世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2171
世界経済評論IMPACT No.2171

日常生活から体得する標準化アプローチ

鶴岡秀志

(信州大学先鋭材料研究所 特任教授)

2021.05.31

 我国ではイノベーションが出てこないという嘆きの論説が続いている。ワクチン後進国になっていると大雑把で無責任な言説も加わってワクチンとイノベの後進国で大騒ぎである。冷静にコメントを発してもらいたい。以前,拙著でも指摘したように,人類最大の発明品の鉄は3000年経っても国家の枢要を占める科学・技術であり,ITもAIもESGも鉄無しでは成り立たない。情報は脳みそから脳みそへ飛んでいくわけではないので,生産,流通,通信設備,その他から鉄無しで実現できるのかと問うてみれば鉄の「重み」が容易に判る。ワクチン開発も,主成分を増強するための助剤製造には日本のメーカーも深く関わっている。そもそもイノベーションはその土台となる技術の広がり無しでは工業化・普遍化・標準化を達成できない。帝国陸海軍のゼロ戦や隼は素晴らしい技術であったが,結局,米国に敵わなかった。産業力の劣勢から一点物で挑戦した我国とは反対に,米国は汎用性と体系化された運用を用意した。我国はある時点から技術標準化と体系化した運用を投げ捨てて根性論と精神論によるゲリラ戦のような突撃だけを鼓舞してしまった。現在もコロナ禍では体系的な対処方法が十分整備されていない中,逐次対応しなければならない状況にもかかわらず揚げ足取りや意味不明の非難合戦だけが過熱している。意見を述べる前にせめて戸部良一ら「失敗の本質」を読み直して欲しい。

 本稿では米国が得意とする標準化について,専門家が考えもしない,こじつけたっぷりの視点で見てみたい。次の一行でバカバカしいと思う方は無視してください。

 「Joy of Cooking」(以下,「JoC」)という米国の料理本をご存知だろうか。1931年に出版され現在まで9版を重ね総計で1800万部以上販売されている。4000以上のレシピが紹介されている米国中流家庭のバイブル的料理ハンドブックである。我国歴代1位が800万部の「窓際のトットちゃん」なので,聖書はいざしらず,販売部数の多さが際立っている。家族間で代々受け継がれるだけではなく,大抵の図書館に蔵書されているので必要な部分のコピーをする人も多数あり広く社会に根ざしている。

 JoCを使うと,米国のありふれた町のGrocery Storeで一通り材料と器具が揃う。他の料理本と異なり,学校での化学実験と記述方法がほぼ同一で作業手順に沿って使う材料と道具が記載されている。白黒のイラストが所々に記載されているだけの華やかさに欠けた本であるが,ハイスクール卒業程度の読解力で十分理解できるように説明がパターン化されている。技術書同様に巻末検索があり,目的のページを開くと料理分類から始まり,基本材料,器具,方法を説明,その後に応用料理や代替法を記述してある。標準となる料理ならほとんど失敗なくできるので,基本を実践・理解した上で応用に挑戦ができる。例えば人気のスィートでも,最初に「エンジェルケーキ(スポンジケーキ)」をマスターすることから始まり最難関と記載されているザッハトルテ(我国では本物は希少)が最後になっている(筆者は今のところ不成功)。材料と手順を標準化しているので失敗箇所を容易に見つけ出せる(筆者はチョコレートをケチることが原因)。フォードは規格化で量産方式を確立したが,JoCはレシピと作業手順を化学実験型の標準化で生活の中に溶け込ましたことが注目に値する。

 普通の主婦が書き溜めたレシピから始まったJoCは,多民族文化の中で多くの人の理解を得るために必然的に標準を構築する必要に迫られたのだろう。掲載レシピは移民の国らしく多国籍である。その様々な食文化を米国の「標準化された中流家庭のキッチン」という場所で,ほとんどの読者(ママだけではなく,七面鳥とBBQはパパの,クッキーは子供達)が容易に再現できるように著作・編集されたハンドブックである。広い国土で流通も不十分な時代に編纂されてきたことを反映して,「これがなければ替わりにこちら」が随所に記載されていて標準レシピを軸として読者の自在な工夫を引き出すことも可能にしている。文化の違いと決めつけること無く考察すると,「料理の達人」,ザガット掲載のような料理ではなく,マック,スタバ的メニューに繋がっていく。多くの人の知恵と情報を集め,いつでもどこでも食せる中流家庭用の標準を作り上げている。JoCも途中でプロのレシピを追加した改訂版もあったが,評判が良くなくて削除したそうである。

 食の標準化というと我国では眉を潜められるが,マクドナルドやKFCは世界中で食されている標準的フードである。マックも初期は味と材料に拘っていたが,マックシェイクをローカル調達アイスクリームから本部一括購入の脱脂粉乳に切り替えていくなど,広大な米国でチェーン店を拡大するための標準化に努めていた。少数に理解してもらえる僅かなこだわりより,マスの消費者が受け入れてくれて安定して生産供給できる標準を求めたことが判るエピソードである。我国でも牛丼チェーンや天丼てんやは高級ではないが「概ね」満足できる場所として成功している。イノベーションも同じで,たとえニッチでも標準(ベンチマーク)に持っていく構想無しではビジネスとして成功しない。事業を中止したが,三井物産のカーボンナノチューブは安全性評価技術の構築で世界的にベンチマークとなり多くの研究者の論文に引用されている。我国では珍しい出来事だったので惜しい限りである。

 イノベーション議論は秀でた才能の発掘のための「目利き」論に偏っている。しかし,この論で抜けていることは,発明を組織的に標準化する道筋の構築と費用,それを推進するリーダーシップである。過去の数多の事例から標準化する労力は時として発明よりも多くの人々の知恵と努力を必要とすることは自明である。その点からも,まるで帝国陸海軍の悪い部分を継承するような,30年以上機能しない科学技術関連の審議会や有識者の集まりは,ワクチンのドタバタを鑑みるに廃止したほうが良い。他方,揚げ足取りと誰でも思いつくコメントしかできない旧来のマスコミは早晩WEBにとって変わられるだろう。

 食は文化や行動様式を形作ることは論をまたない。1800万部のJoCが示す日常生活での標準化と「特別」を好む文化・意識の差が違いを生んでいるかもしれない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2171.html)

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