世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.613
世界経済評論IMPACT No.613

貿易自由化と雇用

阿部顕三

(大阪大学 教授)

2016.03.21

 米国の大統予備選挙も中盤にさしかかり,その行方が大きな注目を浴びている。最終的な結果がどのようになるか明らかではないが,共和党ではこれまでの選挙で過激な発言を繰り返してきたトランプ氏に予想外に多くの支持が集まっている。他方,民主党ではヒラリー氏が優勢と伝えられている。

 今回の予備選挙の中で,トランプ氏は貿易協定が「米国の雇用を奪っている」と批判している。また,クリントン氏も国務長官時代には基本的にTPPを支持すると発言していたのに対して,予備選の途中からはTPPが雇用の創出や賃金の上昇に繋がるものではないとして,反対の意を表明した。また,両者とも不当な為替の水準によって,米国民が不利益被っているとし,為替介入の必要性を訴えている。

 今回の選挙戦に限らず,これまでの大統領選においても,貿易の自由化が雇用や賃金に悪影響を与えるとして,多くの候補者がそれに反対する意見を述べてきた。雇用や賃金の問題の原因が貿易自由化にあるとして国民の目を外国に向けさせるのは,票を獲得するための巧妙な手段であり,何度もそのような批判が繰り返されてきた。しかし,その批判は国民に問題の本質を見失わせることになりかねない。

 貿易理論の研究の中では,貿易自由化と実質賃金の関係については多くの蓄積があるが,雇用との関係に関してはあまり研究がされていない。リカードやヘクシャー=オリーンなどの伝統的な貿易モデルであれ,新々貿易理論の基本となっているメリッツのモデルであれ,労働市場で完全雇用が達成されていることを前提としている。そのために貿易の自由化が雇用全体に及ぼす影響は明示的にでていくることはない。そこでは産業間で労働が自由に移動でき,国際競争力のない産業で余った労働力は国際競争力のある産業へ移動し,完全雇用が達成されることを前提としている。

 労働の供給量を一定とし,完全雇用の状態を前提としている限り,貿易自由化と雇用量全体の関係を見ることはできない。しかし,労働が国際競争力のある産業に移動することで,より効率的な産業構造が実現し,経済全体の効率性が高まり,実質所得や実質賃金が上昇すると考えられているのである。

 他方,伝統的なマクロ経済学の文脈では,労働市場で失業が存在していることを前提としている。その場合には,財政政策や金融政策によって総需要を喚起し,生産や投資が増大すれば,失業を減らすことができると考えている。しかし,そこでは最終財は集計された一つの財として取り扱っており,輸入産業と輸出産業の生産面を明示的には導入しておらず,貿易自由化の影響が失業に及ぼす影響を十分に分析することは難しい。

 いずれにしても,貿易自由化が雇用量に与える影響を予見することは容易ではない。そもそも貿易政策は失業率をコントロールするための直接的な施策ではないし,失業が増大させるとして貿易自由化を批判するのは経済学的には的外れである。

 まずは労働市場におけるさまざまな障害を取り除き,労働市場に対して適切な政策をとることによって,労働市場をうまく機能させ,できる限り失業を減らすようにすることが必要である。貿易自由化以外の政策でもって失業の解消を図り,貿易自由化は効率的な産業構造への転換のために用いるべきである。労働市場を始め,財市場でも市場がうまく機能するようになれば,貿易の自由化によって国民がより高い利益を得ることができるのである。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article613.html)

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