世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
日銀は利上げの機会を逸したのか
(元野村アセットマネジメント チーフストラテジスト)
2025.09.29
物価上昇は広がりに欠ける
9月18,19日開催の日銀金融政策決定会合では,政策金利の変更は見送られました。8月分消費者物価指数は,生鮮食品を除く総合で前年同月比+2.7%と,昨年11月以来の3%割れとなりました。米国の定義ではコア消費者物価に相当する食料,エネルギーを除く総合では同+1.6%と6カ月連続で同水準に留まると共に,昨年5月以来,2%を下回り続けています。基調的インフレ率の指標である消費者物価加重中央値は,8月には7月と同じく前年同月比上昇率+1.1%となり,こちらは2023年11月以来,2%を下回り続けています。物価上昇は食料,エネルギーなどに留まり,広がりに欠けています。利上げの必然性は高まっていません。
円高で輸出減少に拍車がかかる懸念
米国での利下げの一方,日本が利上げすれば,円高が進むかもしれない点も,日銀が利上げをためらう一因でしょう。BIS(国際決済銀行)のデータ(2020年=100)によれば,円の実質実効為替レートは,2020年5月の103.41から昨年7月に68.27まで下がった所で底を打ち,今年8月には72.31と若干上昇しています。日本の貿易統計ベースの季節調整済み輸出金額を日銀が算出している季節調整済み輸出数量で割る形で輸出価格を求めると,2016年1月以降で円実質実効為替レートとの相関係数は−0.976と非常に強い負の相関があります。つまり,円高になると輸出価格が下落する傾向が強いということです。実際,輸出価格は2020年=100としたとき,2020年5月の96.16から2024年5月には145.38まで上昇しましたが,円実質実効為替レートの底打ちより若干早くピークアウトし,2025年8月には135.36に下がりました。輸出数量は円実効為替レートの動きから遅れて動く傾向があり,トランプ関税前の駆け込みで増加した今年2月で頭を打ったようです。輸出数量は2020年=100としたとき,2月の122.2から8月には115.9へと下がっています。トランプ関税発動と世界景気の鈍化により今後も輸出数量の減少が続きそうです。そうした中で円高になれば,輸出価格と輸出数量の両方が下落することで輸出の減少に拍車がかかり,国内景気への悪影響が強まるでしょう。
後知恵ですが,円安が進み,基調的インフレ率が大きく上昇し始めた2022年に利上げを開始すべきだったのでしょう。円実質実効為替レートは,2021年12月の87.75から2022年12月には77.67まで下落しました。消費者物価加重中央値の前年同月比上昇率は,同期間に+0.1%から+1.4%まで上昇しました。しかし,大規模金融緩和にこだわった黒田日銀の対応は遅れ,植田日銀も金融緩和の修正に時間をかけ過ぎたようです。実際のマイナス金利の解除は2024年3月であり,その後の利上げペースは,緩やかなものに留まっています。10月29,30日の次回金融政策決定会合での利上げを見込む向きもありますが,日銀は利上げの機会を既に逸したのかもしれません。
相対価格の大きな歪みが残る
政府による電気・ガス料金の補助が7月に再開されたことにより,エネルギー消費者物価は8月には前年同月比−3.3%となりました。一方,生鮮食品を除く食料の消費者物価は8月には同+8.0%と大幅に上昇しています。今後,日銀が利上げをしなくても,米国での利下げにより円安は止まるでしょう。そうなれば,輸入依存度が高い食料の物価上昇は大きく鈍るでしょう。上で述べたように,食品,エネルギーを除く消費者物価の前年同月比上昇率は2%を下回っていますので,食料の物価上昇が鈍れば,消費者物価全体の前年同月比上昇率は早晩2%を割りそうです。
ただ,食料やエネルギーの物価の上昇が鈍っても,これまでの物価上昇によって生じた食料・エネルギー物価とその他の物価の大幅な乖離は残ります。2020年=100とした指数で見ると,8月時点では,生鮮食品を除く食料は126.4,エネルギーは120.4であるのに対し,食料,エネルギーを除く総合は105.9です。また,上にあるように円の実質実効為替レートは,2020年=100としたときに8月時点で72.31ですから,日本の物価の海外に対する相対的な水準が2020年から見て27.69%も下落したことを示しています。日銀の金融緩和の修正が遅れたことで,円の信認が低下し,国内においても対外的にも相対価格に大きな歪みが生じています。アベノミクス下で始まった大規模金融緩和の負の遺産と言えるでしょう。
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