世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.2398
世界経済評論IMPACT No.2398

欧州の蹉跌

鶴岡秀志

(信州大学先鋭研究所 特任教授)

2022.01.24

 このタイトルは5〜10年後と思っていたが2022年最初に掲げる事になった。

 まず確認することは,ESG,SDGs,Green Economy(GE)のいずれもイノベーションではなく,正義の理念と政治的経済的思惑を含む欧州の世界指導目標である。表向き綺麗事で裏ではお金が乱舞するものの,科学,技術,産業や生活の合理性に基づかない投資はバブルとなり行き詰まることを歴史は示している。特に欧州の場合は技術的地位の劣化を標準化あるいは認証という手段で巻き返すことを90年代から生業としていることを念頭に置く必要がある。典型例としてサッチャー首相以降に英国はマネーが国富の主要な稼ぎ頭となっている。パトカーがBMWであるようにモノについては輸入すればよいと割り切っている国なので,温暖化ガス排出削減を強く主張し,そのコンサルで稼ごうという魂胆があからさまである。しかし,英国ではBrexitの実施に伴ってモノに関係するサプライチェーンが脆弱になっているとしか見えないので,極端なモノ不足になった2020〜21年の状況を冷静に検証する必要がある。学ぶべきは,画面に表示されるクレジットの数字だけではローカルな経済活動に根ざす衣食住は成り立たないことである。

 2022年元日から温暖化ガス排出規制計画を見直す提案が欧州委員会で検討と報道された。環境に配慮した投資,EUタクソノミーにおいて原子力発電と天然ガス発電を持続可能な技術に分類するとのことで,現状の再生可能エネルギーの技術的レベルから至極真っ当な提案である。これに対してドイツの閣僚が疑問を示しEU外部専門家がパリ協定違反になると反論を唱えている。スペインやオーストリアもドイツに同調しているが,原発・天然ガス無しでは事実上社会を維持できない国がEUの過半なので提案通りになるだろう。

 さらにドイツ主導のGEに対して厳しい見解が示されている。1月6日付のBBC Future Planet(WEB)ではリチウムイオン電池(LiB)依存のZEVについて推進派が見たくない事実が示されている。リチウム選鉱では金属リチウム1トンを製造するために必要量な水量は2000トンを超える。このため主要なリチウム供給元の南米鉱山周辺では農作物への灌漑が著しく影響を受けて食糧生産低下を招き,このままでは飢餓が発生するだろうとしている。筆者が以前より警告している使用済電池の後処理も未だに確立していない。リサイクル技術が非常に難しく目処が立っていないので,むしろ将来技術である有機2次電池(主にグルコース電池)に対して期待を示している。

 多くの人は電気自動車(ZEV)推進派の「良い情報」しか与えられていないのでLiBがペットボトルや自動車のように素材を分解分離精製できるものと勘違いしている。電池は充電量と出力を高めるために複数の元素と分子を融合して製造する。あえて言えば油と香辛料を乳化混合するクリーム系ドレッシングの様なものなので成分分離することは非常に難しい(サラドレは沸騰させれば油だけ分離できます)。鉛電池のように電極と電解液を再生できるものはむしろ例外である。さらにLiBは空気に触れると空気中の水分と激しく反応して発火・爆発するので分解は不活性ガス雰囲気,つまり窒素雰囲気下で作業を行わなければならない。貴重成分のコバルトやニッケルの分離も容易ではない。従って現時点ではGEの目玉であるZEVは持続可能な技術とは言い難い。温暖化ガス排出抑制の象徴として,ドイツが宣言した自動車を総てZEVに置き換えるという目標は技術的に無理筋のお題目である。

 昨年あたりから欧米で空気中二酸化炭素吸収プラントが稼働して「すばらしい」という識者や投資家が多いが,空気中の二酸化炭素濃度は増えたと言っても400ppm程度なので回収するには化学的吸収法に頼らざるをえない。この技術は我国でも90年代からボイラーや溶鉱炉の排ガス処理方法として研究・実用化されている。具体的には二酸化炭素をモノエタノールアミン液中に吸収させ,後工程で加熱することで二酸化炭素をアミンから分離回収する。加熱のためのエネルギー消費が大きいので我国のプロジェクトでは低エネルギーで二酸化炭素を回収する方法について開発努力が続けられている。欧米の「グリーン」な二酸化炭素吸収プラントの熱収支が公開されていないので直截なことは言えないが,先端的工業技術を有する我国の技術水準から見た場合,大きな地熱源か原発でも傍にない限りやらないほうがマシという方法である。

 欧州が産業経済を牛耳るために標準化を進めているCO2排出クレジット取引は,昨年夏から秋にかけて欧州を襲った微風気候による風力発電量の大幅低下や寒い秋のために天然ガスの取り合いによる価格高騰で世界的グリーンフレーションを招いている。経済の専門家でない筆者からみても極端な制度変更と急激な生活圧迫は社会を不安定にする。エリートが唱える欧州の理想論は自らが苦しまずともその他大勢の一般庶民は悲惨な目に遭遇する。COVID-19のワクチン分配も民主主義では政権を維持する手前,世界平等ではなく自国優先であることが如実に示されている。急激な経済構造変化はたとえ正義であっても投機を招き貧富の差を拡大することで世界全体を不安定へと導くであろう。フランスでガソリンの高騰に腹を立てた民衆が黄色いベスト運動を行い,マクロン政権を慌てさせたことは記憶に新しい。1年前の米国連邦議会議事堂を襲撃したトランプ事件を上回る騒動が主要民主主義国で再度起こらないとは断言できない。歴史を振り返れば,政治的反目よりも生活困窮の恨みは遥かに大きくて食い詰めた人々は死に物狂いで富者と為政者に襲いかかる。困窮した人々は政府に向かうのか,それとも投資会社を焼き討ちするのか,識者を襲うのか,我国でも関係者は今から備えなければならないだろう。

 温暖化ガス削減が必要なことは理解できるが,理念先行で経済や産業までも動かそうとするときしみが生じる。ヒトラーの「我が闘争」も理念と理想を説いたものであった。欧州は同じ過ちを今回は世界に向けて繰り返すのだろうか。年初早々のEU政策修正が2022年の世界経済と産業に負の混乱をもたらさないようにと願わずにはいられない。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article2398.html)

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