世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日本銀行のマイナス金利解除:何故,春先待望論が高まったのか
(慶應義塾大学 教授)
2024.02.12
世界の数多くの中央銀行が正常化を進めるなかで,日本銀行は金融緩和を続ける数少ない中央銀行だと論じられることが多い。
しかし,実際には日銀は以前から金融政策の内容を少しずつ変えていた。
マイナス金利政策の緩和措置がその一例だ。当座預金にマイナス金利を適用すると銀行が日銀に利息を支払わなければならないので,銀行の負担は高まる。
このため日銀は大量に資産を買い入れることでバランスシートが拡大し,それにより増え続ける当座預金に対してマイナス0.1%の付利が沢山適用されるのを避ける工夫をしてきた。たとえば,0%の付利が適用される当座預金へより多く移し替える対応などがある。このことから日銀が早くからマイナス金利の副作用を認識していたと推察される。
マイナス金利の副作用をECBよりも強く認識していた日銀
これがより明確になったのは,コロナ危機後の景気後退局面だった。銀行への長期融資制度におけるマイナス金利の取り扱いが,欧州中央銀行(ECB)と真逆だったことから裏づけられる。
ECBは2014年にマイナス金利を導入し,その後,預金ファシリティ金利をマイナス0.5%まで深堀していた。2020年にコロナ感染症により景気後退に陥ると,ECBは2019年から導入していたTLTRO IIIと呼ばれる長期融資制度を拡充した。これは3年間の満期で銀行の民間融資実績をもとに銀行に資金を貸し出す制度である。2020年には銀行がECBから借り入れできる金額を増やし,ECBの貸付金利も0%からマイナス1%まで引き下げた。これにより銀行はマイナス0.5%の付利と比べて0.5%も低い金利(0.5%補助金付き金利)でECBから借り入れできた。
ECBは,金利全体を下押しすることで,銀行が民間に貸し付けを拡大するインセンティブを高めたのである。
一方,日銀は日銀当座預金残高の一部に2016年からマイナス0.1%の付利を適用している。コロナ危機後に緊急的に実施したコロナ特別支援オペでは,ECBのように貸出金利を下げるのではなく,同オペに関連する付利をプラス0.1~0.2%に引き上げた。このオペは0%の貸付金利で民間融資実績に対して1年以内の期間で銀行に融資する制度である。銀行は最大0.2%の補助金を付利を通じて得ることができた。
このやり方は金利全体の押し上げにつながり,看板政策のマイナス金利効果を弱める。銀行負担は減ったが,枠組みの複雑化により日銀の意図が分かりにくくなった。
10年金利も事実上の利上げを実践
日銀はもうひとつ10年金利の政策内容も徐々に変更してきた。
長短金利操作の枠組み(マイナス金利と0%程度の10年金利誘導目標)は2016年導入以降維持しているが,事実上の長期金利の引き上げを行ってきた。2022年12月には上限を0.25%から0.5%へ,2023年7月に1%へ引き上げ,同年10月には1%を「目途」として1%を超えることを可能にした。
とはいえ,オーバーシュートコミットメントの下で長期国債保有残高を増やしているので,10年金利は1%を超えていない。オーバーシュートコミットメントは,コアインフレ率が安定的に2%を超えるまでマネタリーベースの拡大を続けるという方針である。現在,日銀が保有する長期国債は発行残高の54%程度になる。
なぜ今年春頃のマイナス金利解除待望論が台頭したのか
植田和男総裁を始めとする日銀幹部は当初はマイナス金利の撤廃を強く否定していた。しかし,昨年9月頃からマイナス金利撤廃を示唆する発言が増えている。とくに昨年11月から今年1月にかけて植田総裁は「実質賃金が下落していても正常化の判断の制約とはならない」と踏み込んだ発言をしている。
昨年10月の「金融安定レポート」でも,日銀は短期金利と長期金利の両方を1%平行して引き上げるシナリオと長期金利だけを1%引き上げるシナリオについて銀行の資金利益に及ぼす影響のシミュレーションを公表しており,正常化に向けた地ならしをしている印象を与えている。
市場参加者の方は,植田総裁就任当初から,(マイナス金利撤廃を含む)長短金利操作の撤廃への期待を高めていた。総裁が2%の安定的実現が見通せるまで現状維持をすると強調する一方で,国債買い入れの副作用にも言及してきたことが期待を高める方向に寄与したようだ。
日銀はマイナス金利の副作用についてほとんど言及していないが,それでも撤廃に向けた発言が目立ち始めたのは,銀行への配慮が根底にはあるとみられる。
なぜ3月か4月の金融政策決定会合で政策変更が行われるとの待望論が急速に高またのだろうか。
