世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
新型コロナの経済学
(北星学園大学 名誉教授)
2021.06.28
ここ一年,殆ど毎日新型コロナ(covid-19)の行く末に緊張して暮らしてきた。
新聞TVはもとより,ネットや書店ではコロナ関連の本や資料があふれ出し,感染症素人の筆者のごときは毎日その選択に悩む次第となっていた。というのもやや無謀にも筆者の所属する「大学紀要」にこれをテーマとした少し長めの論文を投稿することにしたからである。書き出してから三カ月悪戦苦闘の末ようやく脱稿した。ただし大学がこの論文を採用して紀要として公表するのは来年2022年の春以降のことで未だ大分先のことである。顧みて力不足であることは理解していたつもりであるが,十分納得できない「出来」に今更のごとく忸怩たる思いである。このような立場の筆者が多くの見識者から何を生意気にもと思われるかもしれないこの「新型コロナの経済学」なるエッセイを書くことにした。そこに至るまでの若干の苦悩を書かねばならない。実は私の文献調査のかぎりではあるが,新型コロナを含めてパンデミックの経済を詳細に書かれたものは見つからなかった。勿論経済学とは言わないまでも新型コロナの経済現象については,毎日の報道で盛んに行われている。そしてIMFを中心に各国の現在の経済状況は言うに及ばずこれから先,それも今世紀一杯の予測まで行っているという分析記事に感心してもいる。しかし筆者の関心からしてこれらの経済ニュースが果たして経済学という学問体系からどう評価し,どう位置づけるべきかを正しく理解できない。例えばアンガス・マディソンという紀元前から22世紀までを見通して研究された「世界経済史概観」という極めて優れた業績がある。そしてこのマディソンの研究を元にほぼ同期間の経済的軌跡と21世記の展望を見事に描いたトマ・ピケティの「21世紀の資本」というこれまた見事に優れた研究書がある。実は先に述べた筆者の論考に主として現代の「経済的格差問題」を論ずるため少し詳しく見直してみたときに,ふと奇妙なこと,これは特にそんなことは一流の研究者が無視するはずのない事なのであるが,それが気がかりになった。内容的にはこの長期の人類史の中で,人口も更に言えばGDPまでもが急激に増加したのはこの300年足らずのことであり,それ以前はそれこそゼロかせいぜい1−2パーセントの成長に過ぎなかったとされている。しかもマディソンはともかくピケティは21世紀は再び古代に戻るように低成長の時代に入るというのである。実はこの低成長が資本収益を下回るために確実に経済格差が拡大していくというのが彼の基本的主張なのである。この結論についての議論は様々であるが(それは紀要にやや詳細に書いた),筆者が最も疑念としたのは,マディソンの世紀前からという経済指標であるGDP(人口はまだしも)は,どのようにして計算されたのか,本当にそれは史実として科学的に正しいと言えるのだろうかという極めて素朴な問いであった。しかしそれから「世界経済史概論」を読み直し,少なくともマディソンの示した数値がいい加減なにせものではないことに気が付いたのである。ついでながらトマ・ピケティも経済学者であると同時にフランスきっての数理学者である。少し話が長くなって申し訳ないが,これが一つの経済学の有り様であり,経済現象をわずかの数値で分析したり予測したりすることの意味は認めるが少なくとも「パンデミック時代の経済学」ではないと言いたいのである。何故このようなことを言うのかには実はcovid19をはじめとするパンデミックの容易な書物を読むうち,如何にそれらが歴史的な感染症を多角的かつ詳細な研究をされているか,又いわゆる感染症数理学の面白さ,蓄積の深さである。これらはまさしく科学であり,今読み始めている黒木登志夫氏の「新型コロナの科学」にちなんで「新型コロナの経済学」が不可欠であるということである。最近SIRに刺激を受けてこれに重ねた論文が国際的に多くなったということであるが,人件費などのコストがどれだけ上昇したかのような分析だけでは,14世紀ペストの時代を経て中世が終わりを告げたという感染症学史等の実証研究には遠く及ばない。世界の政府直属の感染症対策組織であるCDCにどれほど経済学者がいるか良く解らないが,日本の感染症対策専門家組織が感染症の専門家の理論に太刀打ちできる経済学者としての声が聞こえないように思えるが,筆者の老婆心に過ぎないのであろうか。
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