世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1487

「グレーターベイエリア構想」と香港問題:日系企業にとってのビジネス環境変化

小林 守

(専修大学大学院商学研究科長 教授)

2019.09.23

 香港のビジネス環境に大きな変化が起きている。グレーターベイエリア構想と香港問題,すなわち,いわゆる「逃亡犯条例」改正案をめぐる香港市民の示威行動の長期化・深刻化である。この問題を現地日系企業はどのように受け止めているのであろうか。筆者が2019年8月に行った現地調査の概要を報告する(注1)。

 グレーターベイエリア構想とは中国と香港特別行政区政府が打ち出した香港と深圳とその周辺都市を含むすなわち,面積約56,100㎢(東京湾地域の約1.5倍),人口約6,900万人(同約1.5倍),GDP規模約1.5兆米ドル(同約0.9倍)の地域を国際金融・運送・貿易の三大センターとし,2030年までにGDP規模で東京・ニューヨークを追い越そうとするものである(注2)。2018年に完成した香港,マカオ,珠江デルタ地帯を結ぶ巨大海上橋梁(港珠澳大橋:香港-珠海-マカオ大橋),香港と中国大陸の主要都市をむすぶ高速鉄道(広深港高鉄:広州-深圳―香港高速鉄道)がその象徴的なものであり,ビジネス環境は変わりつつある。

 筆者もこの巨大交通インフラを実査してみた(注3)。港珠澳大橋で香港からマカオまではわずか約40分で到着。従来はフェリーで2時間程度を必要としていた。広深港高鉄は高速鉄道専用の香港西九龍駅で香港-中国大陸間の出入境手続きができる。香港を出発して中国の深圳北駅に約20分,そして広州南駅に約50分で到着した。従来は高速道路あるいは香港-広州直通列車で2時間を要した。大幅な短縮である。深圳北駅からは沿海である福建省方面に厦門行き,次の広州南駅からは内陸部,桂林のある広西壮族自治区方面へとアクセスできる。桂林までは約4時間である。

 こうした交通網の発達により,香港の貿易機能,金融機能と補完関係で発展してきた「中国の工場」,深圳は今や中国で最先端を行く「ハイテク都市」と位置づけられた。ただ,その結果,一般的な製造工場は深圳市当局から周辺都市への移転を迫られ始めている。香港や深圳から周辺都市への交通アクセスは格段に良くなっているものの,米中貿易摩擦や賃金上昇という背景もあり,上手く移転先の土地や建物を見つけられない工場が東南アジアへと国外移転する引き金になるかもしれない。

 今回,訪問した日系の電子部品製造企業は周辺地域への移転がうまくいったケースである。深圳工場を高速鉄道沿線の近接都市である恵州市に移転することに成功した。多品種少量生産の強みを活かしたOEM(電子製造サービス)を主要な業務としており,需要は安定しているという。恵州の大亜湾工業団地には化学工場が多く立地しているがここは深圳から離れており,移転を迫られてはいない。筆者が訪問した日系の大手化学工場は中国国内需要も安定しており,交通インフラの発展を高く評価していた。この恵州市は香港まで高速鉄道でわずか約80分の距離にあり,最近は富裕層の間で人気のあるマンション投資地域にもなりつつある。なお,日系工場の中には東南アジアへ移転せず,「米国向け製品」の生産を既存の東南アジア工場へ集約し,「米国向け以外の製品」の生産を華南地域に集約するという便法によって乗り切っている企業も多いという(注4)。

 ところで,香港で6月以降続いている大規模な示威行動は当初の「逃亡犯条例改正案撤回」に「示威行動の暴動認定取り消し」,「警察暴力に対する独立調査委員会設置」,「示威行動逮捕者の釈放」,「普通選挙の実現」等,より難易度の高い要求を加えており,一向に終息への展望を見ないままである。筆者が聞いた現地香港の一般市民の声では香港行政長官への不満というよりは,むしろ香港警察当局への不満が強かった。また,過激な破壊活動は許容できないが平和的行動はやむなしという声が多かった。

 ちなみに香港内では親日的な雰囲気が強く,日系小売・サービス業には売上げの急減などの減少は見られないという。ただ,香港以外のベイエリアに立地する日系製造・貿易企業のなかには一向に収まらない示威行動に不安感を感じ,香港を経由しないサプライチェーンを前提としたビジネスモデルを検討することを考えているところもある。日系企業が「安定した香港」を前提としないシナリオを検討し始める時期が来るかもしれない。

[注]
  • (1)本調査では現地で日系企業・機関4社幹部,現地研究者2名,中国企業1社の幹部から意見を頂いた。
  • (2)香港特別行政区政府「INNOVATION HONG KONG」,2018年7月
  • (3)港珠澳大橋,広深港高鉄の実査および研究者の聞取り調査は小林慧氏(創価大学)のアレンジによる。
  • (4)現地の日系機関専門家インタビューによる。

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