世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1490
世界経済評論IMPACT No.1490

米中貿易戦争とデカップリング

滝井光夫

(桜美林大学 名誉教授)

2019.09.23

 中国による米国の知的財産権侵害問題については,同様の問題を抱える同盟先進国の協力を求めず,米国は単独で中国を屈服させ,米国の要求をすべて飲ませて中国の国内制度,政策を改革させる。これがトランプ大統領の最終的な目標である。この目標は,米国の対中輸入品に追加関税を賦課することによって,容易に達成できると信じ,トランプ大統領は昨年4月,「得意」のディールを開始した。

 しかし,大統領の思惑に反して中国は米国に報復し,両国は関税賦課競争に陥った。この間,断続的に続けられた二国間交渉は,十数回の閣僚協議に加えて,2回の首脳会議も行われたが,首脳会談における曖昧な合意は事態をむしろ後退させ,現在まで問題の解決には至っていない。

 トランプ大統領は,中国がこれまで交渉してきた韓国,メキシコ,カナダ,そして日本とは格段に異なる相手であり,不動産取引で成功してきた交渉手段(ディール)が通用しないことを,ようやくわかってきたのではないだろうか。これからも細かなディールの遣り取りが続くとみられるが,トランプ大統領があくまで当初の目標に拘れば,交渉が決裂に終わることは明らかあり,これは2020年の大統領選挙にはプラスとはならない。従って,トランプ大統領が今後求める目標は,「中国に勝った」と誇示しうる妥協を中国側から引き出し,部分的あるいは暫定的に中国と合意することにあるとみられる。

1年以上にわたる制裁と報復の応酬

 今後の事態の進展を考える前に,まず問題の発端とその後の経緯をみておこう。

 トランプ大統領は2017年8月,1974年通商法301条に基づき,米国通商代表部(USTR)に対して中国による米国の知的財産権侵害の実態を調査するよう命じ,USTRは翌2018年3月,200ページの調査報告書を大統領に提出した。この報告書で,USTRは中国による下記4項目の行動,政策,慣行が,米国に対して「不合理」または「差別的」であり,米国の通商に「負担を負わせ」,または「制限している」と決定した。この決定により,USTRは中国にその是正を求めて,301条に基づき対抗措置の実施を大統領に勧告し,同時に下記の②については同3月23日,WTOに提訴した(DS542)。

 4項目は,要約すると,次のとおりである(注1)。①直接投資に絡む強制的技術移転,②非市場条件による技術ライセンスの強制,③最先端技術獲得のための組織的米企業買収,④米企業通信網への不法侵入と機密情報の窃取。

 対抗措置として米国は,2018年4月3日,対中輸入品1,333品目,総額500億ドルに25%の追加関税を賦課する品目リストを発表したが,中国は直ちに翌4日,大豆,自動車,航空機等の報復品目リストを発表し,米中間で関税賦課の応酬が始まった。米国の対中追加関税は同年7月6日に第1弾,8月23日に第2弾,9月24日に第3弾が発動され,中国も報復として米国と同じ日に対米輸入品に追加関税を課した。

 2019年に入ると,米中首脳会談の合意(2018年12月ブエノスアイレスのG20,2019年6月大阪のG20),およびその後の紆余曲折を経て,米国は2019年9月1日,第4弾(対中輸入額3000億ドル)の一部品目に15%の追加関税を発動した。さらに,今後米国は,10月15日に発動済みの第1~3弾(同2500億ドル)の追加関税を25%から30%に引き上げ,12月15日にはクリスマス商戦に配慮して見送っていた第4弾の残る品目にも15%の追加関税を課すと発表している。

デカップリングという脅し

 米中貿易戦争の展望が見通せない中で,中国政府は6月2日,『中米経済貿易協議に関する中国の立場』と題した白書(注2)を発表した。この白書で,中国は米国の主張をほぼ全面的に否定し,協議決裂の責任は完全に米国にあり,中国は重要な原則問題では決して米国に譲歩しないと明言した。

 この白書に対して,USTRと財務省は翌3日付で,「米中両国は多くの重要問題で合意に達したが,最終的な取りまとめの段階で中国側がすでに合意した条項を『撤回』したため,規定の追加関税の発動となった」と釈明し,「米国の主張は中国の主権の脅威となるものではない」と反論している(注3)。米国の文書は,中国側が合意文書から撤回した問題が何であるかを明らかにしていないが,それが中国の体制に関わる原則問題であるとすれば,何らかの妥協が米中双方からなされない限り,交渉を続ける意味はない。

