世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2889
世界経済評論IMPACT No.2889

ChatGPTは金融・経済評論家の職を奪うか?

鶴岡秀志

(元信州大学先鋭研究所 特任教授)

2023.03.20

 今年の春闘は政府の旗振りで大手企業の賃上げが相次いでいる。ところで,恒例の,ホワイトボードに女性が企業ごとの交渉妥結数字を書き込んでいく様子はあまりにも昭和的であり,令和のDXの時代にそぐわない。各労組から自動集計した結果をWEBにアップすれば数値処理も一発完結,労働組合事務所の効率化も図れると思うが如何だろうか? どうしても昭和的風景が欲しければ,TVの「絵」取りの代わりに過去のビデオをCG処理で服装と数字だけを変えて放送すれば済むことであるのだが。自動集計で組合も放送局も労働生産性を格段に向上できるはずだが,その考えに至らないほど日本は退化しているのだろうか?

 デジタル化でニュース放送の労働生産性を上げる手法として,ChatGPTを始めとした生成AIが今後急速に導入される予兆が感じられる。試しにChatGPTに,「日経平均株価予想の信頼度は?」と訪ねたら,「…市場や経済の状況,政治情勢,企業業績などの複雑な要因によって多く変動します。そのため,予想の信頼度は高いとは言い難いとされています。(以下省略)」と回答してきた。また,「日本の金融経済において数学的解析が弱い理由を100字以内でまとめよ」と尋ねると,「…日本の金融・経済に関わる人々が数学的知識やスキルを持ち合わせいないことが挙げられます。(中略)定性的な評価が重要視され,数値的な分析やモデリングに対する理解が浸透していないという背景が考えられます」と回答してきた。ChatGPTに近未来の予想を尋ねると予測はできないという答えが返ってくるので,あくまでもWEBに蓄積されている,現在より過去の情報を処理して得られる回答しかAI処理できないアーキテクチャーということが判る。既に指摘されているように,ChatGPTはWEB上にある情報の質を判断する機能は用意されていない(ただし公序良俗に反するものは排除する機能は備わっている)ので,答えが適切かどうかは人間が判断しなければならない。同じ内容の質問でもChatGPTの出力形式の指定方法により幾分異なった結果になるので「全知全能神ゼウス」や「お釈迦様」の様になんでも理解してくれるわけではなさそうである。

 このChatGPTが出力してきた日本の金融・経済界の数学能力欠如という指摘はかなり当を得ているのではないかと予想される。平たく言えば,現在の経済・株価予想は思い込みでやっている昭和の残渣でしかないと言えるだろう。筆者が以前から指摘するように,日経電子版や日経ビジネス電子版に比べて,日経プラス9のコメンテーターにより株価と経済指標予測で取り上げられるチャート分析はオソマツなものが多く,TVという影響力の大きい媒体としてその信頼性検討の余地が大きい。「投資判断は視聴者の皆様でお考えください」と言い訳をいつまでも続けるのは苦しい。異常値や予想とのずれを議論する科学(サイエンス)と異なり,工学は測定された結果を数学に基づいた数値処理と確率・推計で現象を最大公約数的に特定する学問・手法である。その訓練を受けた筆者の目から見ると,当該番組のアナリストの紹介するデータ処理の方法,数値比較の根拠の貧弱さということが目についてしょうがない(先日初登場の外資系金融機関の方の説明は別格だった。また,従来からも的確な分析を紹介される方もいるのだが)。大半の金融機関アナリストは微分と積分の違い,平たく言えば変化と平均の違いをまるで理解していないので,意味の異なる結果をかなり恣意的に結びつけて判断しているとしか思えない。本来は「多重解析」という手法で分析しなければ関係性が解らないことを,「傾向が似ているから」とグラフを重ね合わせることで「評価・判断・予想」を行ってしまうのであろう。日常的に「定性的な評価が重要視されている」ことが見て取れる。超楽観的に株価上昇を予言したら翌日から大幅安になったのもこの3月のことである。これでは証券会社窓口で投資相談をする気にもなれない。

