世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2633
世界経済評論IMPACT No.2633

ナジブ元首相の汚職有罪は確定するか:8月15日から連邦裁判所(最高裁)で決着へ

小野沢純

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2022.08.15

 汚職で有罪判決(禁錮12年と罰金2.1億リンギット)を下されて保釈中のナジブ・ラザク元首相の連邦裁判所(最高裁)の公判が8月15日~26日の10日間行われる。元首相が初めて収監されるか,あるいは無罪放免されるか,現下の不安定なマレーシア政治情勢とも絡んで連邦裁の審理と判決が注目される。

1MDB(ワン・マレーシア開発公社)からの巨額汚職事件

 ナジブ元首相は,2009年に首相に就任。自ら発足させた政府系投資ファンド1MDB(ワン・マレーシア開発公社)を通じた45億ドルもの巨額汚職事件が明るみに出た。2018年5月の総選挙では独立来初めて統一マレーシア国民組織(UMNO)が下野し,マハティール首相率いる新政権(PH=希望連盟)政権を獲得。選挙公約に従って1MDB疑惑の解明に着手し,2018年7月にナジブ前首相は職権乱用・背任・資金洗浄罪(マネーロンダリング)など42件もの罪状で起訴された。起訴件数があまりにも多いので,公判は5つのグループに分けられた。

 今回連邦裁判所に上告されたものは,1MDBの資源開発子会社SRCインタナショナル社の裁判。これはSRC社へ資源開発名目で公務員退職金基金(KWAP)から融資された40億リンギット資金の内,4,200万リンギット(約11億円)が,2013~2014年にナジブの個人口座に不正に入金されたというもの。

 初公判は2019年4月3日,高裁の被告席にナジブ元首相が初めて座った(ちょうど10年前の同じ日,首相の座についた)。証拠もあり,単純な犯罪にも拘わらず弁護側の引き延ばし作戦とコロナ禍によって裁判は1年3か月を要した。2020年7月28日に一審でナズラン裁判官が有罪判決を下すやこれを不服としてナジブ側は控訴裁判所(二審)に上訴,控訴裁判所(3人の裁判官)でも長い審判となり,2021年12月8日に高裁判決で有罪(禁錮12年と罰金2.1億リンギットの有罪)となった。

 同判決では,4,200万リンギットはアラブ王室からの献金と主張する被告に対し,「アラビアンナイトを凌ぐ作り話」と断言。また,国益を重んじた末の行為との主張には「国恥」と断定した。

高裁判決の無効を求めるナジブ被告

 ナジブ側は今年3月,高裁の裁判官モハマド・ナズラン判事が資格を有していないとする問題を突然持ち出した。ナズラン判事は,以前に有力銀行メイバンクの顧問弁護士をしており,同行が2012年に1MDBに融資したときに関与していたので,利益相反(conflict of interest)の立場にあると主張。判決の無効を訴えた(6月7日)。これに対して検察側は,ナズラン判事の前職は周知の事実であり,SRC裁判とは無関係。利益相反はない,との供述書を出した(6月29日)。

 ナジブ支援のブログとして悪名高い”Malaysia Today”は「ナズラン判事の100万リンギットの疑惑預金が汚職防止委員会によって捜査されている」(注1),と不確定情報を流した(4月19日付け)。これに対しナズラン判事及び連邦裁判所事務総局は全くの事実無根情報としてポリス・レポートを出した。だが,汚職防止委員会長官は同事案については,捜査報告書をすでに法務長官に提出して指示を待っていることを認めた(5月23日)。

 これに強気になったナジブ元首相は,汚職防止委員会の捜査内容をすべて把握しており捜査担当者3名を証人として喚問するよう求める供述書を7月14日連邦裁に提出した。これに対し検察は,公的機密を利用し権力者然と振舞うナジブ被告に「ナズラン判事を貶めるねらいがある」と供述書で批判した。

 次の大きな動きはナジブ弁護団の変更である。連邦裁での弁護団にイギリスの勅撰弁護士ジョナサン・レイドロー氏が加える申請をしたが,高裁は「国内に人材がいるので勅撰弁護士は不要」とこれを却下した(7月21日)。これに対し7月25日,ナジブは大胆にも弁護団を総入れ替えし,新たにザイド・イブラヒム元法務大臣率いる弁護士事務所ZISTのヒシャム・テエ主任弁護士のグループを採用した。公判直前に弁護団を変更するナジブの狙いは裁判引き延ばししかない。7月26日,新弁護団は,①準備のためSRC公判を延期してほしい,②6月7日の申し立ての再確認を連邦裁判所に申請した。

 7月29日の裁判準備手続き会議で連邦裁判所事務総局は,①いかなる公判延期も認められない(法廷準備は両弁護士団で話し合えばよい),公判は予定通り8月15日~26日の10日間行う,②ナズラン判事の利益相反問題と裁判無効の申し立は8月15日からの公判で審理する,と弁護側と検察側に回答した。

 8月に入ってからもナジブは動く。ナジブの口座に入金された4,200万リンギットはメイバンクからSRCに融資された1.4億リンギットの一部である,前述を翻す3回目の供述書を8月5日に連邦裁判所へ提出した(注2)。

