世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
企業統治からみる役員の責任と人権DDの不可抗力条項
(フリーランスエコノミスト・元静岡県立大学 大学院)
2025.06.23
人権DDと企業統治に関する3つの論点
法人法に基づく企業における企業統治において,人権デューディリジェンス(以下人権DD)を採用する場合としない場合でどのような違いがあるか,また,企業法規に人権DDを導入するとどのような変化が生じるのだろうか。
日本の慣例として,フジテレビ(JOCX 以下CX)や旧ジャニーズは,近年,二次加害(誹謗中傷)にも配慮した企業統治を推進しつつあり,本稿ではこれらを考慮した上で,一般社団法人の企業統治に関する3つの論点を考察する。
3つの論点とは,1.人権DDを採用しないことによる役員によるガバナンス不全は,役員の任務懈怠責任か,2.人権DDを採用せず,予算をつけないことにより生じた不祥事は役員の不可抗力か,3.役員による閉鎖的な企業統治(原局主義・同族経営)は,優越的地位の濫用に当たるか,である。
ガバナンス不全は役員の任務懈怠責任か
論点1は,結論から言えば,人権DDは,役員の責任ではない。なぜなら,一般的に期待される程度の注意をすれば良いからである。
報告書によると,CXでは,有力な取引先と良好な関係を築くために,「性別・年齢・容姿などに着目して呼ばれる会合」が開かれ,呼ばれた社員やアナウンサーは取引先からハラスメント被害を受けるリスクに晒され,現実にハラスメント被害も起きていた。
また,以下の,CXの業務の実態も,役員の自己規制が十分に効いていたかが論点となるが,これらの業務の利益は,CXの利益に帰属し,役員が不当に会社に損害を与えたものとは断定できないというのが妥当である。したがって,これらは,競業取引や利益相反取引には当たらず,役員の任務懈怠責任は問えないものと解するのが妥当である。
本事案や類似事案に見られた具体例をあげると,2023年5月に中居氏のマンションで開催されたBBQの会や,2021年12月に外資系ホテルαのスイートルームにて開催され,タレントU氏,中居氏,B氏のほか,女性アナウンサーなどが参加した飲み会であるスイートルームの会など「いずれの会合でも,有力な出演者からハラスメント被害に遭うリスクが存在していた。
取引先によっては,女性ではなく男性が呼ばれる会合もあり,ハラスメント被害を受けるリスクに晒されたのは,女性だけではなかった。
なぜ若い女性アナウンサー・女性社員がハラスメント被害のリスクを回避できなかったのかといえば,編成制作局の幹部と若い女性アナウンサー・女性社員との間には,CX組織上の上下関係に加え,キャスティングする側とされる側という権力格差が存在し,編成制作局の幹部が有力な出演者と良好な関係を築くための会合であるため,若い女性アナウンサー・女性社員は有力な出演者との良好な関係を損なわないよう振る舞わなければならない状況が作り出されていたからである。
このように,編成制作局の幹部が,若い女性アナウンサー・女性社員をハラスメントリスクに晒しながら,有力な出演者と良好な関係を築き,CXのキャスティング力を高めるという企業活動は,まさにCX編成制作局の「業務」として行われており,この業務の成果による利益はCXに帰属する。CXでは,港社長ら編成制作局の幹部が率先してこのような業務を推進していた。
他方,類似事案としての旧ジャニーズ事務所においては,以下のように,取締役の人権意識の低さによる性被害の実態があり,世間一般的に期待される程度の注意を払っているとは言えないが,法人法や会社法の規定に違反しているとまでは断定できず,善管注意義務違反による任務懈怠責任(損害賠償責任)は問えないというのが妥当である。
社長であった藤島ジュリー景子氏は自身の役割について以下のように述べている。「週刊文春から取材のあった1999年の時点で,私は取締役という立場ではありましたが,長らくジャニーズ事務所は,タレントのプロデュースをジャニー喜多川,会社運営の全権をメリー喜多川が担い,この二人だけであらゆることを決定していました。情けないことに,この二人以外は私を含め,任された役割以外の会社管理・運営に対する発言は,できない状況でした。また管轄外の現場で起きたことや,それに対してどのような指示が行われていたのか等も,そもそも全社で共有されることはなく,取締役会と呼べるようなものも開かれたことはありませんでした。本件を含め,会社運営に関わるような重要な情報は,二人以外には知ることの出来ない状態が恒常化していました。」
これらを踏まえた論点1の結論は,役員の人権意識が低く,セクハラを中心とするハラスメントに寛容な企業体質があるというだけでは,役員の欠格事由を問うには不十分であり,役員の競業取引や利益相反取引には当たらないため,役員の任務懈怠責任は問えないというのが妥当である。したがって,役員の損害賠償責任はないものというのが妥当である。
