世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3614
世界経済評論IMPACT No.3614

ソフトランディング後の米国経済

榊 茂樹

(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)

2024.11.11

潜在成長率,インフレ目標,自然失業率への接近

 10月30日発表の米国の7-9月期実質GDPは,前期比年率換算+2.8%,前年同期比+2.7%と,10月21日付の本コラムNo.3593「ポスト・コロナの米国経済の構造変化」で述べたコロナ禍後の労働需給から見た潜在成長率の2.5%に近づきました。同時期のGDP価格指数は前期比年率+1.8%,前年同期比+2.2%と,Fedの2%インフレ目標に概ね合致しました。また,11月1日発表の10月分雇用統計によれば,失業率は4.1%とFedが想定する自然失業率の4.2%に近い所にあります。こうした点から見れば,米国経済はソフトランディングを実現したと言えます。

 ただ,過去,名目・実質GDPが現在と同様に鈍化してきた時,Fedが政策金利を継続的に引き下げてもGDPの鈍化は容易には止まらず,結局,景気後退に陥っているのがほとんどです。今回もソフトランディング後の米国経済がどうなるかは,はっきりしません。

低迷する労働分配率

 過去,景気拡大期の後半には,景気が次第に鈍化する中で労働コストを十分に抑制できず,企業利益が落ち込んでやがて景気後退を迎えました。

 名目GDPの前年同期比成長率は,2022年末の+7.9%から2023年末には+5.8%,2024年7-9月期には+4.9%と減速してきました。一方,GDP統計ベースの税引き前企業利益は,直近値の2024年4-6月期で前年同期比+10.8%の伸びとなっています。名目経済成長率が鈍化する中,企業利益が堅調な伸びを維持するには,企業は雇用者報酬の伸びを低く抑える必要があります。ただ,労働分配率(=企業部門雇用者報酬/企業部門純付加価値)はコロナ禍前の2019年平均の75.2%から直近値の2024年4-6月期には72.0%まで下がり,歴史的に見ても極めて低い水準にあります。雇用者報酬の伸びが抑えられて労働分配率がさらに下がれば,個人消費支出が鈍化しそうです。また,家計の中で所得水準が高い層は,企業経営に携わっていたり,株式を大量に保有していたりする人が多く含まれ,企業利益の増大が所得増につながりやすい一方,所得水準の低い層の所得は雇用者報酬に依存する所が大きい傾向があります。このため,労働分配率の低下は,所得水準の低い層に不利に働き,家計の所得格差拡大を助長して米国の社会の分断をさらに深刻化させる懸念があります。

累増する政府債務

 足元で一般政府(連邦・州・地方政府,社会保障基金の合計)の財政赤字のGDP比は,7%以上と過去の景気拡大期後半と比べて高水準にあり,コロナ禍からの景気回復が財政刺激策に依存してきたことを示唆しています。大幅な財政赤字を背景に,一般政府の総債務残高は累増しており,GDP比では2024年4-6月期には116.3%と,コロナ禍前の2019年10-12月期の101.1%大きく上回り,歴史的期高水準に上っています。

 トランプ新政権が公約としている大幅な減税を行えば,政府債務はさらに拡大するでしょう。また,中国からの輸入品に60%,中国以外からの輸入品には10~20%の関税をかけるとしていますが,これが実現されるとインフレ率が再上昇する可能性もあります。中国だけでなく,欧州・アジア諸国との政治・経済関係も悪化しかねません。政府債務の増大に歯止めがかからないことや,国際的対立の高まりなどから,金融・為替市場が不安定化する懸念があります。

 コロナ禍以降,需要を刺激して需給ギャップを埋める上では,米国の金融・財政政策は大きな役割を果たしてきました。ただ,米国経済全体で見て需給が概ね均衡状態に戻った一方,格差拡大といった構造的問題の解決の糸口は見出されず,政府債務の累増という副反応も生じています。そうした点では金融・財政政策の限界が見えます。ソフトランディングを実現した後の米国経済は,むしろ不透明感を増しているようです。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3614.html)

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