世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.3593
世界経済評論IMPACT No.3593

ポスト・コロナの米国経済の構造変化

榊 茂樹

(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)

2024.10.21

潜在成長率の上昇と労働市場の弾力化

 10月14日付の本コラム「米国の失業率の上昇は止まったのか」で,オーカンの法則が示す実質GDP成長率と失業率の関係がコロナ禍後に変化したことについて述べました。両者の関係の推計式を再述すると,以下の通りです。

  • x=(実質GDP前年同期比成長率,%),y=(失業率の前年同月差,%ポイント)
  •  
  • 2007年1-3月期~2019年10-12月期
  • y=-0.6626x-1+1.1176 (x-1は1四半期前の実質GDP前年同期比を示す)
  •  
  • 2020年1-3月期~2024年7-9月期
  • y=-0.8743x+2.1882

 失業率が変化しないときの実質GDP成長率,つまり労働需給面から見た潜在成長率は,前者では1.1176/0.6626=1.6867%,後者では2.182/0.8743=2.5028%と計算されます。9月26日発表のGDP統計年次改定で,2019年以降の実質GDPが上方修正されたことにより,潜在成長率の上昇が明らかになったと言えます。2020年以降の推計は,実質GDP成長率が2.5%を下回れば失業率が上昇しやすいことを示しています。また,x項の係数の絶対値が0.6626から0.8743に上昇したことは,GDPの変化に応じた失業率の変動が大きくなったことを示しています。さらに2019年までの推計では,実質GDPの変化に対して失業率は1四半期遅れて変化する傾向が示されていたものが,2020年以降では同じタイミングで変化するようになっており,失業率の反応が早くなったこともうかがわれます。

 こうした潜在成長率の上昇や労働市場の弾力化は,情報通信技術や人工知能などに関する知的財産投資の増大や,リモート・ワーク,副業,ギグ・ワークとも呼ばれるフリーランス契約などの増大といった就業形態の変化によるものと考えられます。

労働分配率の低下

 GDP統計の年次改定により,労働分配率がコロナ禍前に比べて大きく下がったことも明らかになりました。企業部門の労働分配率(=企業部門雇用者報酬/企業部門純付加価値)は,2019年には年次改定前75.27%,改定後75.24%と大きく変わっていません。一方,2024年前半では改定前74.14%,改定後72.02%と下方修正されました,労働分配率は2000年代初には82,3%であったものが,その後景気循環に伴って変動しながらコロナ禍前から長期的低下傾向をたどっています。その点では,足元の労働分配率の低下は,コロナ禍後の構造変化とは言えません。ただ,先に述べたように潜在成長率が上昇したと見られる中でも,その恩恵が労働者に行き渡っていないことは,注目されます。

恒常的な民間部門の貯蓄余剰

 企業と家計の合計である民間部門の貯蓄・投資収支(資本移転を除く)を見ると,コロナ禍前の2019年にはGDP比+4.5%と貯蓄余剰の状態にありました。コロナ禍後の政府からの給付金の支給で民間部門の貯蓄余剰は一時GDP比20%以上に急増した後,給付金が徐々に支出に回ったことで,2022年前半には一旦貯蓄余剰が解消されました。しかし,こうした財政刺激策の効果が一巡すると,2023年1-3月期以降の平均ではGDP比+3.7%と,コロナ禍前の水準に近い貯蓄余剰に戻っています。民間部門の貯蓄余剰,つまり所得と支出のバランスで見れば支出不足は,リーマンショック以降続いています。民間部門の貯蓄余剰の恒常化は,大幅な財政赤字を伴う財政刺激策がなければ,米国経済が需要不足に陥りやすいことを示しています。

 民間部門の貯蓄余剰がコロナ禍前から続いている点では,これもコロナ禍後の構造変化とは言えません。ただ,コロナ禍後の潜在成長率上昇による供給能力の拡大が,十分な需要増を伴っていないことが示唆されます。コロナ禍後の物価急騰は,一時的・局所的な供給制約と大型財政刺激策によるもののようです。足元で一般政府(連邦政府,州・地方政府,社会保障基金の合計)の財政赤字はGDP比7%を超え,景気後退期や景気回復初期を除けば,歴史的高水準です。トランプ氏,ハリス氏のどちらが大統領になっても,大型財政刺激策を打つ余地は小さいでしょう。今後の米国経済では,供給超過・需要不足傾向が強まることで,2010年代のようなディスインフレの時代が再来しそうです。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article3593.html)

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