世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
米中第1段階合意:数値目標が勢ぞろい
(桜美林大学 名誉教授)
2020.02.03
1月15日に行われた米中第1段階合意の調印式には,御年96歳のヘンリー・キッシンジャー元国務長官も出席した。キッシンジャーは昨年11月,北京で開かれたフォーラムに参加し,習近平国家主席と親しく会談している。「中国の古き友人」と称えられるキッシンジャーを調印式に招待したトランプ大統領は,さすがにしたたかである。
合意文書(The Phase One Economic and Trade Agreement)は8章から成る。注目すべきは,「第6章 貿易の拡大」と,中国市場の構造的障壁の撤廃を指摘した「第3章 食品・農産物貿易」の2章。それぞれ23ページ,合計46ページで全体の半分(53%)を占める。ここが,トランプ大統領の重点の置き所である。
第6章は数値目標のオンパレード。中国は2020,2021年の対米輸入額を大幅に拡大する。分野別にみると,製造業品は2年間で2017年比777億ドル増(2017年比の増加額は,2020年329億ドル,2021年448億ドル),以下同様に,農産物320億ドル(125億ドル,195億ドル),液化天然ガス・原油などのエネルギー産品524億ドル(185億ドル,339億ドル),金融・保険などのサービス379億ドル(128億ドル,251億ドル)。4分野の合計で2,000億ドル(2020年767億ドル,2021年1,233億ドル)となる。
しかも,2022年以降についても,米国は中国にしっかり注文をつけている。①米国は,中国の対米輸入が2022年から2025年まで,このペースで増加することを期待する。②農産物については,2022年以降も,中国は年間50億ドル分の買い増しに努める(注1)。③米国の財・サービスの対中貿易赤字は2019年に3,800億ドルに達する見込みだが,米国の対中輸出増によって2020年,2021年およびそれ以降は大幅に縮小する(注2))。
米国はどういう品目の対中輸出増を期待しているのか。これも明確にわかる。4桁の関税分類番号が付いた具体的な品目名を20ページにわたって掲載しているからである。これでは中国も逃げようがない。第6章の本文の末尾には,「中国が(中略)上記の義務を達成できないと信じる場合には,米国との協議を要請できる」と,書かれてはいるのだが―。
数値目標というと,日米貿易摩擦の体験した筆者は,1993~4年,クリントン大統領が日本に飲ませようとし,通産省(現,経産省)が拒否を貫き通した経緯を思い出す。だから,今や自由貿易主義が重要だと主張している中国が,どうしてトランプ大統領の圧力に屈して,管理貿易に至る数値目標を飲んだのか。2020年の1年間の貿易統計が発表されるのは,2021年の2月初旬になる。中国の約束はトランプ大統領再選に貢献するだろう。中国にとっては,民主党の大統領に替わるよりもトランプ再選の方が好ましい。それに,もうその頃は米中貿易紛争の記憶も薄れていることだろう。こんなふうに中国は考えているのだろうか。
管理貿易と非難するのとは別に,こうした数値自体が非現実的だという指摘もある。ピーターソン国際経済研究所(PIIE)のチャド・ボーン主席研究員は次のように書いている。この合意によると,2021年の米国の対中輸出は2,575億ドルになる。これは2017年の1.9倍,年率18%の伸びだ。中国が10%以上の高成長を続けていた2000~07年でも,米国の対中輸出の伸び率は年率21%であった。現在の状況では,18%は非現実的である(注3)。
さて,今回の合意の本題は米国の対中輸出拡大の約束ではない。本題はもちろん,中国が知的財産や技術移転問題で,今後,不正はしない,不正が行えないように中国の制度を整えるという約束の取り付けにあった。そもそも,トランプ大統領が悪名高い1974年通商法301条を使い,2年半にわたって貿易戦争を展開したのも,その約束を確保することにあった。米国が中国に求めた,技術移転の強制,組織的な企業買収,営業秘密の窃取などを行わないという約束は,合意文書の「第1章 知的財産」(全18ページ),「第2章 技術移転」(同3ページ)に,細かく書かかれている。
では,中国はしっかり約束を守るのだろうか。守らなかった場合,どうするのか。それの答えが「第7章 二国間評価と紛争解決」にある。米通商代表と中国副首相をトップとする「貿易枠組みグループ」と,米通商代表次席と中国副首相補佐が代表する「二国間評価・紛争解決事務局」が新設される。両者の定期会合の頻度も,紛争解決の手順や期限も,それぞれ個別に細かく書かれている。WTO(世界貿易機関)など外部に頼らず,あくまで米中二国間で問題を解決する仕組みだが,米中貿易紛争に初めて解決のプロセスが導入された。
第1段階の合意ができたら,直ちに第2段階の交渉に入ると言っていたトランプ大統領は,最近になって,「やはり1年待とう。第2段階の交渉は大統領選挙後にずらした方がよいだろう。その方が成果を取りやすい」と言い始めた。米国の対中輸出が合意通りに進むのか。知的財産や技術移転に関する合意を中国がしっかり守るのか。約束通りにならないとき,紛争解決のプロセスが十分に働くのか。それを確かめてから,次の交渉に入るべきだという忠告をようやく聞き入れたようだ。
第1段階の合意で,米中はしばらく休戦となる。しかし,終戦にはほど遠いことは間違いない。
[注]
- (1)これは協定の第6章の本文にはなく,第6章のファクトシートに書かれている。
- (2)(1)と同じ。
- (3)合意文書には,上記4分野を合計した米国の2017年の対中輸出額が書かれていないが,ボーンは1,342億ドルとしている。次を参照。Chad P. Bown, Unappreciated hazards of the US-China phase one deal, January 21, 2020, PIIE.。
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