世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.543
世界経済評論IMPACT No.543

感情のマネジメント

牧野成史

(香港中文大学)

2015.11.30

 博士課程の学生と「組織感情のマネジメント」について研究を進めている。組織感情というのは組織の中の同一の部門で働く人たちに一時的に共有される感情のことである。企業には時折,思いもしなかったような危機が突然降りかかることがある。東日本大震災や津波のような自然災害やリーマンショックのような経済危機など,個々の企業の努力ではコントロールできないような外的な危機,また,偽装隠蔽や汚職,首脳陣の内紛など内部から生じる危機もある。いずれにしても扱い方を間違えると企業の業績や評判に大きな影響を与えることになる。実際に企業が危機に直面した時には,企業の内部に大きな負の感情が生じる。経営トップ層や中間管理職のマネージャー(以下ミドルと呼ぶ)は,それをどのように管理・対処しているのであろうか。危機管理を組織感情のマネジメントの観点から観察・考察したのが冒頭の研究の主旨である。

 中国の新興企業約20社のトップとミドルにそれぞれインタビューを行った。まずトップに,最近会社に起こった「危機」について語ってもらった。ここでいう「危機」とは企業の存続にかかわるような決定的な危機を指している。経営トップだけではなく,その企業に携わるすべての人たちが認識できているような大きな危機のことである。そして危機が認識されたときに何を思い,何を感じ,どんなアクションをどのような理由でとったのかをできるだけ詳細に語ってもらった。そして次に同じ会社の複数のミドルに同じ質問を行い,できるだけ多くを話してもらった。

 その結果明らかになったのは,危機に面した際の感情的な反応にトップとミドルの間に差が出ていたことであった。両者ともに危機が明るみに出ると同時に「負の感情」が支配するようになる点では共通していたが,その内容は大きく異なっていた。トップは「このままでは会社がやっていけなくなるから,なんとかしなければいけない」と「変化を起こさないこと」への危機感(「外に向かう危機感」と呼ぶ)を強く持っていたのに対し,ミドルは「このままでは今の自分の仕事や役割を続けていくことができなくなる」と「変化が起きること」への危機感(「内に向かう危機感」と呼ぶ)を強めていた。その結果,トップはいろいろな変革の方策を考えて実行しようとするが,ミドルはトップのもつ危機感をなかなか共有することができず,変革の諸方策について慎重な態度をとるようになる。「命令ですからやりますけれど失敗した時の責任は私に押し付けないでくださいよ」というのがミドルの本音。一方トップはそんな部下の様子に「企業の存亡の今こそ力を合わせられないでどうするんだ」と苦虫を噛むような思いをもつようになる。

 危機に直面すると組織内部に大きな感情の起伏が生じるようになる点は最近の研究でも確認されているが,私たちの研究で明らかになりつつあるのは,危機に直面した企業が失敗するのは,組織的な感情のマネジメントが不十分であった点に原因があるという点である。では危機をうまく回避できた企業はどのようにこの感情のズレを調整していたのだろうか。紙面に限りがあるので詳細は省略するが,成功している企業の多くに共通していたのは,トップが2つの感情のマネジメントを大きな変革の前に実践していたことである。一つは,組織内で共有されている「内に向かう危機感」を切り離すこと(これを感情のDe-couplingと呼ぶ)。もう一つは,トップがミドルと「外に向かう危機感」を共有できるようにさまざまな行動を行うこと(これを感情のRe-couplingと呼ぶ)である。「外に向かう危機感」が共有されると,それはトップのリーダーシップによって変革への情熱と変容し組織が一丸となって危機を乗り越えていく原動力になる。危機を生き残りそれをチャンスに変えてきた成功した企業はさまざまなユニークな方法や仕組みを使ってDe-couplingとRe-couplingを実行している。それらについては別の機会に紹介したいと思う。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article543.html)

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