 そこで,トランプ大統領が中国から妥協を引き出すために使いはじめたのが,トランプ流の扇動術,「米中デカップリング(断絶)」という脅しである。その根拠はいくつかある。

 まず,貿易のデカップリング。昨年3月,トランプ大統領は「貿易戦争はよいことだ。簡単に勝てる。貿易を止めれば貿易赤字もなくなる」とツイートした。すでに今年1~7月の米国の財の対中貿易は前年同月比で輸出18.4%,輸入12.3%,貿易赤字10.2%とそれぞれかなりの減少となった。これから9月以降の本格的な対中関税の引き上げによって,米国の対中貿易はさらに減少し,デカップリングの状況に近づいて行く。

 さらに,直接投資のデカップリング。米中間の直接投資はすでに大きく減少しているが,今年8月に入ってトランプ大統領はさらに踏み込んだ。米国企業に対して,「(中国での生産や販売から手を引き)中国市場に代わる市場をすぐに探し出せ」とツイッターで呼び掛け(8月23日),さらに「米国の1977年国際緊急経済権限法(IEEPA)を使えば,すべての米国のビジネスを中国から退去させる権限が大統領にはある」とツイートしている(8月24日,G7が行われたフランス・ビアリッツで)(注4)。

 トランプ大統領が現実に国際緊急経済権限法を行使して,米企業を中国市場から退去させることは,米法学者も疑問視しているし,現在の世界経済体制を崩壊させるようなことが容易に実行できるとは思われない。デカップリングは,中国を妥協に追い込むためのトランプ一流の扇動と脅しと考えるべきであろう(注5)。

米国内から出てきた悲鳴

 トランプ大統領は,「対中関税を引き上げれば,米国の国庫収入は年1,000億ドルも増える。追加関税を負担するのは中国であって,米国の消費者の負担はない」と主張した(今年5月)。現実には,引き上げられた関税は消費者に転嫁され,消費者の負担は大きく上昇する。しかし,大統領は自説に執着し,誤りを正そうともしない。

 なお,関税収入が仮に1,000億ドルになっても,連邦政府の歳入全体に占める関税収入の割合は3.0%(2018年度)でしかない。1913年制定の憲法修正13条によって,個人所得税の賦課と徴収権は連邦政府に移った結果,連邦歳入の5割を占める個人所得税の方が関税よりも遥かに重要である。

 消費財が大半を占める第4弾が発動されると,国内から悲鳴が出始めた。8月23日一斉に発表された声明は次のように訴える。「大統領の不満は共有するが,これ以上の米中関係の悪化は望まない。交渉による合意を求める」(米国商業会議所),「中国の不公正な貿易,投資慣行を正すため,中国に構造改革を求めるのはよいが,広範な貿易障壁を築くことは米国雇用を危うくする」(ビジネス・ラウンドテーブル),「中国の強制的技術移転や知的財産権の窃取と戦うのは正しいが,対中関税のエスカレーションは1930年スムート・ホーレー法以来,最悪の失敗策だ。誤った通商政策に米国の家庭や企業はいつまで耐えなければならないのか」(全米民生技術協会)。

 こうした国民の声を無視すれば,2020年の大統領選挙にも影響が及ぶ。「米国の勝利」を誇示しうる米中間の妥協こそ,米中貿易戦争の現実的な収束策となってきたと思われる。

[注]
  • (1)USTR, 2019 Trade Policy Agenda and 2018 Annual Report, p.43.
  • (2)中華人民共和国駐日本国大使館http://www.china-bassy.or.jp/jpn/zgyw/t1672932.htm
  • (3)https://ustr.gov/about-us/policy-offices/press-office/press-releases/2019/june/us-trade-representative-and-us
  • (4)The New York Times, August 26, 2019. As Trump Serve on Trade War, It’s Whiplash for the Rest of the World by Peter Baker, web edition.
  • (5)デカップリングについては次を参照。Foreign Affairs, Monday, August 12,2019. Trump’s Assault on the Global Trading System and Why Decoupling From China Will Change Everything by Chad P. Bown and Douglas A. Irwin, web edition.
(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1490.html)

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