二つ理由が考えらえる。ひとつは,インフレ率が低下しているからだ。インフレ率は2022年4月から2%を超えていた。ただ大半はコモディ価格の高騰と円安による輸入物価の高騰なので,コストプッシュインフレである。
インフレ率はピークの4.4%から低下をしており,直近の昨年12月のインフレ率は2.6%まで低下した。全国に先行して発表される東京都区部の1月中旬までのインフレ率は1.6%で,2%を下回った。
12月の全国インフレ率の主因を見ると,7割が食料である。食料のインフレ率は次第に低下していくことが予想される。
次いでインフレの2割弱が宿泊料である。11~12月に対前年60%も上昇したのは,超円安で誘発されたインバウンド需要の急増と原材料価格の高騰で宿泊料が引き上げられただけではない。その前年に政府の補助金支給で宿泊料が引き下げられたことの裏の影響もあったようだ。この影響が剥落した1月の東京都区部の宿泊料の引き上げ率は27%にとどまっている。残る5%程度のインフレが携帯電話料金の通話料の値上げだが,毎年値上げが続くとは考えにくい。
したがって,今後のインフレ率は低下傾向が続くと見込まれる。今年4月に政府が電力料金などの補助金を撤廃すれば,その分押し上げられる。しかし,食料インフレなどの低下により全体としてインフレ率はしだいに低下していくと見られるため,政策変更を急いだ方がよいとの見方があるのかもしれない。
もうひとつの理由は,米国連邦準備制度理事会(FRB)による利下げが今年5月か6月に行われる可能性が高いからだ。利上げが強く意識されると米国の長期金利が低下し,日米金利差縮小により円高に振れやすくなる。金利差はまだ大きいので,大幅な円高は進みにくいが,トランプ氏による大統領就任の可能性が高まると,彼の発言が株式・金融市場の波乱要因となり,FRBの政策のかじ取りが難しくなる。そうなると日銀の金融政策判断の難易度も高まりかねないので,政策変更は急いだほうが良いということなのかもしれない。
どのような政策変更が考えられるのか
筆者が海外のメディアから最近受ける質問に,日銀は他の中央銀行が実施したように連続利上げするのかというものがある。
日本経済は消費を中心に内需が弱く,すでにインフレ率は低下してきているので連続利上げは考えにくい。現在の付利がマイナス0.1%,0%,プラス1%の三層構造になっているので,これを0%とプラス1%の二層構造にするであろう。同時に,10年金利の0%誘導目標を撤廃するのではないか。こうした政策変更に留まり,連続利上げを強く否定すれば市場に大きな影響を引き起こすとは考えにくい。
ただし10年金利については市場参加者の解釈により大きく変動する可能性もあるため,1%の目途はしばらく維持するのがよいのではないか。またもし日銀がオーバーシュートコミットメントを撤廃する場合,国債は必要に応じて買い続け少なくとも残高維持をするとのメッセージを発信することも市場の安定化のために必要かもしれない。
フォワードガイダンスに基づく金融政策運営
オーバーシュートコミットメントの他に,日銀にはもうひとつフォワードガイダンスがある。2%を目指し,安定的実現に必要な時期まで長短金利操作を継続するという方針である。フォワードガイダンスは,現在の金融緩和政策をどのような条件が整うまで維持するか方針を示すコミュニケーション手段である。
大雑把に言えば,二つのフォワードがダンスとも2%インフレの安定的実現が金融緩和を解除する条件となっている。このため日銀は2%が安定的に実現できる見通しが整ったのかを政策変更の前に示す必要があるだろう。
日銀は物価と賃金の好循環が高まっていると強調しているため,市場では春闘で昨年(3.6%)以上の賃金上昇率が見込まれれば,日銀は政策変更に踏み切るとの見方が大勢だ。だが,本来,2%の安定的実現ができるという見通しを示さないと,フォワードガイダンスが意味をなさないことになるのではないか。
現在の経済物価情勢では2%の安定的実現はなかなか見通しにくい。昨年の春闘で30年ぶりの高い賃金上昇率で妥結したが,中小企業を含む実際の賃金上昇率は4~12月の平均で1.3%程度でしかなく,その前年同期(1.9%)より低い。実質賃金もマイナス2.3%でその1年前(マイナス1.6%)よりも低い。実質消費は物価高騰により停滞している。企業の設備投資は増えているが,資本ストックを大きく増やすほどではない。インフレ率は食料と宿泊料を除くと0.4%程度に過ぎない。
それでも日銀が正常化に向けて踏み出すのであれば,2%物価安定目標の柔軟化が必要になるのではないか。たとえば,2%数値ではなく,1~3%といったレンジにし,3年毎に見直すとすれば,矛盾のなく政策変更が可能になる。また前述したような変更であれば,ある程度の金融緩和も長く続けられる。検討の余地はあるのではないか。
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