世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)
一経済学者の憲法9条論
(杏林大学総合政策学部 教授)
2022.11.07
私は学生時代からなぜか法学関係の授業が嫌いだった。私の出身である経済学部にもそういう授業があったのだが,まずとらなかった。それはその後も続いていて,いわゆる法学者と議論をすると,なにやら噛み合わないものを感じるのである。その違和感は大抵の場合,法律に無知な素人である私が次々と繰り出す疑問に対して,そもそもそれらを疑問視すること自体が身も蓋もないとばかりの反応が返ってくることによるのだ。
最近になって,ようやくその根源ともいうべき要因がわかってきた。それは,法学者が「解釈」ということを前面に持ち出すことだ。一つの文章(条文)に複数の解釈が存在することは,ごく普通のことであり,まさにその解釈を巡って,彼ら・彼女らの仕事は成立している。他方で私は,文章である以上その意味が多義的であるのは仕方がないにしても,できるだけ多様な解釈を許容しないような表現を心がけるべきだと考えてしまうのだ。
もちろん,社会科学は自然科学とは違うし,真実を一義的かつ明確に規定することができるなどとは露ほども考えてはいない。しかしできる限り明確さを求めて,定義や価値判断の前提を明らかにしていくこと,不明確な表現をよりシンプルで明快な表現で言い換えること,そうすることで論点の違いがどこにあるのかを明らかにしようとすることが重要ではないのか。少なくとも私はそうするべきだと思う。
それに対して法学者は,曖昧な表現を直すことも,言い換えることも,単純化することも拒否する。ただ,その曖昧な文章を絶対のものとして受け入れて,しかしそれに対する多様な解釈を論ずるのだ。いや,もちろん法学者は間違ってはいない。私にできることといえば,せいぜいそれを好まないことと,法学者が本気で怒り出す前にせめてささやかな抵抗を試みることぐらいだ。
さて,「憲法9条を守れ」と言っている人々がいる。おめでとう,憲法9条はずっと守られてきたではないか。1947年に制定されて以来,75年間一度も改正されていない。これは主要国では異例なことである。そう,まさに日本国憲法ほど守られてきた憲法はないのだ。
他方で,日本の軍事力はどうであったのか。1950年に設置された警察予備隊から始まって,2022年の日本の軍事力は世界第5位とも言われている。もちろん,それは測り方にも依存する話であろう。しかし,そうは言っても日本の軍事力が国際比較において有数のレベルにあることは事実であろう。なにしろ世界有数のGDPの一定パーセントが年々積み増されるのだから。
私はこの方がよっぽど恐ろしい気がするのだ。憲法の条文はまったく変わっていないのに,軍事力は気がついたら世界第5位になっている。いわく,放棄したのは侵略戦争であって,自衛のための戦争ではない。いわく,したがって自衛のための戦力の保持は憲法に違反しない。いわく,保有しているが行使できない集団的自衛権も,同盟国への武力攻撃に対しては限定的に行使できる。はいはい,要するに解釈というのは何でもありなのだ。
戦争を放棄するにしても,軍備を増やすにしても,集団的自衛権を行使するにしても,それをきっちりと明文化し,解釈の幅を狭める努力が必要ではないだろうか,と私は考えてしまうのだ。それなくして,民主主義においてもっとも重要な軍事力のシビリアン・コントロールが機能するとは思えないのだ。
というわけで,可能な選択を三つに大別してみよう。まず,戦争反対の人は,非武装を明確に謳歌してはどうか。北朝鮮のミサイルが飛んで来ようが,ウクライナのようになろうが一切無抵抗を貫く。そうすれば,今の憲法9条は,そのままで小学生にもわかりやすい条文ということになるだろう。
次に,アメリカに守ってもらうというのなら,集団的自衛権を明記して,併せて日本の相応の負担についてもはっきりさせねばならないだろう。お金は出すけど,日本人の血は一滴も流しません,死ぬならアメリカの兵隊さんが死んでください,あとついでに,沖縄からは出ていってください・・・それは通らない理屈だと思う。
そして最後に,世界第5位の軍事力を必要悪だと認めるのであれば,それを明記することはもちろん,核兵器の保有を含め,それがいつの間にか世界第3位,世界第2位・・・にならないような歯止めと,武力行使の条件を明記するべきだと思う。
そんなことにコンセンサスが得られるわけがない。非現実的な理屈をこね回すことこそ経済学者の十八番だ・・・と怒られそうである。しかしせめて過程において生じる議論の論点を明確化することには意味があるはずだ。改正するにしても,しないにしても,出来上がる憲法は相変わらず玉虫色に曖昧な表現が連なっていることだろう。その解釈は,あらためて法学者にお願いするほかはないのだが。
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