世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
清水一史教授のASEAN研究とその意義
(亜細亜大学アジア研究所 特別研究員)
2026.01.19
清水一史先生(九州大学大学院経済学研究院教授)が昨年5月7日に急逝された。清水先生は『世界経済評論』のASEAN特集に論文を執筆され,『世界経済評論インパクト』のコラムニスト,国際貿易投資研究所(ITI)のASEAN研究会,国際貿易投資研究会の幹事としてご活躍されてきた。日本アセアンセンターが事務局を務めるASEAN研究会では,設立以来会長として研究会をけん引されてこられ,また,産業学会,アジア政経学会の理事長として日本の産業研究とアジア研究をけん引されてきた。このように清水先生は日本のASEAN研究,とくにASEANの経済統合研究を30年以上にわたりリードしてこられた。清水先生の急逝は大変悲しい出来事であるとともに日本のASEAN研究にとり極めて大きな損失であり残念でならない。清水先生が多大の関心を持ち研究を続けてきたASEAN経済共同体(AEC)2025が2025年で完了し26年から新たな段階に入るという重要な時期に清水先生のASEAN研究とその意義についてまとめておきたい。
ASEAN経済統合研究のパイオニア
清水先生は北海道大学法学部と経済学部を経て1987年に北海道大学の大学院経済学研究科に入学している。大学院では佐々木隆生教授(現在北海道大学名誉教授)の下でASEANの経済協力・経済統合を研究し,博士論文「ASEAN域内経済協力の政治経済学」を完成させ,1995年ミネルヴァ書房から出版した。ASEANがAFTA(ASEAN自由貿易地域)に向けて関税削減の取組みを開始したのは1993年であり,ASEAN経済統合の先駆的な研究である。
ASEANの経済統合の原点となったのは1988年に開始されたBBCスキーム(ブランド別自動車部品相互補完流通計画)であるが,同書はBBCスキームについて日本の主要自動車企業へのインタビューをもとに詳細な分析を行っている。清水先生はその後ASEAN自動車産業の研究を発展させ多くの業績を上げているがBBCスキームの研究が原点となっている。ASEANが「集団的輸入代替重工業化戦略」から「集団的外資依存輸出志向型工業化戦略」に転換したことを指摘し,経済統合理論を踏まえてその過程と意義を膨大な資料とフィールドワークにより実証的に論じた本書は,清水先生のASEAN研究の原点となっただけでなく日本のASEAN経済統合研究の礎を築いた研究成果である。
ASEAN経済共同体の研究
ASEANは2003年にAFTA(ASEAN自由貿易地域)をASEAN6(ブルネイ,インドネシア,マレーシア,フィリピン,シンガポール,タイ)の間で完成させ(当初目標の0−5%への関税削減の実現),AFTAの次の統合段階としてASEAN経済共同体(AEC)の構築を開始した。AECは2003年の第2ASEAN協和宣言で創設が決定し,2007年からAECブループリントにより行動計画が実施され,2015年のASEAN首脳会議で創設が宣言された。
この時期にジェトロはAECについての研究を開始し,清水先生は中核メンバーとして研究に加わった。ASEAN現地調査を含む共同研究が実施されその成果は2009年にジェトロから「ASEAN経済共同体」として刊行された。清水先生は編著者として研究成果のとりまとめを行うとともに「世界経済の構造変化とASEAN経済統合 域内経済協力のAECへの深化と東アジアへの拡大」,「ASEAN憲章の制定とAEC」を執筆している。
AECの研究はITIに引き継がれ,清水先生は中核メンバーとして参加している。ITIの研究成果は2013年に「ASEAN経済共同体と日本」が文眞堂から出版された。清水先生は「世界経済とASEAN経済統合」,「ASEAN経済共同体と日本ASEAN協力-日本ASEAN友好協力40周年にあたって」を執筆するとともに編著者としてとりまとめに当たられた。2015年のAECの創設後に新たなデータに基づきさらに研究を深め,2017年に「ASEAN経済共同体の創設と日本」が文眞堂から刊行された。清水先生は「世界経済とASEAN経済共同体」,「ASEAN経済共同体と日本のASEAN協力-日本ASEAN友好協力の40年を越えて」を執筆するとともに編著者としてとりまとめに当たられた,これら3冊はASEAN経済共同体研究の基本文献として高く評価されている。
AEC2025と東アジアの経済統合を多角的に研究
AEC2015は自由貿易地域の実現など多くの成果をあげたが,サービス貿易,投資の自由化,連結性など未達成目標が残り,デジタル化,環境,包摂など新たな課題にASEANは取り組むことになった。そのためAEC2025が2016年にスタートした。清水先生はAEC2025に向けてのASEANの取組みと成果とともに東アジアの経済統合の研究を精力的に続けた。それらの成果は,「現代ASEAN経済論」,「RCEPと東アジア」,「岐路に立つ東アジア経済統合」などの共編著,「これからの東アジア-保護主義の台頭とメガFTAs-」,「アジアの経済統合と保護主義-変わる通商秩序の構図」,「アジア太平洋の新通商秩序-TPPと東アジアの経済連携」,「東南アジア現代政治入門」など多くの研究書に掲載された論文として結実している。
ITIでのAEC研究も継続しており,「FTA環境の変化とASEAN自動車産業」(2017年),「保護主義の拡大下でのASEANと東アジアの経済統合」(2019年),「ASEAN経済統合と電子商取引」(2020年),「保護主義とコロナ拡大下のASEANと東アジア」(2021年)など毎年重要なテーマに取り組み論文を発表している。
