世界経済評論IMPACT(世界経済評論インパクト)

No.1944
世界経済評論IMPACT No.1944

自由民主か専制監視か:体制間競争と文明の岐路

藪内正樹

(敬愛大学経済学部経営学科 教授)

2020.11.16

 ベルリンの壁が崩壊した1989年,IMF,世界銀行,米国財務省でワシントン・コンセンサスが合意され,グローバリズムが幕を開けた。ソ連との体制間競争に勝利したアメリカは,新自由主義を世界に広め,富の集中と格差拡大が進んだ。

 90年代半ばから商業利用が進んだインターネットは,新たな文化と産業を生んだ。ビッグデータの活用とともに,旧産業は新産業に従属し始め,新産業に関わる高学歴エリートが勝ち組となった。没落した中間層や,福祉より雇用を求める人たちは行き場を失い,そして起きたのがトランプ現象だった。社会の変化に対応できていないのは,共和党主流派も同様である。

 ICTはプラットフォームビジネスを生み,その支配力は市場取引から消費者の興味,欲求,価値観にまで及ぶようになった。それは,ケンブリッジ大学のミハイル・コジンスキーが開発した心理統計モデルがFacebookの「いいね」データから肌の色や支持政党を当てられること,これにターゲットマーケティング(人心操作。判断が不確定な状態で先行刺激を与えれば容易に判断を誘導できるという知見)を組み合わせて実現する。

 実際,2013年に米ヘッジファンドのルネッサンス・テクノロジーが資金を出し,コジンスキーのシステムを買って,選挙コンサルティング企業,ケンブリッジアナリティカが設立された。同社は2016年にイギリスのEU離脱国民投票とアメリカ大統領選の結果を誘導したと言われたが,それは過大評価だという説もある。同社は,Facebookから流出した個人データ5万8,000件を不正取得した嫌疑がかけられ,2018年5月に廃業した。ここで気になるのは,同社のノウハウはどこへ行ったかということだ。

 アメリカ政治の混沌は,政党の枠組みだけではない。アメリカ議会は,金を使ったロビー活動に支配されているとは良く聞く話だ。マーケットも選挙も議会も,資本主義の行き着く所へ来てしまったということだろう。メディアを支配し,いくら巧妙に世論を誘導しても,格差拡大や社会的没落は解決されないし,人の心を支配し続けることは不可能だと思う。今,資本主義が壁にぶつかり,解決の方策が見つからないまま,自由民主主義が揺らいでいる。

 ワシントン・コンセンサスの1989年,中国では民主化運動が起き,これを武力鎮圧する天安門事件が起きた。西側諸国が次々と非難声明や経済制裁を行う中,ブッシュ大統領はスコウクロフト大統領補佐官を極秘訪中させ,中国を孤立させないというメッセージを鄧小平氏に伝えた。

 グローバリズムに活路を求めるアメリカ資本主義にとって,中国市場は不可欠だった。同時に中国も。グローバリズムから最大の利益を得た。天安門事件で強まった党内保守派を排除して改革開放路線へ復帰し,西側企業から資金,技術,販路を得て,終にGDP世界第2位の大国へ至ったのである。

 中国のデジタル化は,1987年にアメリカでインターネットの民生利用が始まって以来,常にアメリカの2〜3年遅れで追随してきた。中国の画期的基礎研究は未だに無いが,政策誘導と集中投資によって,5G通信の商品化や社会のデジタル化では,世界の先頭を走っている。

 人心操作についても,前述のケンブリッジアナリティカが開業した2年後,第13次5カ年計画(2016〜20年)の社会管制強化の項目に,「社会心理のサービス体系と誘導メカニズムの構築」という文言が入った。廃業したケンブリッジアナリティカの知的財産を,中国が購入したとしても不思議はなかろう。

 中国は1月23日に武漢を都市封鎖し,民主主義国では不可能と思われる強硬な封じ込め策を実施した。WHOテドロス事務局長は1月31日になって緊急事態を宣言したが,その3日前,北京で習近平主席を訪問し,「この速度,規模,効率は“体制の優越性”であり,他国の参考になる」と述べた(人民日報)。

 2月になると,検疫体制や私権制限を巡って論争する日本を見て,中国では「“戦勝”気分が漂い始めた」(田中信彦,2.28.日経ビジネス)という。アメリカ大統領選には沈黙を続けている習近平主席は,党内では体制の優位性を強調しているだろう。

 また,中国のプラットフォーマーたちは,飽和したネットビジネスから,リアルのモノ生産と融合する方向を目指し始めたという(岡野寿彦『中国デジタル・イノベーション』2020.9.25,日経出版)。経済のアキレス腱だった伝統産業の過剰生産や金融リスクも,デジタルネットワーク化で構造改革が達成されるのだろうか。

 揺らぐ自由民主主義か,専制監視体制か。体制間競争は大詰に来たと思う。何れにも言えることだが,金と情報操作だけで人の心を支配しきることはできない。我々は,文明の岐路に立たされている。

(初めて本欄に書かせていただきました。今後も,体制間競争をテーマに書きたいと思います。よろしくお願いいたします)。

(URL:http://www.world-economic-review.jp/impact/article1944.html)

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