世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
開発経済学の研究課題:デブライ・レイ著『開発経済学』を中心に
(九州産業大学 名誉教授)
2021.03.29
当コラムの4冊目に,デブライ・レイ著の『開発経済学』(Debraj Ray, Development Economics, Princeton University Press, 1998,全18章と2つの付録,848頁)を紹介する。ボリュームの厚い書籍であり,大学院向けのテキストである。
本書の出版時に,ノーベル経済学賞(1998年)の受賞者のアマルティア・セン教授は推薦文を書いた。「本書は開発経済学の領域において非常に精細かつ洞察力に富み,テキストとして極めて有益である。鋭い理論的推理だけでなく,現実の世界における制度の可能性とその将来性に,非常に高い理解力も持っている。本書は真のオリジナリティを備えながら,有益性と閲読性を犠牲にしていない」と同じくインド出身の学者の著書を絶賛している。
同時に,ノーベル経済学賞(2018年)の受賞者のスタンフォード大学のポール・ローマ教授は「最も良いテキストは,統一した知見と真実を反映した感性によるものである。デブライ・レイ教授の『開発経済学』はこのような書籍の1冊である」と惜しみなく称賛している。
レイ教授は1957年にインドで生まれ,1983年にコーネル大学で経済学博士の学位を獲得し,スタンフォード大学,ハーバード大学,MIT,ボストン大学を歴任して,出版時はニューヨーク大学経済学部教授を務めていた。
第1章は「イントロダクション」である。
本書で学習する内容のすべては経済課題のなかで最も重要で,複雑な途上国の経済発展の問題を対象にしている。
「発展途上国」の定義を下すには,その自身にいくつかの問題がある。『世界開発報告』(世界銀行,1996)は,9000ドルを「高所得国」と「中・低所得国」を分ける境界線とした。この分類に基づくと,世界の56億人の人口のうち,45億人を超える人口は「中・低所得国」に居住している。これらの国々の人口の1人当たり平均所得は約1000ドルであり,北米地域と日本の1人当たり所得は2500ドルの水準を超過している。別の計算では,これらのデータが低く評価されているとされていた。いずれにせよ,驚くような極めて不平等な現象が確かに存在しているが,この不平等は変わって欲しいものだ。本書はこれらの不平等を改善するメカニズム構築を試みている。
本書では2つの思考が一貫している。まず,第一は伝統的な視点から離れること(完全に捨てるではない)。すなわち,途上国の問題は所在する国際環境のなかで最も良い理解が得られることが望ましい。この視点に基づいて,経済の低開発問題を研究する場合,国際環境は最初から考える必要があり,しかも最も重要な要因である。この視点には一定の理由があるが,強調したいのは,途上国に内在する構造的問題も同じく重要な基本問題である。
第2は方法論に関するものである。本書は統一の分析方式を採用し,経済発展を研究したうえで,市場の失敗と政府の介入の可能性について相対的なバランスの在り方を論じている。それは市場の役割が良いか悪いかではなく,如何なる条件下で市場が失敗するかを理解することである。この理解の上で,適切な政策のツールを以て問題を解決することを決定する。この理解を助けるために,経済学理論のいくつかの先端的な課題を理解する必要がある。これには情報の不完全理論,レントシーキング理論,戦略行為理論などが含まれている。
こうした特徴が本書を他のテキストとは明らかに異なるものにしている。軸になるのは問題の解釈方法と選択課題である。本書は完璧な近代的分析の視角から以下のとおり開発問題を解説している。
⑴従来の低開発経済の議論では,常に途上国のインフォーマル部門の存在を強調している。これらは先進国で見られる情況とは異なっている。例えば,地主が農地を小作農に貸し,収穫後の農作物は地主と小作農が分け合う。小作農の労働力による対価として,担保を受ける形になる。しかし,ここでは正規の信用に基づく取引が存在していない。地主と小作農の間の相互理解があり,一旦その一方が契約に違反した場合,社会から懲罰を受けることになる。地主と小作農の間に互いのリスクに対し,常に連帯的保証制を採用しているが,ここでも正規の保険市場が存在していない。例えば頼母子講(無尽)などのインフォーマル制度の存在がある。市場の失敗が発生した場合,法制度は契約の情況に応じて法的手段を有効に行使することができる。
⑵市場の失敗は2つの問題をもたらした。1つは普遍的に存在する外部の効果である。外部の効果に対し,適切な分類は経済現象に優れた洞察力をもたらしている。見た目ではこの経済の現象は互いに関係していないようであるが,事実上,異なった類型の外部効果に似た表現がある。ゲーム理論から言えば,「囚人のジレンマ」のような簡単な概念からスタートすると,経済発展に対し,関連する課題に深い理解が得られる。
⑶市場の失敗の基本的な意味は,所得や富の配分の不平等などに重要な役割を果たすようになった。これは不平等の問題が開発経済学の文献で注目されていないのではない。不平等の及ぼす影響をシステム的に分析する傾向が最近の論文で増えていることは評価に値する。1人当たりの所得およびその増加率などの経済指標および不平等の影響に注目するのが,本書で一貫した視座である。
⑷最新の理論と実証分析の文献を本書に整合する視角の必要である。流行に乗るためではなく,多くの新しいものを学ぶことができるからである。経済成長,所得分配と経済発展,協力の失敗,不完全な情報などの理論はこの10年間引き続き発展している。
不完全な情報・法律システムおよび戦略を経済の要因から考慮し,途上国と先進国の違いを意識するようになった。なぜ途上国の研究は独立した領域が必要であるのか?なぜ途上国の労働力,国際貿易,貨幣,金融などの問題を分けて研究する必要があるのか? これは研究の一つのアプローチである。
途上国のすべてが独特であり,途上国の問題を一般化すると問題意識を誤り,判断を誤る危険がある。異なる研究者から言えば,地域間の違いに意味があるが,異なる問題で同じ理論を強調するのは,教える側から言えば最も良いアプローチかもしれない。著者は同じ理論を強調するが,しかしそれぞれ地域の特質を無視していない。
本書のオリジナリティは,新しい理論を構築したことではなく,また新しい実証材料を構築したのでもなく,開発問題の考え方を提供したことである。
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