冒頭で記したとおり,日本アセアンセンターを事務局とした産官学メディアのASEAN研究者やASEANに関心を持つ関係者約100名が参加するASEAN研究会が2015年に設立され,清水先生は創設以来会長として研究会をリードしてきた。日ASEAN経済協力50周年の2023年の12月に清水先生が中心となりASEAN研究会で「日本ASEAN協力の次の50年に向けて-日ASEAN友好協力50周年記念論集」を刊行したのも記憶に新しい。清水先生は英文の論文を数多く執筆しているが,代表作として「The ASEAN Economic Community and the RCEP in the world Economy」(Journal of Contemporary East Asia Studies に2021年掲載)をあげておく。清水先生のASEAN研究は闘病中も続けられ,「トランプ2.0が及ぼすASEANへの影響」(外交,2025年3・4月号)が絶筆となった。
清水先生のASEAN研究の3つの特徴
清水先生のASEAN研究の重要性や魅力を知るには,ぜひ著作や論文をお読みいただきたいが,清水先生のASEAN研究には3つの特徴がある。まず,ASEAN経済およびASEAN統合を世界経済の変化の中で捉えていることである。東南アジア経済の研究者の多くは特定の一国を専門としており,ASEANの研究者もASEANの動きのみを追っていることが多い。ASEANの経済と経済統合は世界経済,さらには世界の政治経済の大きな動きへの対応を行う中で進展してきている。清水先生は世界経済およびアジアの経済動向という広いパースペクティブでASEANの動きを的確に分析し把握していた。
次に,統合への制度や政策の動きを追うだけでなく,ASEANにおける産業や日系あるいはASEAN企業の動きを押さえていた。統合理論や統計,制度や政策分析に加え,企業や産業の現場を踏まえた研究であり,経済の現場から遊離しない「地に足がついた」研究だった。企業の方とのネットワークを踏まえ,とくに自動車産業のASEANでの生産体制についての研究では第一人者であり,産業学会の理事長もされていた。
最後に清水先生のASEAN研究は非常にポジティブな視点でASEANをみていたことを指摘したい。ASEANやASEAN統合をネガティブにみる見方は多い。ASEANはトークショップ(おしゃべりクラブ),NATO(Not Action Talk Only)などの揶揄は今でも見聞するし,ASEANの経済統合は失敗との見方は今でもある。ASEANについて問題や課題を指摘することは重要である。しかし,発展途上国の地域協力機構として極めて多様で経済格差が大きく,深刻な域内対立もあった東南アジア地域で地域協力を粘り強く実施し,東アジアでは最も早く経済統合を進めたASEANを清水先生は常に温かい目で見守っていた。日本のFTAの自由化率は90%前後だが,AFTAの自由化率は98%とはるかに高い。清水先生はASEANの経済統合をアジア最も進んでいる経済統合と高く評価していたのである。
清水先生は亡くなる直前までASEAN研究への強い気持ちを持っておられた。ASEANはASEAN共同体2045を長期的な目標とし統合をさらに進めようとしている。経済分野ではAEC2026-30創設を今年スタートさせた。AEC2025の成果と課題を分析するとともに今後具体的な行動計画が発表されるAEC2026-30の研究を行い,ASEAN経済統合研究を前進させることが課題であり,清水先生の遺志を継ぐことになる。
関連記事
石川幸一
-
[No.4120 2025.12.08 ]
-
[No.3957 2025.08.18 ]
-
[No.3856 2025.06.02 ]
最新のコラム
-
New! [No.4178 2026.01.19 ]
-
New! [No.4177 2026.01.19 ]
-
New! [No.4176 2026.01.19 ]
-
New! [No.4175 2026.01.19 ]
-
New! [No.4174 2026.01.19 ]
世界経済評論IMPACT 記事検索
おすすめの本〈 広告 〉
-
ASEAN経済新時代 高まる中国の影響力
本体価格:3,500円+税 2025年1月
文眞堂 -
高まる地政学的リスクとアジアの通商秩序:現状と課題、展望
本体価格:2,800円+税 2023年9月
文眞堂 -
RCEPと東アジア
本体価格:3,200円+税 2022年6月
文眞堂 -
揺らぐサムスン共和国:米中対立の狭間で苦悩する巨大財閥
本体価格:2,700円+税 2025年12月
文眞堂 -
職場・学校のセクハラ・パワハラ :ハラスメントの法と判例
本体価格:1,300円+税 2026年1月
文眞堂 -
DEIBにおける経営倫理とCSRの役割:障害者雇用と女性、LGBT、がん患者の方々に焦点を当てて
本体価格:2,700円+税 2025年10月
文眞堂 -
高収益経営とアントレプレナーシップ:東燃中原延平・伸之の軌跡
本体価格:3,900円+税 2025年11月
文眞堂 -
グローバルサウス入門:「南」の論理で読み解く多極世界
本体価格:2,200円+税 2025年9月
文眞堂 -
ルビーはなぜ赤いのか?:川野教授の宝石学講座
本体価格:2,500円+税
文眞堂 -
サービス産業の国際戦略提携:1976~2022:テキストマイニングと事例で読み解くダイナミズム
本体価格:4,000円+税 2025年8月
文眞堂