどころかもしれない。政治経験のないトランプ氏を羽交い絞めにすることが果たして可能か,したたかな共和党のマコネル院内総務,ライアン下院議長など執行部のお手並み拝見といったところだ。

 一方,日本はこれまで公式には,クリントン氏の当選を前提に,TPPの再交渉には応じられないという姿勢をとってきた。11月上旬,衆議院でTPP法案が可決されたが,付帯決議がついている。「国益を損なうような協定の再交渉には応じられない」という内容だ(下線に注意)。TPP交渉参加の際にも似たような言い回しがあった。安倍政権は事実上,再交渉の余地を認める方向に舵を切ったと見てよかろう。もはやセカンドベストの選択しかない。

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