 破れかぶれ的なナジブ被告の最後の訴えをトゥンク・マイムナ連邦裁判所長官を裁判長とする5人の裁判官(控訴裁判所長官,マラヤ裁判所長官,サバ・サラワク裁判所長官,連邦裁判事)がどう厳正に裁くか注目される。ただ,公判初日(8月15日)に新弁護団は裁判延期を口頭で訴え,もし認められないなら弁護を辞退することを示唆した(8月10日の準備手続き会議で)。裁判引き延ばしを狙うナジブの術中に嵌ってしまうのか。

司法介入とUMNOナジブ陣営の復権

 マレーシアに三権分立があるとはいえ,為政者の影響力は無視できない。

 マハティール政権が倒れた直後の2020年3月にムヒディン新首相の就任を祝いにやって来たナジブは,自分の公判(SRCではなく,IMDB本体の裁判)を担当している「ゴパール・スリラム主任検察官を解任するよう依頼してきたが,断った」,とムヒディン氏は後に証言している。同様にザヒドUMNO総裁も大きなファイルを抱えて自宅にやって来て自分の抱えている起訴案件(全部で80件)を撤回してほしい,と言ってきたが拒否した,とムヒディンは述べている(注3)。

 また,2020年9月23日,アンワル野党代表は,過半数の議席を確保したにもかかわらず政権を樹立できなかったのは「起訴の取り消しなど裁判への介入はしない,という私の条件が(UMNOから)受け入れられなかったからだ」,と2022年4月19日に初めて釈明した(注4)。

 なぜこのような事が起きるのか。端的に言って,2022年2月末の総選挙でマハティール政権がナジブらのUMNO陣営によって略奪・乗っ取られたからだ。当時与党のBersatu(マレーシア統一プリブミ党)のムヒディン総裁や人民公正党(PKR)のアズミン・アリ副総裁らの造反というよりも,復権に執念をもつUMNOナジブ陣営によって巧みに切り崩され,利用されたのだ。3月に発足した新政権は議員数でUMNOが筆頭(38名),ナジブらの裁判に介入しようとしないムヒディン首相はやがてUMNOから支持を失い,2021年8月17日に瓦解。今度はUMNO序列三番手のイスマイル・サブリ副総裁補が首相として登場し,文字通りUMNO政権が復活,政権側の司法介入が目立つようになった。汚職で起訴されたUMNO要人(アフマド・マスランUMNO幹事長ら4名)が証拠不十分や罰金を払う条件などでUMNO復帰後の2020年~2021年に起訴が撤回された。

 さらに司法機関も政権寄りの姿勢を強めている。汚職防止委員会が十分に検証せずにナズリ判事の捜査に入ったことにマレーシア弁護士会が抗議し,三人の弁護士が憲法違反ではないかと提訴した(高裁はこれを受理し,10月19日に連邦裁判所で審理に入る予定)。また,7月には1MDB汚職事件の黒幕である華人実業家ジョー・ロー(Low Taek Jho(中国に逃亡中)が米国の弁護士事務所を通じ,15億リンギットを支払う代わりに無罪にしてほしい,という交渉をイドルス・ハロン法務長官に持ち込み,法務長官側はこれを拒否した(注5)。しかし,法務長官が黒幕と交渉すること自体が問題だ。しかも交渉の仲立ちをしたのが,2016年1月にナジブ首相の1MDB嫌疑を晴らしたアパンデイ元法務長官だった。UMNOナジブの復権はもはや否定できない。

 しかしながら,SRC裁判では「事件は公判で提示される証拠と法律の原則によってのみ判決が出される」(注6)というトゥンク・マイムン連邦裁判所長官の見解がこの裁判でも貫かれることになる。そうであればナジブ元首相は有罪が確定し,収監される可能性が大きい。だが,現在のUMNO政権下では国王へ恩赦を進言しやすい。仮に国王の恩赦があったとしても,残り四つの裁判が続く。

 本来なら,野党連合が政権奪還に走るべきだが,かつて勢いはない。野党勢力はマハティ―ル元首相の新たな祖国運動(GTA)と選挙協力しない限りUMNO/BNを打ち負かすことは難しい。

[注]
  • (1)“Judge Mohd Nazlan being investigated for unexplained RM1 million in his bank account”, Malaysia Today, April 19,2022
  • (2)“Najib:SRC trial judge involved in proposing and advising on RM140m loan facility to SRC”, theedgemarkets.com, August 9, 2022
  • (3)“Najib sought my help to remove Sri Ram as DPP-Muhyiddin”, Malaysiakini, Jan 21,2022, “Ahamad Zahid asked me to intervene in his court case after showing stack of files- Muhyiddin”, Bernama, May 5, 2022
  • (4)“Ini soal prinsip-Anwar jawab sindirian majoriti‘kukuh,meyakinkan’”, Malaysiakini, Apr 19, 2022
  • (5)”AGC sahkan tolak semua tawaran penyelesaian dibuat Jho Low”, Malaysiakini, Jul 16. 2022
  • (6)“Tohmahan terhadap hakim, badan kehakiman agak keterlaluan- Tengku Maimun”, Berita Harian , April 27, 2022
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2633.html)

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