 既にChatGPTの可能性については多くのコメントが出されているが,マスコミのはしゃぎ方は軽薄で幼稚なので省みる必要はまるで無い。一方で,2月27日の日経プラス9では国立情報学研究所の佐藤教授とnoteプロデューサーの徳力氏が適切な解説をされていた。指摘されていた要点は,研究レベルでは驚きのものではないが一般の人が最先端の情報処理技術に簡単にアクセスできることである。生成AIは,ヒトが懸命に探してまとめるよりもよっぽど早くスマートにまとめてくれるツールである。そのため,過去に積み上げられていることを調べてまとめる学校の宿題やレポートの作成では素晴らしく便利なツールである。逆に使いこなすには絶えず情報の良否を判断する能力を養い,ChatGPTに尋ねる文章を工夫しないとレスポンスがイマイチということになる。極端な話,小中高の時代に知識を詰め込めるだけ詰め込んでおかないとTVでアナウンサーが紹介する程度の問い掛けしかできないことになってしまう。近いうちにChatGPTや他の生成AIで応答してくる内容で知識レベルを判断するサービスや入試が登場するのではないだろうか。

 ここ数年,偏差値上位の大学の経済学部や法学部,さらに外大の入試でも数学を必須とする傾向に変わり始めている。初等中等教育の負担を減らすという名目の下に70年代半ばから減らされ続けてきた数学を,理系文系を問わず理解習得していなければならないということになってきた。今どきEXCELのマクロ(簡単なプログラミングツール)を使えないようでは,データ分析どころかeducatedと名乗ることもおこがましい,という風潮である。「数学なんて社会に出たら役に立たない」という文系主体の我国の社会構造がやっと地殻変動を起こし始めた。国民のITリテラシィの底上げを図るためということも公然と挙げられている。しかし,ITリテラシィの低いマスコミは,幼稚園児がタブレットに触れてタッチ式図形の組み合わせで簡単なプログラミングをすることを大騒ぎして取り上げるが,これは物事の成り立ちや行動のプロセスを分解して時系列を整理して工程・行程を組み立てるコツを学ぶツールと訓練である。実際のプログラミングはプロセスも数学的言語,すなわち記号に置き換えていく作業である(ChatGPTを使うとそれなりのプログラムを作ってくれるが,システムとして使うには修正しなければならないのがイマイチ) 。数学的データ分析の感覚とは,例えば,入力データの処理を行う時にまるっきり性質の違うデータを並列で入力しても意味をなさないことを知ることである。大学理工系卒業者でないとピンとこない例であるが有効数字という数値処理の「約束事」がある。足し算をすることを考えてほしい。A=1とB=100億を同時に足し算A+Bに入力したとき,「1」は「100億」に対して有効数値6桁以下なので数値として意味をなさない。また,よく使われる「ベクトル」は,「方向と量」を合わせた数量である。T Vや書籍で見るほとんどのケースは方向だけの意味で使っているので間違いである。

 大学までの教育で数学とITが今のペースで拡充が進むと,10年後には数学無しで過ごした文系出身の金融・経済専門家は身の置き場に困るだろう。経験則が重要だと言っても人間の経験と記憶はWEBに溜め込まれた情報に比べればゴミみたいなものだし,情報収集分析もChatGPTや生成AIに比べれば取るに足らない。生成AIの方が何万倍も有益なツールとして使えるので「おじさん,おばさん」の経験則は無用の長物である。恐らく数年後には,日経プラス9の経済・金融コーナーは生成A Iの分析紹介と「占い師」の御宣託という構成になるかもしれない。いわゆるアナリストは不要になり,日経ベリタスのコラムもボットが執筆することになるだろう。これらは夢物語ではなく,すぐそこにある現実である。

 以前筆者が指摘したように,基本的にAIがCGと合成音声で作成できるTV番組は,システムと配信管理をする人員だけで運営されることになるので放送局というハードも陳腐化する。NHKが大河ドラマ用の背景生成巨大スクリーンを自慢していたが,映画のCG合成画像技術があるのにアナクロである。

 さて,金融経済解説を生業としている方々はこれから数年の間,どういう失業対策をとるであろうか。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2889.html)

関連記事

鶴岡秀志

最新のコラム