世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
TSMC前副総経理のインテルへの移籍:機密漏えい事件
(九州産業大学 名誉教授)
2025.12.29
TSMC(台湾積体電路製造)で前シニア副総経理を歴任した羅唯仁は,カリフォルニア大学バークレー校で固体物理・表面化学の博士号を取得した後,インテルの先端技術開発事務部長兼CTM(California Technology Manufacturing)工場長を歴任した。2004年にTSMCに移籍後は,R&D部門と運営部門の主管を担当。2014年からはシニア副総経理に就任し,TSMCの会長・CEO魏哲家(C.C. Wei)に次ぐ地位に就いていた。また,羅は「夜鷹計画」(R&D部門を24時間3交替制で稼働させるもの)の推進者で,10ナノ半導体の開発に大きく貢献した。NVIDIAのジェン・スン・フアンCEOが台湾を訪問した際のTSMCとの会合にも羅は必ず同席してきた。
羅は規程上の定年である66歳から8年間も延期し,2025年7月に75歳で定年退職をしたが,その僅か3カ月後の10月にインテルに再び採用された。羅は8年間の定年延長で10億台湾ドルの収入を得ており,経済的になんら問題のある立場ではなかったが,本稿で取り上げるTSMCの機密漏洩に関わったことが事実とすればまさに晩節を汚したことになる。
羅は退職直前に部下に命じ,TSMCの機密資料を複写させ,また自身の手書きノート20箱を持ち出した。このためTSMCは,羅を機密漏洩で提訴,11月26日に知的所有権分署調査局は,羅の新竹と台北の住宅など不動産と株券など所有資産を差し抑えた。政府は国家安全法における国家核心重要技術の保護の観点から,また民法の見地からも羅の行動を調査している。一説によれば,羅は期待していたTSMCでの「共同運営長」のポストに就けず,それを不満として定年後にTSMCの機密をもってインテルに移籍したと言う。
羅が定年1年前に「企業戦略開発部」シニア副総経理に就任後も,参加を求められていないR&D組織の機密会議に参加し,先端半導体の製造プロセスの進捗に関わるデータの提出を求めるなどした。他の会議メンバーはベテラン幹部である羅に忖度して会議から退席するように指示できなかった。
TSMCでは,情報漏洩防止や機密情報保護のため,各従業員に対し競業規則において退職後18カ月以内に,TSNCの競合他社に就職したり,競合する事業に従事することを禁止し,誓約書も交わしている。これに違反した場合は,損害賠償請求や競業行為の差し止め,退職金減額などの罰則の対象となり,その範囲は厳しく審査される。羅の退職前の7月22日,TSMC法務長の方淑華は,羅に対し「競業禁止条項」の注意喚起を促した。これに対し,羅は学術関係に転職すると答えていた。
TSMCによれば,羅は退職後にインテルの執行副総裁(EVP=エグゼクティブ・バイスプレジデント)に就任すると言われている。仮にこれが真実の場合,TSMCの機密を使用する可能性が高く,そのために,TSMCは羅を提訴し,違約として賠償を請求することとなった。羅について,市場やマスコミでは,上述のように羅が退職前に2ナノ,A16(1.6ナノ),A14(1.4ナノ)など最先端チップの製造プロセスに関する資料の複写を部下に命じた。これらの行動に対し,政府は国家安全法抵触の嫌疑をかけ,11月25日に正式に司法段階に進む手続きを開始した。
TSMCは司法手続きを待っていた。当初TSMCは問題発生を認識した時に,直ちに提訴はせず,国家安全部署に事案を持ち込み国家安全法に触れる場合,国家が必要な行動を起こす。国家が介入後,羅はどのような資料を持っていたのか,国家の部署が調査する。すなわち国家安全法での提訴,今一つはTSMCが「競業禁止条項」の違反により提訴する。
インテルの18A(TSMCの2ナノに相当)は10%台の良品率だがで,羅がインテルに移籍したことで7~8カ月後には良品率が70~80%に上昇する可能性があり,量産化のレベルに達せばTSMCにとっては脅威となる。現在,TSMCの2ナノの良品率は80~90%で,サムスン電子は50~60%。仮にインテルの良品率がサムスン電子を凌駕した場合,TSMCの危機意識は高まる。これもTSMCが羅を提訴する理由である。
11月19日,インテルのリップブー・タンCEOは,サンノゼで開催された半導体産業協会の会合において「羅氏への嫌疑は憶測と噂に過ぎず,根拠がない。私たちは知的所有権を尊重する」と述べた。また,「羅氏は過去インテルで18年間半導体チップの開発に尽力した人物。氏のカムバックを両手をあげて歓迎する。また我々のチームが誠実でかつ高い水準にあることに信頼をおいている」と述べた。
[参考文献]
- 朝元照雄「TSMC最先端半導体2nmに巡るスパイ事件」世界経済評論Impact No.3955,2025年8月18日
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