世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
TSMCの“裏切者”か,中国半導体の“救世主”か:中国に渡った台湾人技術者—張汝京と蒋尚義
(九州産業大学 名誉教授)
2021.10.04
(1)張汝京:「中国半導体の父」と呼ばれた人物
張汝京に対する評価は毀誉褒貶の双方がある。台湾側からは台湾積体電路製造(TSMC)の「叛将」(裏切り者,謀叛する者の大将)の1人と呼ばれている。他方,中国側からは中国の半導体の基礎を構築した中国の「半導体の父」と呼ばれている。
張汝京は1948年に南京に生まれた。1949年には中国で共産党政権が誕生したため,一家は台湾に逃れてきた。学業成績は優れ,台湾トップの台湾大学機械工程学系を卒業し,ニューヨーク州立大学バッファロー校(UB)で修士号を,サザンメソジスト大学(SMU)で博士号を取得した。1977年にテキサスインスツルメンツ(TI)に就職し,20年間技師として働いた。1997年に台湾に帰国し,世大積体電路を設立した。当時は台湾のフゥアウンドリー(半導体の受託製造)が発展し始めた頃で,世大は台湾ではUMC(聯華電子),TSMC(台湾積体電路製造)に続く,第3位のフゥアウンドリー企業になった。
2000年になると,TSMCは生産能力拡大のため,業績が芳しくなかった世大積体電路をM&A(合併・買収)した。合併後は,世大一社の生産規模から見ても張汝京総経理(社長)は,せいぜいTSMCの工場長クラスにしか扱われなかったため,張は嫌気をさしたのか,病気を理由に辞職し,数百人の部下を連れて上海に行き,上海市政府の資金でSMIC(中芯国際集成電路製造)を設立した。中国初の半導体企業であり,その故に,張氏を中国の「半導体の父」と呼ぶようになった。
当時の中国ではTSMCのビジネスモデルを模倣することの是非を考えることはせず,張汝京は上海で工場を建て,部下の台湾人技術者を使い,TSMCのモデルをSMICに複写し,人材もTSMCからヘッドハンティングして,いち早くキャッチアップしようと考えた。しかし,これが失敗の要因となった。TSMCから特許侵害で提訴され,SMICは2億ドルと同社株式の10%の株券を損害賠償で支払うことになり,張の辞職までに発展した。
2011年12月に,東莞市の天授電子科学技術有限会社傘下の広東海芯集積電路が設立され,張汝京は顧問として招聘された。2020年3月に工場建設が始ったが同年12月に工場建設は中止された。詳しいことがわからないが,巷間では政府資金申請の詐欺グループに詐かれたと言われている。近年,中国は「半導体大国」を狙い,莫大の資金を半導体企業に補助金を提供している。詐欺グループはこの補助金を狙ったという訳だ。
TSMC創業者の張忠謀(モリス・チャン)は張汝京についてこのような発言があった。「張汝京は“工場建設の名人”であるが,“経営の名人”ではない。氏が採用した経営モデルは(TSMCの)人材のハンティングと(TSMCの)模倣スタイルであるため,失敗の要因になった」と厳しく指摘した。
(2)蒋尚義:武漢弘芯の詐欺から騙された人物
蒋尚義は1946年に台湾で生まれ,1968年に台湾大学で卒業し,1970年にプリンストン大学で修士号を,1974年にスタンフォード大学で博士号を取得した。その後,テキサスインスツルメンツ(TI)とヒューレットパッカード(HP)に就職した。1997年に台湾に戻り,TSMCのR&D部門副総裁に就任し,2006年7月に退職した。しかし,2009年に創業者の張忠謀から招聘され首席運営官を担当し,その後の2013年に再びTSMCを退職した。
