世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1730
世界経済評論IMPACT No.1730

コロナ感染症の跋扈する中での大学に関する雑想:大学から切り離された場で何を考えるのか

榎本俊一

(関西学院大学 准教授)

2020.05.04

 コロナ感染症の蔓延により,世界中での経済・社会活動が停止に近い状況に陥り,日の感染者数・死者数の増加に歯止めがかからない現在,この疫病がどのように世界の在り方を変えてしまうか,誰もまったく見通しが立っていないのではないだろうか。では,疫病が終息して,世の中が落ち着いてから,物事を考えればよいではないかと言えば,第一次世界大戦末のスペイン風邪が終息までに2年を要したことを考えると,それでは先手に先手を打って対応するどころか,変化に追随することさえできなさそうである。

 とはいえ,いきなりコロナ感染症後の世界経済がどうなるのか,外生的ショックは世界経済成長率にどのような影響を及ぼすのか,グローバル・サプライ・チェーンの分断により物資不足が顕在化した各国は自給自足(ブロック化)を目指すのか等々のビック・クエスションに答える能力があるかと言われると,現時点では,最先端の理論経済学者であっても難しいのではないだろうか。有難くも国際貿易投資研究所の方より「何か考えはあるか」とお誘いいただいたが,私は何から考え始めるべきなのか?

 私は大学の教員である。昨年4月に現職採用された新米であり,「今年からは自前の研究演習(ゼミ)を持てるぞ」と張り切っていた矢先,4月7日の改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事宣言が発令され,大学では教員・学生の立入りは原則禁止となり,国内の多くの教員は(全員とは言わないが)準備のないままインターネットによる講義・演習を行うべくテンヤワンヤとなっている。私もオンライン講義・演習の用意のないまま,教員としての義務を果たすべく緊急避難的な努力を日々続けている。とすれば,私がコロナ感染症について考察をスタートするのであれば,まずは大学人としての立場から考え始めるのが「地に足が着いた」行為なのではないだろうか。

 緊急事態宣言の発令前から,大学は既にコロナ感染症によるキャンパス閉鎖を予想しており,4月下旬から5月連休明けと終期に幅はあるものの春学期の開始早々の休講を決定し,キャンパスへの学生の立入りを停止してきた。居場所を失った学生はショックであろう。その時,他の教員の方々と同様に,私は,大学3年を迎える研究演習生(ゼミ生)に何かを言わなければならないと感じ,挨拶と激励を兼ねたメッセージを送った。自分は何を言ったのか? 私の大学人としてのコロナ感染症へのコミットメントはそれがスタートであり,この雑想もそれを出発点とすべきではないだろうか。

 改めてメッセージを読み直すと,今回のコロナ感染症による環境変化が若者にとり二つの点で異常であることを指摘している。第一に,病気や死がこれほど身近になったことはなかったが,学生はどう感じるのか?「これまで病気や死は若い皆さんの多くにとり縁遠い存在であり(私は3月に父を亡くしましたが,皆さんも高齢の御親族を見送った経験があるかもしれません),3年生となり,これから就職活動をスタートさせつつ大学生活を卒業に向けて如何に充実させて行くかを考えていた矢先だったでしょう。しかしながら,マスコミが連日のようにコロナ・ウィルスの感染者数と死亡者数を報道し,関西学院大学の立つ兵庫・大阪においても,COVID-19による病気と死は我々の誰しもの隣に存在するものとなっています。若い皆さんが不安に陥るのは当然であり,自宅等で待機してイライラが募ることもあろうかと思います」。

 第二に,自由を至上価値とする社会が一瞬にして統制型に変わってしまったことは学生にショックだったのではないか?「また,基本的人権の尊重と擁護を至上命題とする欧州,米国において戦時体制を想起させられる戒厳的体制が敷かれ,敗戦により戒厳法制のなくなった我が国においても,個人の良識と協力に期待するプログラム法の枠組において可能な限り『戒厳的な』疫病対策を講じようとしています。昨日まで当然のものと思っていた『自由』がある日を境として突如として制約される事態は我が国においては過去70年間になかったことであり,今後,日本社会がどのように変わっていくかについても,皆さんは名状し難い思いを持たれているでしょう」。

 我々はこの異常事態に如何に対処すべきなのか? 大学人としては異常事態をまず取り組むべき対象とすべきなのか? 私の回答は陳腐かもしれないが,むしろ「日日の当為をこなす」に尽きるのではないだろうか。「現時点では,COVID-19の問題は,まずは社会構成員が団結協力して感染を食い止める,医療システムが感染収束まで感染拡大に対応し続けられるよう医療資源の拡充・シフトを行うことが課題であり,医療技術のない一市民としては感染拡大防止への協力しかでき」ない。「しかしながら,一時的に停止しつつあるかに見える社会も決して止まってしまうわけではなく,明日のために日々の営みを持続していく必要があり」,「学生,職員,教員を問わず,大学人は一義的に『学ぶ』『研究する』ことが使命」なのではないか。

 確かに「現下の猛威をふるうCOVID-19を前にして,『学ぶ』『研究する』というと迂遠の響きが」あるものの,結局,「日々の営為を積み重ね,淡々と処理していくことは,リズムの狂ってしまった生活に秩序をもたらす行為であり,案外,転変する事態の中で冷静を保ち,少しでも実りある時間を過ごす唯一の方策で」あろう。こう考えてくると,「大学人」としての私は「『学び』『研究』を淡々と,ただし,しっかりと続け」ることから物事を始めるべきであり,ここでも,大学から切り離された場所でオンラインにより教育・研究を持続されている大学人で同じ思いを持たれる方々に問いかけをなし,御指導・御助言を賜ることが有意義ではないだろうか。お目汚しとならない範囲で雑想を綴っていきたい。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1730.html)

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