世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
なぜ中国人は定年延長に反対なのか:世代間格差と住宅問題
(亜細亜大学アジア研究所 教授)
2021.04.26
中国では少子化の進行が労働力ひっ迫を招いていることを先に述べた(本コラムNo.2045参照)。
出生数の減少は政府から見れば長年の「一人っ子政策」の「成果」であり,その見直しが遅れたことに伴う負の側面が強調されるのは本意ではない。そのため,これまで出生数の回復という目標は前面に出さず,現状を受け入れながら労働力の減少や高齢化に備える対策をとっている。
労働力ひっ迫も高齢化に伴う社会問題も政府が自ら解決するとなると,定年退職年齢の引き上げが最も手っ取り早い策となる。3月の全人代で公表された「第14次五カ年計画と2035年長期目標」では,「漸進的な法定退職年齢の引き上げ」が明記された。現在の定年は男性60歳,女性は幹部55歳,ワーカー50歳である。都市部の平均寿命が80歳を超える現在,法定退職年齢が1951年から70年間変更されていないこと,労働者の平均教育年数が13.7年と長くなり,新規労働力の半数は大学進学者,就業開始年齢が遅くなっている,というのが延長に関する議論を起こす根拠である。
ただ,政府の説明する進め方は,毎年数カ月と小刻みに一歩一歩,弾力的,と控えめである。日本では,退職後の期間(年数)と年金の給付額を考えると,現実問題として長く働き続けることができる社会を望む声も小さくないが,中国の場合,定年延長に賛同する庶民の声はほとんど聞かれず,反発の方が圧倒的に多い。なぜなのか。
一つは,中国都市部では孫の学校送り迎えなどがほぼ自動的に年寄りの仕事となるからだ。筆者の知人も,子どもの学校に1日4往復(朝夕に加え,学校給食がないのでお昼も出迎え,見送り)もするのは勘弁してほしい,とぼやいていた。
孫の面倒を含めた家事労働をあてにされている事情もあるが,そもそも老後の生活に経済的な不安を抱えていないのである。それは,今の60代以上のシニア(もう少し広げれば,1960年代生まれを含む)は間違いなく値上がりした住宅による資産形成ができているからである。
1990年代後半,国有企業改革に付随して住宅の市場化,賃貸から所有への転換が進められ,住宅は福利厚生から個人資産に転じた。住宅改革当初は既存住宅の払い下げなど無理なく購入できる価格に抑えられていたが,その後は投資・投機対象となり,1998年に平米当たり1854元だった商品住宅の価格(全国平均)は2019年には1998年比5倍の9287元となった。偶然に左右された格差の元凶でもある。
現在40歳代以上の層は大なり小なりこうした資産価格上昇の受益世代である。すなわち,この間にローン負担は解消・軽減され,売却益や含み益が生じているので,老後の経済的な不安もそれほど尖鋭化していない。しかし,1990年代以降に生まれた世代では例外なくすでに高騰した住宅の負担が大きくのしかかり,親世代からの資金援助に頼らざるを得ない。子どもの教育費に加え,いずれは親の介護負担も重くのしかかる。老後に備えた資産形成は間に合わず,その分老後は公的支援に依存せざるを得なくなるだろう。
日本でも高度成長を支えた世代は年金に頼らなくても老後の問題は何とかなった。寿命がまだ短かったことや子どもの扶養をあてにできた面もあっただろうが退職時にはそれなりの余裕があったように見える。中国も今は大丈夫だが,1980年代生まれが退職する頃(20年後)には,中国版「老後の100万元問題」が勃発し,定年延長など就業機会確保を切実に望む声が大きくなることは間違いない。
その前に,「住宅は住むもの」という現在の政策を進め,住宅価格の変動が人生設計に与える負の影響を抑え,各自が老後に向けた着実な資産形成を進める社会へと変わっていく必要があるだろう。
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