2016年12月にSMICに就職した蒋尚義は,2019年6月には武漢弘芯に転職し首席CEOに就任した。しかし2020年12月,蒋尚義は再びSMICに戻り,今度は副会長に就いた。事前に蒋尚義のSMICの復帰と副会長への就任を知らされていなかった共同首席CEOの梁孟松はこれに激怒,辞表を提出した。しかし,SMICは梁孟松の待遇を大幅に引き上げて氏の辞職を慰留した。事実上,蒋尚義の武漢弘芯への移籍は,詐欺グループに出会ったことがきっかけであり,以下はその経緯である。
2017年11月,登記資本金20億人民元で武漢弘芯半導体製造が設立された。持株90%の大株主は北京光量藍図科技公司であり,18億人民元を投資するという。武漢東西湖区政府の武漢臨空港開發區工業発展投資グループの持株は10%で,2億人民元を投資することを承諾した。武漢弘芯は対外的に1280億人民元の投資を公表し,第1段階に520億人民元を投資する計画としていたが,政府からの資金が振り込まれないため,企業のホームページを閉鎖した。これは,蒋尚義の名義を利用した詐欺グループによる政府の出資金と銀行からの融資を騙し取る資金詐欺であった。武漢弘芯設立初期の会長兼社長の李雪艷は,酒類と漢方薬の販売とホテル経営の経験があるが,半導体ビジネスの経験はない。武漢弘芯の設立初期の理事曹山は,自称「泉能先進集成電路産業研究院」のオーナーである。メディアによると,「曹山」は偽名であり,本名は「鮑恩保」という。台湾で著名な業界専門家の陸行之は,「蒋尚義と共に中国に渡った元TSMCのメンバーは,(中国の)投資家に愚弄され,資金不足に陥っただけでなく,評判を著しく損ねた」とコメントした。
では,何故SMICは蒋尚義を再び副会長に招聘したのか。米商務省は2020年12月,中国の軍用兵器に半導体を供給していることからSMICを安全保障上問題がある企業を並べた「エンティティー・リスト」に加えた。これにより10nm(ナノメートル)以下の半導体生産に必要な製造装置などについて,原則的にアメリカからの輸出許可は発給されなくなった。こうした状況の中で,蒋尚義はオランダの半導体製造機器のASMLとの関係が大変良好で,SMICはエンティティー・リストにより購入できない製造機器を蒋尚義のコネクションで入手しようと考えた可能性がある。そのほかに考えられるのは,蒋尚義が武漢弘芯の在任時に,ASMLから購入し,武漢農村商業銀行に債務の担保として差し押さえられた深紫外線リソグラフィ(DUV)の件がある。SMICが蒋尚義を副会長として迎えることに合わせ武漢弘芯の債務5.8億人民元を肩代わりし,合わせてDUVをSMICが入手しようとしたのだ。なぜならば,SMICがエンティティー・リストに指定されると,ASMLからDUVや極紫外線ソグラフィ(EUV)の購入ができないからである。DUVは線幅28nmから7nmまでのウエハーを製造に用いられ,線幅7nm以下のウエハー製造にはEUVが必要不可欠だからだ。
蒋尚義が副会長に就任時に,「私は先進封止め技術とチップレット(別々のCPU,GPU,モデム,SRAMなどのウエハーで製造したチップを繋ぐことにより,ある一つの機能を持つSoCを形成するのこと)の技術に夢中であり,SMICにおいて私の理想の実現が容易になる」と語った。
武漢弘芯は対外的には「14nm製造工程のロジックチップの自主研究技術を擁し,1年後には7nmの製造技術を掌握する」と宣伝した。事実上,蒋尚義が2016年にTSMCから退職時,TSMCの実力は16nm製造工程技術を擁した。ここから考えると,16nm製造工程は精通する可能性はあるが,線幅14nm以下の製造技術は蒋にとっては未知の世界の可能性がある。たとえば,インテルは線幅10nmの製造技術は持っていたが,開発後にも数年に渡り,7nmの製造技術に達することができない。武漢弘芯が対外的に宣伝しているように,「14nm製造工程の1年後に,7nmの製造技術を掌握する」ということはできない。
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