世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1192

TAG(日米物品貿易協定)交渉開始の合意は日本の好機:トランプ的なるものを超えて

金原主幸

(国際貿易投資研究所 客員研究員)

2018.10.22

 9月26日にニューヨークで開催された日米首脳会談において両国間の貿易協定の交渉開始が合意されたとのニュースは,国内では大きな驚きと少なからぬ不安をもって受け止められた。とりわけ,米国との通商交渉を回避したい関係省庁や農業団体等にとっては衝撃だったに違いない。首脳会談後に発表された日米共同声明の原文(英語)に当たれば,どう読んでも日米FTA交渉入りの合意としか解釈できないはずだが,「TAGでありFTAではない」と説明せざるを得ない国内事情があるのだろう。因みに英文の共同声明文の中ではTAGなる略称の表現は一切使われていない。

 今回の合意は,外交的にはトランプ大統領流の強引なディールと脅しに日本が屈した結果との見方ができないわけではない。自動車への高関税賦課や数量制限などという手段は,時代錯誤も甚だしい保護主義であり,たとえ脅しだけに終わったとしても先進国の通商政策としては決して許容されるものではない。トランプ大統領自身は意に介しないだろうが,WTO違反となる可能性が高い。他方,報道によれば,早くも首脳会談の翌週には米農務長官が,日本の農産物市場アクセスについてはTPPの水準以上を求める旨の発言をしている。年明けにも開始される日米交渉が,日本側にとって非常に厳しいものとなることは間違いない。

 しかしながら,そうした目先の問題から離れて中長期的な視点に立つならば,今回の日米交渉入りの合意は日本経済にとって大いに歓迎すべきものとなる。とりわけ,共同声明に明記されているように物品のみならず投資,サービス等幅広い分野をカバーする包括的な日米FTAの締結にまでたどり着くことができれば,7月に署名された日欧EPAとともに先進国間にふさわしいモデル的な協定となり,中国に対する大きな牽制ともなる。それは,日米の交渉は「歴史的な二国間の自由貿易の交渉(free trade deal)」というペンス副大統領の認識とおそらく軌を一にするものである。そのような包括的で高水準な日米FTAの実現は,間違いなく日本経済にとってプラスとなる。製造業部門に比べ生産性の低いサービス部門や農業分野の国際競争力の向上に繋がり,産業構造の転換に資することが期待できる。また,知財の保護,強制技術移転の禁止,国有企業の規律等ルール規定については,TPPと類似した内容となる可能性が高い。もともとTPP交渉で膨大なテキストのドラフト作業をリードしたのは米国通商代表部(USTR)の通商法規専門家集団だったのであるから,そうなっても決して不思議ではないだろう。

 ここで時代は遡るが,GATT(WTOの前身)加盟以来,長年にわたり多角的貿易体制を墨守してきた日本がFTAという世界の潮流にようやく気づき,WTO一辺倒からFTA/EPAへと舵を切ったのは,すでに120本ものFTAが存在していた20世紀末の頃だった。経済界がFTA/EPAを求めた国・地域は,特殊事情のあったメキシコを皮切りにアセアン/北東アジア諸国,続いてラテンアメリカ諸国等であった。日本企業にとって,関税・非関税障壁等のビジネス上の障害が多く残る市場に高い優先順位があったのは当然であった。そうしたなか,某財閥系総合商社の会長で財界きっての米国通だったM氏は,あくまで個人的意見と断りながら日本が真っ先にFTAを締結すべきは米国であるとの主張を譲らなかった。

 しかしながら,当時の経済界では,FTAに出遅れた日本が他国との競争で被っている不利な状況の除去(level playing field)こそがFTA/EPAの目的だとする考え方が支配的だったため,基本的に国内規制が少なく市場も比較的オープンな米国とのFTAを求める声は殆どなかった。農業政策に踏み込まれたくない政府においても,日米FTAなど論外だった。M氏は経団連では貿易投資委員長というポストにあったので,担当スタッフだった筆者は,在京米国大使館の経済担当公使に米国が日本とのFTAに関心があるのかどうか内々に聞いてみたことがある。日本語に堪能で国務省きっての日本通だった公使の返答は「日本に農業市場を開放する用意があるならば,検討してもいい。けど,日本政府にその用意はないよね? だからありえない」といったものだった。それから10余年。日本がTPP交渉に参加すべきか否かで国論が大きく二分していた民主党政権の時代,経済界ならびにTPP肯定派の学者等有識者が強調した論拠のひとつが「日本にとってTPPは事実上の日米FTAであり,経済のみならず外交・安保の視点からも戦略的に重要な意義がある」だった。M氏には先見の明があった。

 包括的で高水準な日米FTAが早期に締結されれば,時期的にはポスト・トランプになるかもしれないが,日米FTAとTPPの統合も視野に入って来る。その頃にはタイ,インドネシア,韓国等もTPPに加盟している可能性が高い。安倍首相がEU離脱後の英国をTPPに歓迎すると呼びかけたのに対し,すぐさまメイ首相は参加する用意があると表明した。これら全てが実現すれば,アジア太平洋地域を中心とした超メガFTAの誕生となり,そのルールは事実上のグローバル・スタンダードとなるだろう。中国も擦り寄って来ざるをえなくなる。こうしたグランドデザインを画餅に終わらせないためには,日本の明確なビジョンと強い政治的リーダーシップが欠かせない。

関連記事

金原主幸

国際経済

アングロアメリカ

日本

最新のコラム