人権DD予算をつけないのは役員の不可抗力か
論点2は,結論から言えば,予算はつけなくても良い。なぜなら,「株式総保有割合が1/3以下なら拒否権はないので不可抗力だからである」。
報告書によると,予算請求の議決は総株式の3分の2を上回る賛成を持って可決されるものであり,労働者側の総株式は3分の2に満たないことが明らかであった。
これらを踏まえた論点2の結論は,法人法により,株式会社のガバナンスとして,オーナーである株主が個人あるいは連名で総株式の3分の1を上回る総数をもって人権DDの予算請求の議題を提案すれば,拒否権を有するため,役員はこの議題の提案を検討せざるを得ないが,予算の議決権は総株式の3分の2を上回る賛成を持って可決されるものと解すのが妥当といえる。したがって,役員が予算請求を否決したことにより,人権DDの予算がつかず,多様な人材の採用が阻害され,ひいては,中長期的な視点に立った持続的な企業価値の向上に資する多様性関連の事業が実施されなかった。これにより見積額としての評価性引当金の損害に対して,善管注意義務,忠実義務に違反する任務懈怠責任を役員に負わせることは,著しく正当性を欠き,違法であるというのが妥当である。
原局主義・同族 論点3については,「企業統治」は,優越的地位の濫用には当たらない。なぜなら,「人権DDが義務化されていないので適法だからである」。
CXの編成制作ラインの3名による本事案への対応でも見られたように,CX経営陣の意思決定の特徴として,外部に助言を仰ごうとせず,「原局主義」で独善的に物事を判断して前に進めてしまう行動様式がある。
その理由について,テレビ局は日々刻々と番組を制作して放送するのが日常業務であり,いちいち放送を止めてじっくり考える時間などなく,走りながら考えて,現場で問題を解決して前に進めていかなければならないという習慣が染みついていることを指摘する声もあった。
2020年のテラスハウス問題では,6月29日にCXの検証報告書が作られたが,検証の主体は,コンテンツ事業センター・コンテンツ事業室・編成メディア推進室・企業広報室の社員であり,弁護士や精神科専門医への聞き取りが添えられたものの,問題を起こした原局による「自己検証」の域を出ていなかった。
2023年の旧ジャニーズ事務所問題では,「旧ジャニーズ事務所の性加害問題と“メディアの沈黙”」と題する検証番組が制作され,10月21日に放映されたが,検証の主体は,編成制作局・報道局・情報制作局であり,大学教授のコメントが添えられたものの,問題を起こした原局による「自己検証」の域を出ていなかった。そして,CXとしての検証報告書は作られなかった。
一方,類似事案として,旧ジャニーズの同族経営が優越的地位の濫用に当たるかに関しては,旧ジャニーズは一族で構成する取締役が全権を握りすべての意思決定をトップダウンで行うという意思決定プロセスにより,内部のものだけで内々に意思決定をするという企業統治方式を採用しているが,それ自体は,法人法,会社法違反には当たらず,閉鎖的な企業統治だけをもって優越的地位の濫用というのは著しく正当性を欠くというのが妥当である。
これらを踏まえた論点3の結論は,人権DDの企業責任は民法ではないので,現時点では(イギリスは別として)日本では義務ではなく,人権DDを業務執行者に対するまたは業務執行者による監視・監督の仕組みとして企業統治の法規則として採用しないことは,法人法の自律的ガバナンスの趣旨に照らし,適法であるというのが妥当である。
結語
人権DDと役員の責任に関して,本稿では,人権DDが社内法規ではないケースでは,役員の任務懈怠責任は問えないという結論に至った。
しかしながら,付言として,今回の事例は,役員の人権意識の低さから,人権尊重経営の観点からは,企業統治に問題があると認められるものの,法規範として,人権DDが採用されていなかったことにより,役員の不可抗力が認められるものとされるところ,社会的妥当性における労働者保護の観点から,上記,役員の善管注意義務,忠実義務違反による任務懈怠責任を問わず,多様性に基づく包摂的な社会を否定することは,正当性を損なう恐れがあることから,提言として,今後,企業統治において,企業の自主性に基づき人権DDを法規範として採用し,社会的妥当性における労働者保護を後押しするモメンタムを醸成することは社会にとって正当性があるものといえるというのが妥当であろう。
[参考文献]
- (1)梅本寛人(2021), 『最新 社団法人・財団法人のガバナンスと実務』, 中央経済社.
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